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『アキレウスの怒り』について

2008年04月27日 | タワゴトと萌え語り

『アキレウスの怒り』について
ていうか、ホメロスファン語り。ごめん!萌えを吐露させて!

※再三言ってるとおり、作者ホメロスについては諸説ありますし、個人的にも『イーリアス』が『アエネーイス』のように最初から最後まで厳密に一人の作者の手になるとは思わないのですが、とりあえず不便なので『イーリアス』『オデュッセイアー』をこういった形にした大本の人に対して「ホメロス」と呼んでます。



●全体的な構成について

 『イーリアス』は冒頭でいの一番にホメロスが宣言しているとおり、アキレウスの怒りを中心にすえた叙事詩です。
 なので、構成もアキレウスが怒った原因からはじまって、その怒りが治まるまでを謡っています。ワタシ、お恥ずかしながら教養もさほどないし良い文学がどういったものなのか、単に面白い面白くないで判断してはいかんのか、よく分かりません。なので、『イーリアス』に対しては、深い思想でもなんでもなく、単純に、「きれいにまとめてるなー」と、感心してしまいます。

 さて、この主軸のアキレウスの怒りについて。
 最後のプリアモスの訪問で怒りが治まる設定になってるのがまず素晴らしい。
 途中9歌、アガメムノンが謝りに来たとこでおさまってたら話としてありきたりで面白くも何とも無いじゃないですか。それでも治まらなかった激しい怒りのせいで、味方が危機に陥り、そのことが親友の死を引き起こし、その親友の死でアガメムノンへ向かっていたアキレウスの怒りが友の敵へと転化してさらに純化し、彼を殺しても収まらず、空虚さだけが残り(アキレウスの怒りが最愛の友を殺したという皮肉)、最後、その怒りはプリアモスとの対面でようやく漸く静まる、というのが、いかにも聴衆の心に訴える運びになっていてこれまたうまい!


 上述のように、アキレウスの怒りという原因がさまざまな結果を引き起こす筋の妙の他に、物語をトロイア戦争の全体(始まりから終わり)でなく、トロイア戦争を「アキレウスの怒り(その始まりから終わり)」で捉えなおした視点の置き換えも素晴らしいと思います。
 戦争9年目の話ながらそれまでの出来事は回想や登場人物の説明でちゃんと聴き手に分かるようになっており、また、『イーリアス』後のアキレウスの死やトロイアの陥落は、前者はパトロクロスの死に重ねることによって、後者はヘクトールやプリアモス、カッサンドラーの暗い予想のなかに暗示することによって、実はちゃんと説明されています。トリッキーなのですが、時間にして短い分勢いがあり、トロイア戦争の出来事を時系列に並べて語るよりも聞き手の心に訴えかけます。聴き手はその臨場感に否応なく物語に巻き込まれ、聞き終わった後も余韻が残るのです。


 その上、場面の配置も物語を引き立てていると思います。うまく説明できませんが、やっぱり面白い物語というのは順調に運ばないものです。それぞれ登場人物たちが起きた事件にその都度心を大きく揺さぶられ、その動揺に聴衆も同調するものです。だから、起伏がないと。かといって、起伏ばかりでも面白くない。麻痺してしまって皆同じ場面に見えてしまいます。
 その点、『イーリアス』では、動ばかりでなく、静かな場面を上手に間に挟んであるのがまたうまい。6歌のヘクトールとアンドロマケーの対話や、23歌あたりのアキレウスと死せるパトロクロスの会話、24歌のプリアモスとの対面など、戦闘以外の場面に聴き手はほっと息をつくし、他が動的な戦いの場面だけに静かなシーンたちがいっそう強烈に心に残ります。

 途中の天上の神々の場面などは、「流れをぶった切るから要らん」という意見もありますが、ちょうど神々の行動がそのまま人間たちの行動に反映されていて、場面を強調しており、人間達にとって大事なことでも神々にとってはお遊びのようなものだ、というある種の無常観なんかも感じられ、いいのではないかと思います。これには、ホメロスの時代の聴衆たちの神々の捉え方なんかも関わってるだろうし、何より個人的にそんな天上シーンも好きなので、わたしは個人的には好きですよ。

 2歌あたりで城壁の上でヘレネーがプリアモスにアカイア方の将たちを紹介するシーンに関して、常識的に考えたら、10年も戦ってるわけだからプリアモスは知ってて当然だからこのシーンがここに入るのはおかしい、という指摘に対する反論としては→
確実にこれは聞き手に対する心配りなのだと思います。それぞれの登場人物がどういう人か、というのを序盤に簡単に紹介しているのです。

 

●アキレウスの性格設定について

 そういうわけで、アキレウスの怒りについて語っているからにはアキレウスには休むことなく全編通して怒り続けてもらわないといけないわけで、それでああいった激しい性格を付与されているのだと思います。 が、これがまたうまい!24歌通して怒り続けるなんて普通に考えるとちょっと考えられない怒りっぽさですがそれを無理なく設定していると思います。女神の息子で、潔癖で、気性が激しく、気位が高い。

 アキレウスは、多分これまで自分に非があるような行動をしてこなかった人なんだろうな。自分に対して恥じることが何もないのだと思います。でも、普通の人間はついよろめいて悪を行ってしまい、後で後悔して、気まずい思いなどするものです、そんな思いをしたことのないアキレウスは当然そういった苦さや困惑を慮ることが出来なかったろう。その代わり、そうあるために、アキレウスの方も相応の骨を折っていたはずだから、アキレウスは自分の生き方について誇りを持っていたろう。面倒で大変でも常に自分が正しいと思うことをしてきた、ということはアキレウスの自信でもあったと思います。
 ただ、彼は女神の息子なので普通の人間よりよろめく度合いは少なそうな気がします。卑怯さや弱さに対して普通の人間よりはるかに敏感で、潔癖で、共感できなかったのだろうなと。自分に厳しい分、他人の弱さにも不寛容であったろうと想像します。そして、感情が純粋で、普通の人間のように色々雑多な思いが交じり合った煩雑なものではなかったのだろうなと思います。彼にとって怒りは純粋に怒りで、嘆きは純粋な嘆きなのだろうな。


 対するアガメムノンは間違いもよろめきもする普通の人であるのだと思います。勿論自分で間違いに気づくこともあったろうし、意外とそれで自分が悪かった、と反省することもあったように見受けられるのですが、彼だって良い家柄に生まれて王であるように育てられたわけですから、それなりに見栄やプライドがあったろうことも容易に推測できます。
 きっと、たとえ自分が悪いと自覚していても、間違いを人から指摘される事は我慢ならン人だったのですよ。総大将、という立場上、言われるのを黙っているのもどうかと思いますし。つまり、アガメムノンもアキレウスに対して引き下がれない立場と性格であったわけです。
 

なので、怒る本人と、その怒りの対象である人という、相対するポジションにこの二人を持ってきた、というだけでもうワタシホメロス先生にはひれ伏してしまいそうなのです。起こるべくして二人の確執は起こり、アキレウスは彼なら当然そうするように激しく怒り、24歌で実に人間らしい優しさを見せつつ怒りを納めるわけです。(単純に関連付けるわけにもいきませんが、怒りを宥められて慈しみの女神に変ずる復讐女神たちとか、日本の、荒御霊が祭られて和御霊になったりする習俗も頭の隅っこに浮かびます)

 そういうわけで、他の叙事詩では別に怒ってる必要はないですから、アキレウスはまた違った性格でもいいかも知れませんが、ホメロスの『イーリアス』においてはアキレウスはああでないといかんのです(断言)。


 …とはいえ、
 わたしも初読時は「…まだ怒ってんのか、しつこいなあ」とか、「よう精神力続くなあ」とか、「周りの人大変やな」とか思っていました。(周りの人が大変だな、とは今も思う)。ですが、慣れてくると段々あの怒りっぽいアキレウスが好きになってきました。


 いや、むしろあのくらい激しくないとアキレウスじゃない!

 彼の魅力はあの炎のような激しさなのだとも思いますし。燃え続けないと炎は消えてしまいますもの。そのくせ時に水のような透明さなんかも垣間見せたりなんかして、ほんとうにアキレウスってば不思議な子…
 強烈な偏りはまた強烈な魅力でもあります。ホメロスはほんとうによくそこんところを心得た人です。

 

●パトロクロス


 アキレウスのそういった特性について、一番理解していたのがパトロクロスなのだと思います。アキレウスにとって、パトロクロスは代えの利かない唯一無二の存在だったのだろうと思います。だから、彼の死に際して、彼を殺したヘクトールへの怒りはアガメムノンに対するそれをはるかに凌駕してしまったのだろうと。

 

●ヘクトール

 アガメムノンとは対極にある人ですが、やはり、アキレウスとも対極にある人です。
 女神の息子であるアキレウスとは違い、ヘクトールはあくまで人間です。弱さを自覚して、その上で責任を負おう、強くあろうと努力を重ねる立派な人ですが、やはり色々な感情に揺れ、間違いも犯し、時に流されそうになったりもします。その分アキレウスよりは人の痛みの分かる人ですが、礼儀を守り、模範的であろうとする特質は「都会的」な弱さでもあります。
 他人の妻をさらい、結婚の正義を破ったとして、全面的に非難される側であるトロイア勢に、妻や息子や父母に愛情深く、不肖の弟も見捨てられないヘクトールのような人物を配置するなんて、ホメロスめ……。
 人間らしくない激しい部分が魅力を添えるアキレウスの人物設定に対して、ヘクトールはその人間らしいところがとても魅力的に描かれている登場人物だと思います。

 他にも、『イーリアス』の登場人物たちはそれぞれ個性が際立っていて、その個性がそれぞれの場面にぴたりとはまり、聴き手を飽きさせません。
 
 いかん、褒め言葉ならなんぼでも出てくる。
 きりがないので萌え語りはこのあたりでいったんきることにします。

 ここまで読んでしまった気の毒なアナタ、お疲れ様でした!

 

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