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最近購入した、または聴いたCDについて語ります。クラシック中心です。

フルトヴェングラーのチャイコフスキー

2020年12月06日 23時42分20秒 | チャイコフスキー
しかし、コロナ対策ですねえ。大阪府は赤信号点灯で15日間の外出自粛を打ち出しましたが、一方で、国はGoToは感染拡大の原因ではないとし期間延長するみたい。なんだか対策の方向性が統一できていないですねえ。やはり、政府のしっかりとした説明が必要ですね。経済が大事だから、感染防止は自己責任で、ということではないですか。そのあたりをうやむやにして、なんとか乗りきろうとする、日本的といえばそうですが、それでいいのかなあ。うまくいくのか心配です。

まあ、それはそれとして、今回は久々のチャイコフスキー。フルトヴェングラー指揮VPOのチャイコフスキーの交響曲第4番へ短調作品36。1951年1月4.8.9.10日、ウィーンのムジークフェラインでのセッション録音です。この演奏のCDは、以前にオーパス蔵盤で買いました。そして先日、タワーさんのGRANDSLAM盤のセールでこの曲のCDを見つけました。私、近年この板起こし盤、たいそうお気に入りで安売りがあれば購入するのでした。今回もこの4番を含めた3枚ほど買ったのでした。

フルトヴェングラーとチャイコフスキーは、どうなんでしょうねえ。『悲愴』の演奏はなんとなく知られているように思いますが、他はどうなんでしょうね。『悲愴』については、1938年と1951年のものが知られているが、4番や5番になると、4番は今回取り上げる録音だけだし、5番に至ってはイタリア・トリノ放響との1952年盤しかありません。 それほど演奏されなかったんですかねえ。そう考えれば、よくこの三曲の演奏が残ったものであります。

そしてこの4番のCDですが、東芝からのブライトクランク盤もあったそうです。板起こし盤としては、先述のとおりオーパス蔵盤とGRANDSLAM番があります。前者はUK-HMVのLP、後者は2トラ38のオープンリールをそれぞれ音源としています。優劣はなかなか難しいのですが、前者は繊細な音、後者は迫力ある音、がそれぞれ蘇っているようでしょうか。私的には、オーパス盤のほうが好ましいかなと思っています。もっとも、東芝から発売されたCDは未聴なんですが…。

やはり、フルトヴェングラーの演奏、熱いですね。この演奏はライブではないのですが、彼のライブでの熱狂を再現するかのようです。そして、熱いだけではなく、表現の深さも尋常ではありません。絶望的な人間の弱みなどがこれほど深く主観的に、深刻に表現された演奏を知りませんねえ。それによって受ける印象はたいそう強烈です。これらの板起こし盤では、この表情が実に強烈に伝わり、それは鳥肌が立つようであります。そして、変幻自在のテンポ、揺れ動く音楽が、チャイコフスキーの苦悩をあからさまに再現されているのです。この演奏を聴いて、他を聴くと、なんと皮相的な演奏か、と思ってしまいます。VPOの響きも緻密であり、柔和な音色であります。

第1楽章、デモーニッシュな表情が曲が進むに連れてより深刻になっていき、人間が苦悩でがんじがらめにされていくよう。テンポの変化も頻繁で、それによって音楽が心に染み込んでくる。明るい表現も見られるが、それが逆に運命の中での苦悩を増大させるようです。第2楽章、ここでも深刻さが増幅される。旋律の美しさが響き渡り、実に悲しい。弦がすすり泣く。まさに泣きのカンタービレであります。VPOの弦と木管がいいですねえ。第3楽章スケルツォ。弦のピチカートが力強く見事ですね。そっけないようにも思えるが、表現は豊かです。そして終楽章。多少ゆったりとした冒頭で始まり、苦悩が克服されたかのような表現が聴かれる。非常に濃厚な味付けが聴かれるし、重量感あふれる演奏が展開され、心に重しのようにのしかかる。そして、この重しやコーダに至るまでのアッチェレランドもは、フルトヴェングラーならではのものでありますねえ。

兵庫県も毎日100人以上が感染。大阪ほどの対応はしておりませんが心配ですねえ。忘年会どころか、外出自粛しかないですね。なんとか新年を無事にむかえたいものであります。
(オーパス蔵 OPK-7053 2011年)

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