「ポスト・メルケル」の行方

ドイツの国会は、よほどのことがない限り解散は行われないため、4年に一度、規則的に総選挙が巡ってくる。それが今月の26日。次期政権の成立とともに、メルケル首相は政界から引退の予定。EUの役職にも就かないと言っているが、どうなることやら……。

いずれにせよ、“メルケル帝国”とまで言われた16年間の長期政権が終わるのだから、ドイツにとっては大きな節目だ。

 

当然、現在は熱い選挙戦の真っ最中。首相府を狙って戦っているのが、1)CDU/CSU(キリスト教民主/社会同盟)、2)SPD(社民党)、3)緑の党である。しかしながら、1)と2)は過去4期のメルケル政権のうちの3期の長きにわたって、大連立していた。現在も、連立与党として共同で政府を運営しながら、次の政権をめぐって死闘を演じているという複雑さだ。それを反映してか、各党の支持率も4月ごろからの乱高下で混戦状態。

総選挙まで10日を切った現在の様子をかいつまんでいうなら、消えてなくなるかと思われるほど没落していたSPDが、世論調査で支持率首位というサプライズ。2位がメルケル氏のCDUで、3位にはこれまで首相候補など出したことのなかった緑の党がつけている。

つまり、次期はSPDと緑の党が連立し、EUの真ん中に左派政権を打ち立てるというシナリオもありうるという微妙な状況。見ようによれば、過去の総選挙の退屈さとは比べものにならないほどの破格の面白さだ。

 

しかも、メルケル氏は自党の艱難辛苦には関心を示さず、誰の応援にもほとんどタッチしないという異常さ。それどころか、8月30日、全国で苦戦中の自党の議員たちを尻目に、環境NGOグリーンピースの創立50周年式典に出席し、彼ら運動家の「功績」を褒め称えていた。

いったいどうなっているのかと、CDUの議員でなくても大いに悩む。大衆紙ビルトは、「メルケルはCDUに投票するのだろうか」と書いた。

一方、元気なのは緑の党で、これまで野党だったのだから「刷新!」といえば格好がつく。その上で、気候温暖化対策、CO2削減に的を絞り、それを進めれば進めるほど経済の活性化につながるという魔法のようなセオリーで邁進。しかも、今のドイツには、その魔法のセオリーを真っ向から否定できないという、これまた不思議な空気が漂っている。

9月12日には、候補者3者のテレビ討論(2度目)が行われたが、もちろん、カーボンニュートラルが全ての経済政策のベースとして、通奏低音のように流れている。

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その他、取り上げられたテーマは、コロナワクチン、マネーロンダリング、高速インターネットの整備、医療保険改革などで、エネルギー、難民、対米・対中政策といった重いテーマは、しかと議論されなかった。エネルギーといえば、今年初めからの炭素税の改正でガソリンやガスの価格が跳ね上がり大変な状況になっているが、それもスルー。

これらドイツ選挙戦の模様は来週の本コラムでじっくり書きたい。

河野太郎候補の問題点

さて、翻って日本の総裁選。こちらも、ニュースを見ていると、どの派閥の誰が水面下で誰を応援しているかとか、推薦人が足りるの、足りないの、真の権力者は誰かなどといった情報が多い。

現在の日本は、国家安全保障上、ドイツよりもさらに深刻な待ったなしの状況に陥っており、9月末に選ばれる自民党総裁は、その日本が、将来、いかなる形で生き延びていくかの鍵を握るはずなのに、見えてくるのは権力闘争の図ばかり。危機をちゃんと認識し、それに備えた政策を明確に打ち出しているのは、高市早苗氏だけではないか。

特に、もっての外なのが河野太郎氏。元々、疑問符の多い政治家だったが、氏が首相になれば、日本は衰亡の淵に追いやられる気がする。

氏が防衛大臣だったとき、イージス・アショアの配備計画を、その代替も整えないまま勝手に中止してしまったことは記憶に新しいが、これによって、日本の防衛にはいまだに穴が空いたままだ。

9月13日のニュースでは、北朝鮮のミサイル発射実験の成功が伝えられ、北朝鮮の主張によれば、飛行距離1500km。これが本当なら、日本全土が射程に入ったことになる。こんな時期、国家安全保障という観点の抜け落ちた首相などあり得ない。

しかし、残念ながら、それは氏のエネルギー政策にも如実に現れている。

持論が「脱原発」であることはすでに衆人の知るところだが、その場の雰囲気や保身を考えてか、発言は常に行ったり来たり。総裁選を視野に入れた今回は突然、「安全確認を終えた原発の再稼働は必要」となったが、これを鵜呑みにするわけにはいかない。そこには「再エネ最優先」やら、「原発は将来的に無くなっていくだろう」など、玉虫色の発言も連なる。 

日本にとって特に有害だと思われるのは、稼働間近の「核燃料サイクル」を「店じまいすべき」としたことだ。

核燃料サイクルとは、使用済みの核燃料からウランとプルトニウムを取り出して再処理し、再び燃料として使うこと。簡単そうに聞こえるが、実は超高度な技術で、誰もができるわけでもなければ、誰もがやって良いことでもない。核保有が認められている米英仏露中の5ヵ国以外では、日本だけが唯一例外的に認められている。

言うまでもなく、エネルギーは産業国の根幹であり、安全保障の観点から言っても国家の最重要事項の一つだ。だからこそ、エネルギー貧国の日本は、電力の安定確保のために、精魂傾けて核燃料サイクルの技術を育ててきた。そして、ようやくそのゴールが見えてきたというのに、「店じまい」など、国家にとって取り返しのつかない大損である。核燃料サイクルの地元青森で、河野発言に対して強い抗議の声が上がっているのも無理はない。

現在、日本では、火力発電の停止や、原発の再稼働の遅れが原因で、そうでなくても全国的に電力が逼迫する傾向が続いている。安価で安定した電力の調達は、国家の存亡に関わる課題だ。

日本は常に、地球のあらゆるところから石炭やLNGや石油を買って、どうにか経済を支えている。今後、世界情勢の不穏化で、供給が止まったり、価格が高騰したりすれば、そのバランスはいっぺんで瓦解するだろう。だからこそ自立という意味で、「核燃料サイクル」の重要性が一層高まっているのに、それを葬ろうとする意図はいったい何なのか。

ドイツと日本、危機的な共通点

ドイツの総選挙と日本の総裁選には共通点がある。どちらもエネルギー政策のピントが外れていることだ。

いくら再エネを増やしても、ドイツや日本のようなハイテク国がそれだけで産業を回せるわけもない。ましてや原発なしでカーボンニュートラルを達成することもできない相談だ。なのに、どちらにも、それをはっきり言う政治家がいない。

それどころか、両国の多くの政策は、CO2を減らせば地球の温度の上昇が防げるというあやふやなテーゼに則って進められている。だから、石炭火力をやめ、再エネを増やし、ガソリン車を禁止し、電気自動車を売らなければならない。そのために国家経済に深刻な損失が生じることは無視。再エネ拡充は、経済の足を引っ張るのではなく、発展につながるということに、無理やりされている 

しかし、現実には、再エネを増やしすぎると電力の安定供給が崩れる。しかも、電気代が上がる。供給安定のため、ドイツではこれまで原発と石炭火力が頑張ってきたが、現在、石炭火力は急激に減らされ、2022年末には原発も全て止まる予定だ。

そこで、その代替として、ロシアからの天然ガスのパイプラインを拡充。さらには、EU中に張り巡らした送電線で、周辺国からありとあらゆる電気(原発電気も石炭電気も)を輸入する計画なので、要するに、辻褄はまったく合っていない。ちなみに、ドイツ家庭の電気代はEUで一番高くなった。

 

それでも、ドイツは何が何でもカーボンニュートラルを達成すると意気込んでいる。まるで「環境大国ドイツ」の名声に呪われているかのようだ。

そして、その呪いに、環境大国など主張していない日本までが、一緒になって引きずられている。

日本には周辺国と連携するパイプラインも送電線もない。それなのに、なぜか首相や環境大臣が、カーボンニュートラルが実行可能で、素晴らしい投資先であるように主張している。

ただ、現実としては、将来、太陽光パネルや、風力発電施設や、電気自動車を全世界に売り、さらに、ドイツや日本が作らなくなる原発や石炭火力プラントを世界中に建てるのは中国だろう。その横で、ドイツと日本は、エネルギー他国依存の道をひた走りに走り、国力を弱めことになる。

しかし、ドイツの有権者がそれに気づいて方向転換をする可能性は、今のところない。

では日本は? 自民党総裁に就任する人には、まず、夢物語ではないエネルギー政策を、ちゃんと説明してほしい。そして願わくは、日本を守り、日本を豊かにすることを第一に考える人、さらに言うなら、中国に褒められるのではなく、嫌われる人が自民党総裁に就任してほしいと願う