将軍を狙うのではなく、信長は天皇をないがしろにして、『国王』を狙っていた

宮崎正弘

(読者の声4)貴誌2685号の「光秀には天下を取ろうという野心が最初から無い、そういう打算的思惑で行動をおこしていない。後世の歴史家は、この敗北の美学が分からないので「本能寺の変」から五百年ちかく歴史の本質を誤解していることになる」。
これは貴重な提起。
 うろ覚えの記憶ですが、小説の『下天は夢か』だったかに、信長が暦の作成に介入しようとしたのが光秀の決意に作用していると、この見解に近い下りがあったかと。日経紙に連載中に、この箇所を読んで、得心したものでした。さほど、問題化しなかったですが。読者には暦作成の意味するものがわからなかったのでしょう。
 貴台の見方は、小生を深く納得させるものです。さすがと敬意を表します。しかしまだ大半は信長英雄伝説に巻かれていているようです。
もっと論争あって然るべき問題と思います。
(SJ生)


(宮崎正弘のコメント)信長暗殺を「主殺し」と逆転評価したのは秀吉、座付き作家ならぬ祐筆たちに、そういう改竄史観を事変直後から盛んに広めさせ、秀吉の印象をよくした作為が見え見えです。
本能寺を囲まれて、「明智か、是非もナシ」と信長が叫んだとか、切腹前に「人間五十年、下天のうちに比らぶれば・・・」と舞を舞ったとか、は後世の創作です。これらの後世の創作に上乗せした近年の八切史観とか、最近の某『信長の棺』とかは、率直に言ってお笑いの類でしょう。
 秀吉はまんまと天下を簒奪出来たわけですから、本当は明智様々でしょうに。。
 さて昔から秀吉黒幕説、足利黒幕説、毛利、長曽我部、朝廷黒幕説、本願寺背後説、徳川陰謀説など色々ありますが、最近出色は明智一族の末裔が書いた、斉藤利三と長曽我部のからみで、土岐一族のための決起だったという説です。
 信長の天下をはばむ戦国武将的思考レベルでは、そういう発想になるでしょう。
 戦国の国盗りゲームの発想に陥るのではなく、尊皇心と決起という観点で明智の評価をそろそろ行うべきでしょう。彼の行為は『義挙』であり、楠木正成的なのですから。
 小生、十数年前に『戦国武将の情報学』という本を書いた折、安土城下をすみからすみまで見ました。まだ安土城は再建されておらず城跡だけですが、総見寺の大伽藍あとを見たときに城の設計図に残った「天主」と、ご本尊が信長という事実から、将軍を狙うのではなく、信長は天皇をないがしろにして、『国王』を狙っていたのだ、と気がついたのです・・・・
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