治水の神様 加藤清正も 手を付けなかった 球磨川

これは 産経の無料会員むけになっており

仁義には反しますが 出しておきます

毎日 見ておくと 心に響くこと 多いですよ

会員になりましょうという PRのつもりです

 

 

【産経抄】7月6日

 肥後熊本藩の初代藩主、加藤清正といえば、朝鮮半島でのトラ退治で知られ、勇猛果敢な武将のイメージが強い。もっとも、肥後に入国してからは、熊本城の築城のほか、領内各地の河川改修や新田開発に情熱を傾けた。現在も熊本の人たちに、「清正公(せいしょこ)さん」と敬愛される所以(ゆえん)である。

 ▼その清正が、肥後の南東の小藩、相良藩を手中に収めようとした。球磨川沿いの大きな岩に差し掛かったときのことだ。後に「清正公岩」と呼ばれる大きな岩の向こうには、険しい山々の間を縫うように激流が続いていた。さすがの「治水の神様」も、「この岩より先は相良にくれる」と言い残して引き返したという。

 ▼「日本三大急流」の一つとされる球磨川は、記録に残っているだけで過去400年間に100回以上も洪水を繰り返してきた。その暴れ川が再び牙をむいた。熊本県南部を襲った豪雨により、球磨川は上流から下流にわたり、広範囲で氾濫を起こした。

 ▼テレビのニュースは濁流が住宅や車をのみ込んでいく凄惨(せいさん)な光景を映し出す。「家に残っていたら命はなかった」。たまたま地元にある実家に帰省していた小社社員の体験記が、昨日の社会面に載っていた。高齢の母親とともになんとか避難所にたどり着いた。家に戻ると、1階部分は完全に水没していた。

 ▼「全ク安息ノ暇ナク」。熊本県天草市出身の作家、石牟礼道子さんは「球磨川」と題した随筆のなかで、沿岸住民の長年にわたる嘆きの声を紹介している。激しい雨は西日本や東日本の各地で降り続け、気象庁は土砂災害などに重大な警戒を呼び掛けていた。一方東京では新型コロナウイルスの感染者が、4日連続で100人を超えた。

 ▼安息の暇ない状況は、いつまで続くのか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 江戸時代、銭... 中国の“弱点”... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。