大河ドラマが描かない「工作員」西郷隆盛の真実

倉山満   2018/01/05

大河ドラマが描かない「工作員」西郷隆盛の真実

 本年のNHK大河ドラマは林真理子原作の『西郷どん』で、『ハケンの品格』『ドクターX』などで有名な中園ミホ脚本とか。コンセプトは「日本一モテた男」で、「男からも女からも愛された男」としての西郷を描き、大河ドラマ史上初のBL(ボーイズラブ)に踏み込むとの触れ込みだった。
 
 この報を聞いた時、自著の題名を『女に西郷さんの何がわかる?』としようとしたが、講談社の企画会議にて「タイトルで全女性を敵に回してどうするのか」と物言いが付き、『工作員~』という一度ボツになった案がゾンビのごとく復活した。
 
 さて、「工作員」と聞いて、どう思われただろうか。「清廉潔白の人格者の西郷さんが工作員? 何を考えているのか、イロモノ本か?」と思われたであろうか。
 
 確かに、西郷は近現代で伝記の発刊点数が最も多い人物である。そして、明治以来現在まで、一度も不人気になったことがない英雄である。戦前の英雄は皇国史観と戦後の反動で評価が逆転することが多いのだが、西郷に限って人気は一貫している。中には「全人類の中で最も偉大な人物は西郷隆盛である」と信じて疑わない人もいる。ある場所での講演では、「高杉晋作? 誰だ、それは。そんなマイナー人物は知らん」と真顔で言われたこともある。
 
 これは極端にしても、「西郷さんは聖人君子」的な描き方をしている本は、腐るほどある。むしろ、それ以外に見た事がない人がほとんどではないか。
 
 西郷を聖人君子の鑑だと信じて疑わない人に、「西郷さんは、田中角栄の秘書だった早坂茂三のような人だった」と言うと、まなじりを決して怒り狂うかもしれない。ところが『工作員・西郷隆盛』は、歴史学の正統な議論を踏まえた教養書として等身大の西郷を描いた評伝である。
 
 ここで言う「工作」とは何か。最近の流行語で言うと、「インテリジェンス」である。では、「インテリジェンス」とは何か。情報を収集し、分析することである。ここまでは誰でもわかる。少し気の利いた解説だと、「生情報(information)を収拾して分析したものが情報(intelligence)である」くらいは教えてくれるだろう。
 
 では、何のために情報を収集して分析するのか。自らの意思を相手に強要するためである。これをコントロールとも言う。コントロールには他に、「支配する」「言うことを聞かせる」などの意味がある。
  この程度の事は、アメリカだと大学の教養課程の知識である。ヨーロッパのエリート校なら、高校レベルかもしれない。ところが、日本人では「何のためのインテリジェンスか」を意識しながら読書する人口がいかほどであろうか。
 翻(ひるがえ)って、西郷は青年時代からそういう意識で勉強してきた。下級武士時代は「いつの日か己の力を世の役に立てる」との意識で人格の修練に励み続けた。薩摩藩11代藩主、島津斉彬に見いだされてからはお庭方(つまり工作員)として情報収集に励む。情報収集には、人間関係の構築が何よりだ。人間関係の構築、特に情報の世界においては、本人の識見が何よりも重視される。ここに青年期の勉学が生きた。江戸の教育は世界最高だったと言われるが、西郷はその知的空間の一員として活動した。のみならず、そのような知的階層こそが、維新へのうねりを生み出していく。
 
 西郷が「早坂茂三のようだった」と評したのは、この頃のことだ。西郷は「運び屋」のようなこともしていた。もっとも西郷は黄金のみならず、「勅命」をも運んでいたが。斉彬における西郷、まさに角栄における早坂のごとし。
 
 若いころの西郷は、何をやっても上手くいくという才人ではなく、苦労も経験している。あるいは人間臭い面もある。たとえば、単身赴任の妻に家庭のもめ事を押し付け、自分は仕事と称して女遊びに励むなど。そして、主君斉彬の死、幕府の大老井伊直弼の大弾圧、二度にわたる島流しなどを経て、さらに自らの勉学を磨く。
 
 二度目の島流しでは、雨露をしのげない牢(ろう)に入れられ、ついには病気で睾丸(こうがん)が腫れ、馬に乗れない体になってしまった。あげく、島から出た時は自力で歩くこともできず、はいつくばっていた。
 しかし不遇の地位にあっても、限られた情報を頼りに己の未来を描いていた。そして常に、「皇国」の運命を思っていた。インテリジェンスオフィサーとしての西郷の真価が発揮されるのは、こうした苦労を経て帰還してからである。西郷は、薩摩藩重役として、幕末政局で多くの謀略を主導する。
 
郷里の鹿児島市に立つ大久保利通の銅像
 そして西郷の復帰に尽力したのが大久保利通である。大久保は幼いころからの竹馬の友であり、一方が苦しいときは必ずもう一方が援助する関係だった。大久保は常に西郷を指導者として立てていたが、西郷の失脚により政治家としての自覚に目覚め、そして西郷の帰還により政治的盟友として御一新へと突き進んでいく。
 全国の大名がおのおの年貢を取り、好き勝手に黒船や軍隊を作る。これではヨーロッパ列強に対抗できない。だから、日本を外国に支配されない国にしなければならない。天皇を中心として全国を統一する政府を作り、税を集め、強い軍隊を作らねばならない。救国の解は明確だ。
 しかし、障害があった。徳川慶喜である。慶喜は常に西郷や大久保らの前に立ちはだかった怪物政治家だった。文久の政変で薩摩を利用して政権を奪取して以降、朝廷・将軍家・幕府・諸大名、そして外国勢力をも変幻自在に操り、幕末政局の中心に位地(いち)した。
 最近、明治維新は誤りであったとの説が流布している。曰く、「江戸幕府には当時最高の人材がそろっていた。その中で徳川慶喜こそ真に日本の指導者にふさわしい人物とみなされており、慶喜に任せておけば当時最高の人材を網羅した政府ができたはずだ。それを吉田松陰の弟子たちの長州や西郷隆盛に率いられた薩摩らテロリストがぶち壊した」と。
 
 これは謬論(びゅうろん)である。この説が理想とする人材網羅政権で何ができようか。そのような政権で、富国強兵、殖産興業、日清日露戦争の勝利以上の成果が見込めたのか。既成勢力の寄せ集めなど、しがらみだらけで何もできまい。間違いなく、廃藩置県どころか版籍奉還も不可能だっただろう。
 
 「当時」最高の人材を集めたとて、従来の価値観では立ち行かないときに、何ができようか。松陰や西郷がテロリストなど、何をいまさらである。薩長とて、勝ち残らなければ水戸の天狗党や天誅組のように、テロリストとして歴史の闇に葬り去られたに違いないのだから。
 
 言うなれば、「江戸全肯定、維新全否定」史観は、明治政府の「江戸全否定、維新全肯定」史観の裏返しにすぎない。明治政府が立場上前政権を全否定したのはわかるとて、維新から150年もたって公正な歴史評価が可能な時代に、なぜ極端な歴史観を持ち込む必要があるのか。ただのウケ狙いか?

 徳川慶喜は確かに行政を切り盛りするという意味では最高の政治家だった。しかし、「未来への意思」が決定的に欠けていた。
 証拠を一つ挙げよう。慶喜が文久の政変で政権に就いて以降、最も重視した政策が兵庫開港問題である。幕府は不平等条約で約束した兵庫の開港を先延ばしにしていた。病的な攘夷(じょうい)論者である孝明天皇への遠慮から、京都と目と鼻の先である兵庫の開港を引き延ばしていたのだ。慶喜は大政奉還後も兵庫開港問題こそ日本の最重要課題として扱っているのである。
 
 維新により現代に至るまで、兵庫開港問題など、何のことかと多くの日本人が忘れている。わが国は開国しているのだから、何のためにそんな問題で何年ももめたのかすらわからないだろう。だが、慶喜や多くの日本人は、のめり込んだ。そして、何が大事なことかを忘れていた。
 
 大久保利通には未来が見えていた。その大久保を支え、泥をかぶったのが西郷だった。大久保の智謀(ちぼう)と西郷の実行。この二つが掛け合わされたとき、奇跡が起きた。鳥羽伏見の戦い。西郷が三倍の敵の猛攻を支え、大久保が錦の御旗を翻したとき、徳川軍は雪崩現象を起こして潰走(かいそう)した。大久保にとっては国づくりの始まりだが、「工作員」としての西郷の人生はここに完結する。
 
 その後、二人は愛憎入り混じる中で悲劇的な最期を遂げることとなる。二人の行き違いは、討幕御一新をどのようにとらえたかの違いだろう。大久保にとって討幕は、政治家人生の通過点だったが、西郷にとっては終着点だった。あえて言うなら、西郷はカストロではなく、ゲバラの生き方をたどったのだ。
 
 さて、読者諸氏は私が西郷の人間的欠点を指摘したとて、この古今無双の英雄を嫌いになるだろうか。
 そもそも、人間の評価に100点と0点など、あろうか。人間の長所と短所は、裏表なのだから。たとえば、「思慮深い」は「気難しい」、「正義感が強い」は「人の好き嫌いが激しい」といったように。西郷はそれに加え、「臨機応変」だが「きまぐれ」で、「意志が強い」だけに「妥協を知らない」と続く。そして、破滅的な性格だった。
 
 私は著者として自信を持って言うが、小著『工作員・西郷隆盛 謀略の幕末維新史』を読めば、西郷のことが好きになると思う。本書では、人間西郷の痛みや苦しみ、そして弱さを赤裸々に描いた。乞う御批評。
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