二階俊博vs.河野太郎「お前に政治ができるのか?」

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二階俊博vs.河野太郎「お前に政治ができるのか?」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 妖怪ニカイに、気鋭のタロウが?みついた! 新旧交代は、どんな業界でも起こり得る。多くの場合、老人は分が悪い。だが政治の世界は事情が違う。若さだけでは乗り越えられない壁があるからだ。発売中の『週刊現代』が特集する。

政治家たるもの……

 田中角栄が総理になる前、一度だけ宮澤喜一を酒席に誘ったことがある。  

「たまには一杯やるか」  宮澤は付き合いが悪いと言われていた。当然、角栄もそんなことは承知していたが、角栄は嫌がらせをしたかったのではない。  

「腹を割って話そうや」  政治家たるもの、自己中心的に周囲と馴染むこともせず、いちいち人を遠ざけているようでは器が知れる。「あんたと話をしたい」と、懐の広さを見せるのがリーダーというものだ。  

当時の宮澤は、理論と議論先行で、頭でっかち。東大卒のエリート風を吹かせる嫌味な男とされていた。総理候補ともあろう者が、そんなことで良いはずがない。角栄は、「政治のなんたるか」を宮澤とじっくり語り合おうとしたのである。  

ところが――。その宴席は、角栄の期待を裏切るものとなった。  

一口、二口と酒を舐めていくうちに、宮澤の顔は青くなっていった。そこから宮澤は角栄に議論をふっかけ、それが延々と続いたという。  

さしもの角栄もすっかり閉口し、その後、周囲にこうこぼした。  

「もうアイツとは二度と飲まん」

 そんなかつての宮澤の姿を彷彿とさせるのが、行政改革・国家公務員制度担当相の河野太郎だ。

議論が好きで、議論で相手を打ち負かすことにすべてを懸ける男――。

 「99・247%の手続きで押印を廃止できる」

 10月16日の会見で、河野はこう宣言した。就任した河野が真っ先に取り組んだのは、「ハンコの廃止」である。

 狙いはこうだ。ハンコが象徴するような「行政の無駄」を徹底的に排除する。同時にデジタル化を推進し、各種行政手続きの簡素化と利便性を高め、国民が使いやすいものに変えていく。

 「コロナ禍により、給付金の振り込みなどの面で、日本のIT後進国ぶりが露呈した。これを、同じく目玉として大臣に就任した平井卓也デジタル改革相と協力しながら、改善していくのが河野大臣の進めている改革です」(全国紙政治部デスク)

 河野は平井とタッグを組み、個別の大臣を呼びつけて「2+1」の会議を頻繁に行い、各種要請を行っているという。

 勢いに乗る河野は、続いて「こより」の廃止も発表した。総理大臣に対し、各大臣が閣議を請議する書面などは、閣僚がハンコを押し、こよりを通して綴じる形式になっていた。これらを「合理的でない」として、廃止するというのである。  

ついに動き出した、ハンコとこよりの排除……。  

「ちょっと待て! それのどこが改革だ。国民が求めているのは、そこじゃないのではないか?」  などと、言ってはいけない。河野に対し、そんな反論は「論破」の対象になってしまう。文句があるなら、もっと良い改革を示してみろ。できないならば口出しするな――。  

それどころではない。河野はツイッターで210万人ものフォロワーを誇る「ネット番長」である。機嫌を損ねれば「こんなバカがいます」とばかりにネットに晒され、吊るしあげられてしまう。  

こうしたことは、いまや永田町や霞が関では常識となっている。  

「河野さんは、自分の話が官僚に通じないと、『課長がダメなら局長、局長も使えないなら次官を呼べ』というタイプ。そのほうが話が早いというのはわかるが、担当者からすれば『お前は用なしだ』と面罵されたのと同じで、無用な恨みを買う。  

『2+1』の呼び出しも、他の大臣からしたら、ちっとも面白くない。何をしても結局、河野さんと平井さんの得点になる。一部の大臣は、『目立ちたがりのスタンドプレー野郎』と、小馬鹿にしている」(自民党中堅代議士)

ハンコだ、ハンコウだ

 河野はツイッターで自らに関するツイートを検索(エゴサーチ)し、自分を批判し、叩く者はブロックする。議論は好きだが、あくまで自分の主張をゴリ押しするためのもので、他人の意見、とくに批判に耳を傾けることはほとんどない。  

こうした姿が、かつて角栄をも辟易させた、宮澤喜一の姿を彷彿とさせるというのである。ちなみに、宮澤も河野同様に、巧みな英語力で知られていた。  

そんな河野を、角栄のそれと同じような目線で見ている者が、現在の自民党にも存在する。  

言うまでもない。「角栄の直弟子」を自任する、二階俊博幹事長だ。  

河野が打ち出したハンコの廃止について、10月8日、自民党「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」(はんこ議連)は党本部で決起集会を開き、二階の元に駆け込んでハンコの存続を訴えた。  

これに対し、二階は「しっかり反抗しろ」などと語ったとされている。  

河野はこれを受け、  「(二階がハンコウと言ったのは)座布団1枚という感じだ」などと、茶化して軽くいなすかのような態度を取った。  

この不遜な態度に、二階が「けしからん」と激怒した、などということはない。二階にとって、河野がやっていることなどは所詮、児戯に過ぎない。  

「まあ、やれるところまでやってみたらいい」 それが二階流だ。  

自民党幹部の一人がこう語る。  

「今年の6月、陸上配備型迎撃ミサイルシステム『イージス・アショア』を(当時防衛相の)河野が凍結した時、二階が『党になんの相談もなく、一方的に発表するとは何事か』などと怒って見せたら、河野は青くなって党本部に来て、二階に直接謝罪する羽目になった。  

河野にしたら屈辱以外の何物でもないが、二階にとって河野はその程度の存在に過ぎない。河野は菅の意向で改革、改革と突っ走っている。その菅は、二階がいなければ政権が保てない。そもそもの格が違う」

サラリーマンじゃないんだから

 菅義偉総理は、就任後初の外遊として、ベトナムとインドネシアを選んだ。なぜ初外遊でそこに? という疑問を抱いた国民も多いだろうが、実は確かな理由がある。  

「菅総理は、ベトナムのグエン・スアン・フック首相と会談し、日本産の温州みかんの同国への輸出について、早期実現を目指すことで合意しました。  

温州みかんの一大産地と言えば、二階幹事長の地元・和歌山です。実際、二階さんも今年1月にベトナムを訪問し、フック首相にみかん輸出の早期解禁を要請しています」(全国紙政治部記者)  つまり、菅の記念すべき初外遊は、二階の願いを叶えるためだった。  

総理すらこんな具合に動かしてしまう二階にしてみれば、その手下の鉄砲玉に過ぎない河野など、吹けば飛ぶような小僧でしかない。  

そして、二階が河野を眼中に入れない理由は、もうひとつある。河野には、「友だちがいない」からだ。  

自民党ベテラン議員がこう話す。  

「ごく単純な話ですが、友だち、つまり『同志』がいない政治家は大成しません。石破(茂元幹事長)がいい例です。彼は世論では人気があるとされていますが、党内での人望がなく、仲間が少ないので総理総裁にはなれない。  

河野も同じです。奇人変人扱いされていた小泉(純一郎元首相)さんですら、YKK(元自民党副総裁の山崎拓、元幹事長の加藤紘一と小泉)という同志がいた。河野には、そんな『友だち』がまったくいない」  出る杭は打たれる……というわけでもない。それは純粋に、河野自身の性格と性癖の問題だ。  

河野はほとんど、宴席に顔を出さない。一介のサラリーマンなら、そんな生き方もできるだろう。仲間とつるまず、同僚や後輩に疎まれても、運よく上司に恵まれれば出世することもできる。  

だが、河野は「永田町」の住民だ。河野の後援会関係者ですら、こんなことを語って危惧する。  

太郎さんには人が寄り付かないんですよ。酒席を共にできなくとも、普通に対話ができるなら、それでも構わない。  

でも太郎さんの場合、やっと会えてもハナから議論、100%の仕事モードで、冗談のひとつもない。その議論も、相手を論破するだけが目的だから、意思の疎通もできない。  

これでは大臣にはなれても、総理になるのは難しい。対話ができないから、太郎さんはわれわれがこう考えていることすら知らないんです」  政治の界隈には、「ニコポン」という言葉がある。国会や議員会館で官僚とすれ違う際、ニッコリと笑いながら肩をポンと叩き、「最近、どうだ?」などと気さくに声をかける所作のことだ。  

たったそれだけのことで、官僚たちはその政治家の「ファン」になる。しかし河野は、そんなことはしない。彼にとって官僚とは、命令を下し、論破するだけの有象無象に過ぎないからだ。  

したがって身内の国会議員のみならず、官僚たちの間でも河野の人気は低い。  

そんな古臭いアナログな政治をいつまでやっているんだ。昭和か!」  と、河野なら反論するかもしれない。だが、人と人が交わって織りなす、社会の究極ドラマである政治の世界に、古いも新しいもないのである。

河野よ、貸しを作れるか

 では、そんな「ニコポン」を、いまだ日常的に、さりげなく実行しているのは誰だろう?   それは、やはり二階なのだった。  

「二階さんは高齢だし、小柄なので、肩をポンとすることはできない。でも、会うといつも、『〇〇はよくできていた』『何かあったらいつでも言って』などと若手官僚にも声をかけている。  

以前はそんな政治家がたくさんいましたが、最近はずいぶんと少なくなりました。だから、悪の化身で権力の権化みたいに一部で言われているのに、意外にも官僚の間で、二階さんはとても評判がいいんですよ」(霞が関キャリア官僚)  当然それは、計算し尽くされた、二階の手練手管である。敏い官僚たちがそんなことに気づかぬはずもない。だが、わかっていても、実際にそうされると誰もが嬉しい。「抜け目ない爺さんだな」と思いつつ、つい相好を崩し、緩んでしまう。  

それが、「政治」というものだ。二階はそれを誰よりもよく知っていて、かつ実践ができる。  

一方、河野は、それがまったくできない。  

世間的には「悪」の二階に対し、河野が正義の味方でも、「政治家」としての力量という点で、両者の間には、まだとてつもない開きがある。  

二階はあえて、周りに『貸し』を作る。譲って、世話して貸しを作ることで、自らの力に変えていく河野は他人に譲らないし、自分が勝つことしか考えないから、貸しが作れない。  

一緒にいる仲間を立てて、さりげなく貸しを作れるか。それができないうちは、河野が総理になることはない」(閣僚経験者)  きっと二階は、こう言うだろう。  

どうだ河野。お前に政治ができるのか」  舞台を支えるのは、主演の役者や監督、演出家だけではない。それに河野が気づかない限り、まだまだ続く二階劇場を、終演に追い込むことはできないのだ。 (文中敬称略) -------  『週刊現代』2020年11月7日号より

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