明治に突如 国家誕生を祝いだした 意義

【正論】小堀桂一郎
目下の国難と「明治の初心」

国の紀元開始を記念するといふ発想は、江戸時代までの伝統的な宮廷の節会にも、武家社会の慣例にも、民間の歳時記的年中行事の中にも全くなかつた事である。それなのにこの日が明治初年に謂はば突如として、天長節と並ぶ重要な国家的祝日として制定されたのは何故か、どんな動機がそこに伏在してゐたのか・・・・

明治初年の日本は、国際関係から見れば実に危険な、憂慮すべき境涯・・・当時我が国に接近して来た欧米帝国主義列強が我に対して抱いてゐた支配と劫掠(ごうりやく)の意志は実に執拗(しつよう)なものだつた・・・・

現在我々を取巻いてゐる国際環境の苛酷(かこく)さは、明治初年のそれと比べてみる時、一衣帯水の近距離にある大陸と半島の特異な国が、当時の欧米よりも更に露骨な覇権主義の野望を誇示してゐる点で、より険悪だとも言へる
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