中国の横暴に勝つことが 日本の使命!

日本の使命とは?

 <バカ正直の日本人はどうして生まれたのか>
 日本人の正直さがいかなる背景から生まれてきたかを遡ってみると、神代の昔、天照大神の時代からすでに「明き心、清き心」がいわれていた。神道は他の宗教と違って戒律がほとんどない。仏教もユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、宗教には戒律があるのが当たり前なのだが、神道だけは例外なのである。では戒律のかわりに何があるのかといえば、「清めよ」とか「清き心」という、一つの信条なのだ。そういう美徳を原始神道の時代から日本人はもっていたのである。

 中国の場合は、たいがい「良心のある人間は社会から孤立する」。良心をもっている人間はなかなか社会で通用しないので、孤立させられ、疎外され、排除される。しかし、日本人の場合は誠心誠意、つまり真心がないと相手にされない。そこが日本人社会と中国人社会の決定的な違いである。

 そういう社会環境のなかで育まれたのが日本人のバカ正直な心であろう。では、この心が何故生まれたかといえば、武士道の「士道」と町人社会の「」からであろう、と私は思う。徹底的に道を極めるのが武士道だけれども、匠もそうなのである。徹底的に物事を極めて追求するというのは、やはり真心の賜物なのだ。一つ事を極めるのは、ニセを容認する心ではできないことである。(257頁)

 <嘘を本当と言い張る中国流交渉術>
 ・日中間の交渉ごとで、もっとも要注意なのがこの「没問題」の約束である。中国人が「問題ない」と口にするときは「問題だらけ」であることを肝に銘じるべきだ。

 ・日本人をいくら探しても「はったり」の達人にはお目にかかれない。「はったり」が下手だから日本人は交渉が下手なのだ。中国人にしてみれば、「はったり」が交渉術の中心であり、「はったり」で相手をいかに圧倒するかが勝利の決め手だがら、上手なのが当たり前なのである。それができない日本人が交渉下手というのも、これまた当たり前なのだ。(259頁)
 
 <誠心誠意は「タブー」と心得よ>
 中国人がどのような戦略をつねに考えているかといえば、孫子の兵法の「至善の戦い」に行き着く。すなわち至善の戦い方として常識となっているのは、「謀を伐つ」ことであり、次善は「交を伐つ」ことである。つまり、最善の策ははかりごとを伐つことで、二番めにいいのは外交、交渉で伐つことだとなる。戦いの前にいかにを考えるか、そしていかに外交をするか、というのが中国人の心得なのである。
  
 中国人にとって、交渉やつき合いは戦いに他ならない。だから日本人も、「つきあいは戦いだ」ということを忘れてはならない。日本人は対立をさけ、誠心誠意こそ最善の策と考えるが、それは明白な間違いといえる。近現代史を見る限り、満州事変から日中戦争まで、日本はあらゆる平和交渉において中国人に裏切られている。(261頁)

 
 
日本はもはや「中華にあらずんば人にあらず」というような反動国家の言いなりになっている場合ではないのだ。独立主権国家として中国に毅然と対応し、戦争責任、国民感情を盾にした「言いがかり」「ゆすりたかり」には「それでは貴国の自己責任はどこへいったのか」と切り返す。誠意や真心による期待や願望にすがり、安易な謝罪外交を繰返すのではなく、歪んだ日中関係を事実に即して糾すこと。そしてアジアの安定に貢献することこそ、国際社会が日本に期待することであり、長い目で見れば、日中双方の将来への何よりの投資となる。

 中国の横暴に勝つこと。これこそが、二十一世紀日本の使命だと、私は考える。(262頁)(黄 文雄氏 「驕れる中国 悪夢の履歴書」 福昌堂)


真中 行造のページ より 引用
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