東京裁判史観・マルクス史観に汚染されているメディア、役所そして映画界

東京裁判史観・マルクス史観に汚染されているメディア、役所そして映画界

 日本のほとんどの俳優たちが、戦後日本の自虐史観に骨の髄まで浸かっていること、自由な「」の精神を失い、7人の「A級戦犯」役を拒否する俳優が続出し、キャスティングに苦しんだことを書いた。(中略)

 加入約700人といわれる「日本映画監督協会」の会員である私だが、メンバーのほとんどは「サヨク」監督である。「保守」系の監督など、片手の指の数もいないだろう。他の製作、撮影、音声、照明、美術スタッフも同様である。そのほとんどが、戦後教育をもろに受けたスタッフばかりで、完璧なまでに「反戦自虐史観」に洗脳されている。こちら側から出されたスタッフ参加の打診に、断る人が続出した。参加してくれた人たちも、彼らから話を聞くと、相当悩んだが、脚本を読んで、まともな映画になりそうなので、大丈夫そうだから、何とかやってみようと決めたと語る人が多かった。その他にも、「サヨク」映画人から、水島が監督するような「右翼映画」には参加するなと、だいぶ宣伝やアドバイスがあったとも聞いた。

 〈口先だけの表現の自由〉
 緑山スタジオは、所有するTBSがオープンスペースでの撮影を一旦は許可しなjがら、巣鴨プリズン処刑場のセット建て込みが始まった直後、上層部からの命令で、セット建設破棄費用を負担するから、中止してくれないかの問合せ(申し入れ)が来た。もちろん丁寧にお断わりして、そんな理不尽なことを強行したら大変なことになりますよとお話した。建て込みも始まっていたので、この申し出は静かに撤回されたが、今度は、役者の控室の張り紙「南京の真実」というタイトルは、外してもらえないかと申し入れてきた。「いろいろ、NHKさんや外部の方も多くいらっしゃいますので」ということだが、中国人も来るということだろう。大抵こうした張り紙には『「水島組 南京の真実 「七人の『死刑囚』」○○○様』と書かれる。見て恥ずかしくなるようなエログロの映画タイトルではない。「南京の真実」という題名が拒否されたのである。

 〈戦後日本を象徴するもうひとつの事件〉
 豊島区の池袋サンシャインビル前は巣鴨プリズンの跡地で、処刑場のあった場所は小公園となっている。その絞首刑執行場所には「永久平和を願って」と文字が刻まれた石碑が建っている。私達の映画脚本では、その碑の前で花を供える子供二人の姿が書かれている。ところが、この公園の撮影許可願いを提出しに行った政策担当から報告があった。「普通のドラマだったら問題はないんですが、これはちょっと難しいかもしれません。上司に相談しないと・・・」と言われたのである。そこで爆破や乱闘、あるいはセックスシーンを撮影するわけではないのだ。それがこれである。戦後日本の表現の自由というものは、この程度のものなのである。(中略)

 この事件で改めて痛感させられたことは、『メディア』や『役所』が、いかに中国やサヨク団体などの「圧力団体」に弱いかという実態である。その臆病卑怯と現状追従は、まさに戦後日本が行き着いた果ての姿のように思われる。そして、気づいたのは、マスメディアが圧力団体に弱いと言われる中で、私達保守の側に、表現の自由や公正さを要求する「合法的」圧力団体が、実は皆無であるということだった。この雑誌「正論」や小さいながら私達「日本文化チャネル桜」が、細々とした窓口になっているのが、現在の日本なのである。(水島 総 日本文化チャネル桜代表 映画「南京の真実」製作日誌 「正論」平成20年1月号)

真中 行造のページ  2008年2月20日より 引用
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ヒラリーと ... 米国国民は全... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。