江藤 淳 & 毛沢東の言葉

江藤 淳 & 毛沢東の言葉

 中国人だって別の国の人じゃないですか。しかも、日本は中国と「戦争」したことはない んですよ。中国との間に長期にわたって戦闘行為は継続していたけれども、本当は日本人から言えば、中国に宣戦布告したことは一度もないんですね。
 われわれの視点から見た中国は四分五裂だったといわざるを得ない。南京政府は同盟軍だった。だからこそ陳公博は実際日本に亡命して来たじゃありませんか。終戦の詔勅でもちゃんと陛下は仰せられている。
 朕ハ帝国ト共二終始東亜ノ解放二強力セル諸盟邦二対シ遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ス。
 当時の政府はこの通りにした。従ってビルマのバー・モ博士も、陳公博も、フィリピンのラウレル大統領も、みんな日本に亡命してきた。
 つまり、中国の現政権は、当時の四つのうちの一つに過ぎない。日本は中国と同盟すらしていたという事実があったことを指摘されたらどうするつもりなのか。それはいまや政治的には解決されてしまった事実かもしれない。しかし歴史上の事実ではあるのです。現在だって中国には二つの政権が依然として存在するじゃないですか。台湾に政権が実存する以上、北京政府は統一に成功しているとは到底云えない。だから中国問題はいまだに解決していないのです。(江藤 淳 靖国論集 日本教文社)

 毛主席:友人の皆さんを歓迎します。-略ー日本の友人たちは、皇軍が中国を侵略して申し訳ないと言いました。私は、いいえ、と言いました。もし、日本の皇軍が中国の大半を占領していなかったら、中国人民は団結して、これに反対して闘うことができなかったし、中国共産党は権力を奪取することができなかった でしょう。ですから、われわれにとって、日本の皇軍は立派な教師だったのです。ー略ー

 佐々木:今日、毛主席からひじょうに寛大なお話しをうかがいました。過去、日本の軍国主義が中国を侵略してみなさんに大変ご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います。

 毛主席:なにも誤ることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、わたしとあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね。

 佐々木:ありがとうございます。

 毛主席:過去のことは話さないことにしましょう。-略ー(「毛沢東主席との会見 1964年7月10日、人民大会堂」)(『大衆政治家 佐々木更三の歩み』 総評資料頒布会 昭和55年1月12日発行 (476頁)

真中 行造のページ  2008年2月15日より 引用
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