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あとはおまかせ
失敗だった朝鮮戦争対処 再軍備の機会を逃した吉田茂
そうなんですね 再確認しましょう
韓国の竹島侵略では日本人40人以上がなくなり、約4000人が韓国に拉致されました
これほど日本史上に害をもたらした政治家は他に居ない
トトメス5世
朝鮮戦争で負けそうだったアメリカは日本軍の朝鮮出兵を要請した。
これに応じていれば、日本はとっくに再軍備しアメリカと対等な同盟国だった。
引用:http://www.kanda-zatsugaku.com/121116/20.JPG
日本を敗戦国にした吉田首相
自衛隊派兵を巡って再び合憲か違憲かの議論が起き、安倍首相と自民党は憲法改正を目指しています。
ところが65年前アメリカは日本に再軍備を依頼し、何の苦労もせず再軍備は可能だったのです。
1950年6月に韓国は北朝鮮から奇襲攻撃を受け、国土の95%を占領されてしまいました。
アメリカ軍が辛うじて踏みとどまったのが現在の釜山で、日本からの輸送によって持ちこたえていました。これを助けることができるのはアメリカ軍でしたが、アメリカは日本軍の再結成と朝鮮出兵を要請してきました。
吉田首相がこれを突っぱねて平和憲法を守ったのは、今では美談として語られています。吉田首相の外交的失敗によって日本は竹島を韓国に奪われ、現代の日本人は憲法改正にしぬほど苦労させられています。
反日の人々は吉田を名宰相に祭り上げたが、実際は日本を「敗戦国」にした張本人
愚かな政治家が「敗戦国日本」を作った
アメリカによる再軍備要請に対応してこの後、警察予備隊を結成し自衛隊創設につながっています。
朝鮮出兵についても旧日本軍のような活動を期待された訳ではなく、いわゆる後方支援や守備隊のような事だったでしょう。
アメリカの再軍備と出兵要請は日本が労せずして「敗戦国」からアメリカの「戦友」に昇格できるチャンスでした。
日米安保があっても実態として「敗戦国」「敵国」と「戦友」とでは決定的に違います。
もし日本軍が朝鮮出兵していれば、その後の65年間、日米関係はずっと協力的に推移したでしょう。
もっと決定的な事は、1950年に日本軍を再結成していれば1952年に竹島を韓国に侵略される事は無かったのでした。
韓国の竹島侵略では日本人40人以上がなくなり、約4000人が韓国に拉致されました。
吉田首相の間違った決定さえなければ、これらの不幸な事態は起こらなかったのです。
1950年に再軍備してれば日本国憲法の法的な解釈も今とはまったく違ってきます。
日本以外の全ての国では憲法は『禁止されている事以外は合法』なのに対して、日本では『認められている事以外は違法』という解釈がなされました。
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