ノーベル賞的詐欺 国連環境事務局の創設者モーリス・ストロング

そういう 野郎だったんですね

 

『氏は気候モデルを作ったつもりが、それを詐欺のネタにされたことにちょっと割りきれない風に見えた。』

以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
本論文は、特に、日本国民全員のみならず世界中の人達が必読


ノーベル賞的詐欺


ネブラスカは昼は暑く夜は寒い。
天気も変わりやすく、だから育つ人間も気分屋が多い。
その代表がアンナ・ルイーズ・ストロングと言われる。 
シカゴ大で共産主義を知ると、頭からのめり込んで、思い立つままソ連に飛んでいってしまった。颯爽としたアメリカ女は使える。
スターリンも彼女の好きに任せた。
当時、ウクライナの大飢饉やら粛清やらが大流行りだったが、彼女にはそれは見えない。
モスクワで英字紙を出して共産主義万歳を唱え続けた
気分屋アンナはそのうち支那の毛沢東にも興味を持ち、重慶で周恩来に会い、延安も訪れている。 
最前線を見たいという彼女に、毛が鄧小平宛てに「いい宣伝になる。丁重にもてなせ」と命じた文書が今に残る。
そんな待遇が気に入ったのか1958年、アンナはソ連を捨てて北京に棲みついてしまう。
支那こそ理想の共産主義国家と信じてのことだろうが、その年、毛は3000万人を餓死させる「大躍進」を始動する。
同時にチベットでは支那侵攻に抵抗する数万の民を殺戮するよう命じた。
彼女は血糊がまだ乾かぬラサを旅しながら「支那では罪を犯した者を処刑せず追放もしない」と毛を持ち上げる発言をしている。
嘘に躊躇いを見せない共産主義者らしい口ぶりだが、そう言い切るのは彼女の甥モーリス・ストロングのためと言われる。
おかげでカナダ生まれの甥は叔母を通して支那の支配階級に深く食い込んだ。
アンナが亡くなった2年後、モーリスは国連に入ったばかりの支那の後押しで国連環境会議の事務局長に就任する。
彼はこのときから支那と組んで「環境保護を口実に先進国の産業を弱体化させ、環境でカネ儲けする」作戦を始めた。


きっかけとなったのは当時、プリンストン大で発表された「放射収支」理論
地球が太陽から受ける熱量と地球が発散する熱量を測ってみたら驚くなかれ、地球の放出量が多くて地球は平均零下17度になる。 
それが平均15度に保たれているのは大気中に僅か0・03%含まれるC0₂のおかげだという話
そこから導かれる結論に、もしC0₂が増えれば温暖化が急速に進むだろうという想定があった。
支那人とモーリスはそれだけで詐欺話をプロットした。
多量のC0₂を出す先進工業国は後進国から排出権を買うがいい。
ただし世界の3分の1を出す支那は後進国扱いで適用から外した。
詐欺立案国の特権だった。


モーリスはアル・ゴアを仲間に入れ、温暖化はもはや現実だ。北極海のシロクマは死滅し、キリマンジャロの雪は消えると『不都合な真実』で映像化した。


すかさずモーリスと支那は第二弾を出した。
「車はC0₂を出さない電気自動車(EV)の時代だ」がそれだ。
EVは電池で走る。それに欠かせないのがレアメタルのネオジウムで、それは内モンゴルにしか産しない。支那の独り儲けになる。


「でもEVにしたら大量の電気がいる」には「支那製太陽光パネルを用意しています」と。
トヨタを筆頭とする日本の精緻な内燃機関はもう必要ない。
レアメタルと安いモーターで支那が世界を牛耳ろうという戦略だ。
しかしアル・ゴアの予言から随分経つが、シロクマはむしろ増え、キリマンジャロにも雪は降り続く。 


みんなが首を捻り出したころ、モーリスは国連を舞台にした別件の詐欺で手配され、叔母と同様、支那に逃げこんだ。
そして環境をネタにした詐欺師は何も語らないまま鬼籍に入ってしまった。


プリンストン大上席研究員の真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞を受賞した。
授賞理由が「気候変動の予測」と聞かされて「そっちですか。驚きです」と正直に語っていた。
氏は気候モデルを作ったつもりが、それを詐欺のネタにされたことにちょっと割りきれない風に見えた。

 

モーリスについては

第十六章:環境主義の裏にいる共産主義(上) (2019年10月20日) - エキサイトニュース(8/41)

この世界的な環境運動には多くの思想家、政治家、科学者、社会活動家、メディア関係者が関わっている。ここで彼らの思想やスピーチ、活動を列挙するスペースはないが、一人だけ特筆すべき人物がいる。国連環境事務局の創設者モーリス・ストロング(Maurice Strong)である。カナダ人の彼は1972年の国連人間環境会議を組織し、また1992年には環境と開発に関する国際連合会議を開催した。彼は左翼ジャーナリストで中国に移住したアンナ・ルイーズ・ストロング(Anna Louise Strong)の甥である。モーリス・ストロングは彼女から深い啓発を受け、彼自身を「イデオロギーでは社会主義者であり、方法論では資本主義者だ」と語っている。【13】


ストロングは世界の環境運動の中で重要な立場にあった。「彼は路上で抗議する過激な環境主義者たちと同じ意見を持っていたが、彼自身は国際会議前で警察のバリケードに向かって叫ぶわけではなかった。代わりに、彼は室内で小槌を叩く議長だった」【14】


ストロングが率いる国連機関が示す見解は、ほぼマルクス主義と一致するとサスマンは指摘する。「土地の私有は富の蓄積の主な手法であり、それは社会に不公正を促す。従って、公衆による土地の支配は不可欠である」【15】ストロングは退任した後、北京に居を構え、2015年に死亡した。


ソ連専門家のナタリー・グラント・ラガ(Natalie Grant Wraga)は、この問題について深い分析を行っている。「環境保護という口実を使えば、先進国の産業を弱体化させる対策を適用できる。さらに、彼らの生活水準を下げることによって倦怠感を導入し、共産主義の価値観を植え付けることができる」【16】実際、環境主義は旧共産圏から生まれただけではない。それはより深いレベルで、世界中の自由を奪うという共産主義のゴールに関連しているのである

 

国連を舞台にした別件の詐欺については  2006の記事ですが↓

朴東宣逮捕とモーリス・ストロング - 郎女迷々日録 幕末東西

 

 

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