「武者小路実篤」な人々

青木直人
「武者小路実篤」な人々
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時代の対立軸は「保守」と「サヨク」の二項論にはない・・・経済のグローバル化と政治(文化)の一国性。資本の地球的規模の拡大と、しかし、にもかかわらず、人々は18世紀的な国民国家単位で生活しているという現実。このふたつの事実が摩擦を起こし、軋みを生み出し、歴史や文化との衝突を生じさせているのである。

歴史は単純に繰り返さない。目の前に展開しているのは、地球的規模の、新しい時代の、新たな矛盾なのである。経済の国際化と各国の政治文化の摩擦が地球的規模で拡大している。これは左右の対決という従来の構図では理解はできまい。

経済のグローバル化が進展する中で、日本人には、あるいは世界の人々には国益が何かということが冷戦時代ほど明確に意識されなくなっている。それが民主党的な無国籍政権(サヨク政権ではない)を違和感なく生み出してしまう政治的な土壌なのである。そして鳩山や菅らに代表される全共闘世代の政治家たちの無国籍的世界観と国境を越えて利益を追求する資本の脱イデオロギー性が奇妙な調和を保っているのが、今現在の日本の姿なのである。

民主党は無国籍気分のまま、なんとなく「地球市民」、ソフトなコスモポリタンの海を泳ごうとしている。それが国家に対する不感症、国旗に対する敬愛のなさ、GHQ丸写しの歴史観、領土・領海への無警戒となって表面化する。
菅は所信表明のなかで、鳩山に続いて、「東アジア共同体」を進めると言明した。ここにはEUという壮大な夢がいまや現実に崩壊のふちにあるという危機感は伺えない。共同体という言葉は美しい。だが異なる文化や歴史、それに生活習慣をもつ異民族が「共生」することの困難さが次々に露呈しつつあるのが世界の現実である。この能天気さはなんなのか。

それだけではない。軍国化する中国、一触即発の朝鮮半島に対する警戒感もない。ただただあるのは「隣国とは仲良くしよう」というだけの子供じみた願望である。彼らの頭の中には武者小路実篤的な「仲良きことはよきことかな」という理念しかない。なるほどこれなら確かに衝突はすまい。ただし、ひたすら日本が譲歩だけをしている限りにおいては、である。

事実、民主党はひたすら譲歩だけを繰り返す。そればかりか、よりによって、次期中国大使は伊藤忠の相談役だという。同社が膨大な賄賂を中国要人たちに包んできたことは業界人なら知らないものはまずいない
日本側の一方的な譲歩は国益確保にはつながっていない。現在は新たな帝国主義の時代である。中国の北朝鮮経済支配の完成はその絶好の証左である。「武者小路」外交なるもののお花畑さをいずれ胡錦濤と金正日が身を持って、我々に教えてくれるだろう。

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