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安藤美姫

安藤美姫選手を応援している方々の素晴らしいメッセージに彩られたブログです。

蠱惑的な鳶色の瞳に...☆Katarina not farewell but forever...

2008年02月20日 | フィギュアスケート
 安藤美姫選手が「カルメン」を演じるようになってから、まるで映画のフラッシュ・バックのように、美しいカタリナ・ヴィットの面影が、あの蠱惑的な鳶色の瞳が、私の脳裏に幾度となく蘇ってきました。
 安藤美姫さんを応援している私が今頃、白状するのも心苦しいのですが、私が生まれて初めて間近に観たスケーターがカタリナ・ヴィットさんでした。もう皆さんもうすうす気づいているとは思いますが、私はカタリナ・ヴィットさんが大好きでした。アイスショーで観たカタリナさんは、気位が高い銀盤の女王というイメージからは程遠い、人間的な温か味のある華やかなトップ・スケーターでした。アイスショーの最後に小さな少女がカタリナに花束を渡した時には、カタリナは嬉しそうな優しい笑顔でその少女を見つめ、愛情を込めてその少女をしっかりと抱きしめました。他にどんなスケーターが出演していたのかまったく思い出せないほど、それほど、カタリナには圧倒的な存在感がありました。忘れていたカタリナのかすかな表情まで今まざまざと瞼に浮かぶのは何という運命の悪戯でしょう。もしも、私が安藤美姫選手を応援していなければ、美しいカタリナ・ヴィットの思い出の数々は私の心の奥深くに埋もれたままになっていたかもしれません。そして、最近、私はあの懐かしい明るい笑顔のカタリナのことをもっと知りたくて、また、スケート人生に今年お別れを告げるカタリナのことを想いながら、カタリナに関する記事や本を読みました。
 なかでも、カタリナ・ヴィット自身が執筆した『ビットが明かす銀盤人生』という著書にはびっくりするようなエピソードが沢山ありましたが、とても悲しかったのは、私が想像していた以上に、カタリナ・ヴィットは人生の辛酸を嘗めていたことでした。何年間もフィギュアスケートの頂点に君臨して、輝かしい記録と演技を生み出し続けた美しいカタリナが、どうして酷い誹謗、中傷を受けなければならなかったのか私にはまったく理解出来ません。また、カタリナはパパラッチに執拗に追いかけ回され、ストーカーに命を脅かされ、挙句の果てには、売国奴呼ばわりまでされて、心がずたずたに傷ついていたこともありました。それでも救われるのは、カタリナには、持ち前の陽気さと聡明さがあり、気丈で、ユーモアのセンスもあり、カタリナを理解する友人が周りにいたことでした。
 しかし、トップ・スケーターとして、堂々としていて、プレッシャーに強そうに見えたカタリナが、実は凄まじい不安や葛藤を抱え、とても繊細で、感情に左右されやすく、体調不良にも悩まされ、神経過敏なところもあったことには驚きました。
 カタリナは、サラエボ・オリンピックで金メダルを取った時のことを回想して「音楽スタート。なかば失神状態で滑り始める。これほど不安な心を抱きながら、オリンピックで優勝した人は一人もいないだろう」と綴っています。
 そして、カタリナは、カルガリー・オリンピックの「カルメン」でも、有名なハバネラの場面に来た時、突如ひどく気分が悪くなり、出来れば演技を中止したいと思う程の疲労感と脱力感に見舞われたことを告白しています。その時、トリプル・ループをダブルにするという安全策で苦境を乗り切り、力が蘇ってくると、その後はジャンプに成功し、カタリナは心の中で「何がなんでもカルメンを演じ続けるんだ」と強く叫びます。その執念と気迫はあの眩惑の鳶色の眼差しにも映し出されていました。
 オリンピックで二度優勝した後、プロに転向したカタリナ・ヴィットはその後も、氷上にしっかりと物語を描きたいという確固たる信念を持ち続けました。


 先日の安藤選手の「カルメン」を観ていると、四回転のミスの後、「何がなんでもジャンプは失敗したくない」という気持ちが滲み出ているような「ジャンプの安藤美姫」の姿を私は観たような気がしました。そして、カルメンの魂はどこかに姿を消してしまったようでした。「ジャンプの安藤」というアスリートが、同時に、氷上に物語を描き、情念を刻む「表現者の安藤美姫」になることが如何に難しいことかを感じさせる四分間でもありました。
 しかし、苦しみの極みの中で「カルメン」の物語を演じ切ったカタリナ・ヴィットが強くて脆く、脆くて強かったことを思うと、安藤選手も何も恐れることはありません。偏頭痛がまた襲って来ても、何があっても恐れないで、迷わないで、揺ぎなき安藤美姫であって下さい。そうすればきっとまた舞姫は眩しい天才の輝きを放つことが出来るのですから。


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