
All art aspires to the condition of music. --Walter Pater--
すべての芸術は音楽の状態に憧れる。--ウォルター・ペーター
長野オリンピックで、イリヤ・クーリック選手が完璧な演技を終えた時、リンクサイドには、諸手を挙げて感極まるタラソワコーチの姿があった。あれから十年、ようやく、タチアナ・タラソワがフィギュアスケート殿堂入りを果たした。数々の金メダリストを生み出して来たタラソワコーチであるが、なかでも忘れ難いのは、氷上の生きた彫像、マリナ・クリモワとセルゲィ・ポノマレンコが1992年のアルベールヴィル・オリンピックで表現した『バッハの組曲』による舞である。あらゆる芸術に精通し、とりわけ、バレエと音楽に造詣の深いタラソワコーチはバロックの巨匠、バッハの名曲に、マリナ・クリモワというミューズの力を借りて、新たな生命を吹き込んだ。実際、ここでは、音楽が踊りの為のBGMになっているのではなく、音楽が氷上の女神によって、深みを増し、生き生きとした響きで輝き、その音色は女神の体に絡みつき、音色と女神が一つとなって、融合している。この完璧な調和は、どの瞬間を捉えても、ロダンの彫像のように美しく、血と肉を供えた生身の芸術作品が氷上に出現して息吹いている。
当時、朝日新聞でもマリナ・クリモワとセルゲィ・ポノマレンコの美しい写真が大きく掲載された。まるで、氷上の女神の勝利を国境を越えて、世界中のメディアが祝福しているかのようだった。
タチアナ・タラソワを始め、旧ソビエト出身のコーチや選手は祖国を愛する心、祖国の芸術、とりわけ音楽とバレエに対する深い愛と強い誇りを持っているように感じられる。その誇り高い精神がフィギュアスケートを芸術の域にまで高めることを可能にしているのではあるまいか。
今やソビエト連邦も崩壊し、フィギュアスケートへの援助や体制が変わってしまったのか、往時の輝きが失われているようで寂しい。
タチアナ・タラソワコーチは今も精力的に選手の振り付けをしていると聞くが、彼女が疲れた一日を終えて、夜、眠りに就く時、心に浮かぶのは、現在振り付けをしている選手だろうか。それとも、心をひとつにして共に氷上の芸術を創り上げた懐かしいマリナ・クリモワとセルゲィ・ポノマレンコの幻のように美しい姿であろうか。あるいは長野で眩しい才能の輝きを魅せたイリヤ・クーリークの満面の笑みであろうか。いずれにしても、芸術をこよなく愛するタチアナ・タラソワの胸に去来するのは、やはり芸術への深い造詣を備えたアスリートの姿ではなかろうか。
すべての芸術は音楽の状態に憧れる。--ウォルター・ペーター
長野オリンピックで、イリヤ・クーリック選手が完璧な演技を終えた時、リンクサイドには、諸手を挙げて感極まるタラソワコーチの姿があった。あれから十年、ようやく、タチアナ・タラソワがフィギュアスケート殿堂入りを果たした。数々の金メダリストを生み出して来たタラソワコーチであるが、なかでも忘れ難いのは、氷上の生きた彫像、マリナ・クリモワとセルゲィ・ポノマレンコが1992年のアルベールヴィル・オリンピックで表現した『バッハの組曲』による舞である。あらゆる芸術に精通し、とりわけ、バレエと音楽に造詣の深いタラソワコーチはバロックの巨匠、バッハの名曲に、マリナ・クリモワというミューズの力を借りて、新たな生命を吹き込んだ。実際、ここでは、音楽が踊りの為のBGMになっているのではなく、音楽が氷上の女神によって、深みを増し、生き生きとした響きで輝き、その音色は女神の体に絡みつき、音色と女神が一つとなって、融合している。この完璧な調和は、どの瞬間を捉えても、ロダンの彫像のように美しく、血と肉を供えた生身の芸術作品が氷上に出現して息吹いている。
当時、朝日新聞でもマリナ・クリモワとセルゲィ・ポノマレンコの美しい写真が大きく掲載された。まるで、氷上の女神の勝利を国境を越えて、世界中のメディアが祝福しているかのようだった。
タチアナ・タラソワを始め、旧ソビエト出身のコーチや選手は祖国を愛する心、祖国の芸術、とりわけ音楽とバレエに対する深い愛と強い誇りを持っているように感じられる。その誇り高い精神がフィギュアスケートを芸術の域にまで高めることを可能にしているのではあるまいか。
今やソビエト連邦も崩壊し、フィギュアスケートへの援助や体制が変わってしまったのか、往時の輝きが失われているようで寂しい。
タチアナ・タラソワコーチは今も精力的に選手の振り付けをしていると聞くが、彼女が疲れた一日を終えて、夜、眠りに就く時、心に浮かぶのは、現在振り付けをしている選手だろうか。それとも、心をひとつにして共に氷上の芸術を創り上げた懐かしいマリナ・クリモワとセルゲィ・ポノマレンコの幻のように美しい姿であろうか。あるいは長野で眩しい才能の輝きを魅せたイリヤ・クーリークの満面の笑みであろうか。いずれにしても、芸術をこよなく愛するタチアナ・タラソワの胸に去来するのは、やはり芸術への深い造詣を備えたアスリートの姿ではなかろうか。