
L'imagination est la reine des facultés. --Charles Baudelaire.
想像力は諸能力の女王である。--シャルル・ボードレール
今年三月に、カタリナ・ヴィットは氷上に別れを告げる最後のショーを行った。今後はカタリナ・ヴィットは解説者の仕事とともに、障害を持った子供達の支援に一層の力を注ぐということである。私が間近で観た、幼い少女を見つめるカタリナの眼差しの優しさが真実であったことを私は心から嬉しく思う。
今まで銀盤に美しいドラマを描き続けたカタリナへのはなむけの言葉は、やはり彼女の美しい思い出だけで彩りたい。多くの天才がそうであるように、毀誉褒貶の生涯を送ってきたカタリナ・ヴィットだが、私は彼女の魅力だけをここで語りたいと思う。
1988年、カタリナ・ヴィットがカルガリー・オリンピックで金メダルを獲得した翌年、ベルリンの壁が崩壊した。ベルリンの壁崩壊は、多くの民衆に、「感動」と「歓喜」を与え、分断されていたドイツの統一は、歓迎を以って、受け入れられた。だが、東独出身のカタリナは、それまで築き上げてきた美しいものが打ち砕かれ、心が崩壊する程の悲惨な試練に見舞われる。東ドイツの宝石は、気がつけば「筋金入りの赤」、「フィギュアスケート界のマタ・ハリ」とまで罵倒される。しかし、耐え難い非難の嵐に晒されても、どんなに酷い誹謗、中傷を浴びせられても、カタリナは毅然として、「祖国を愛する」という自己の信念を貫いた。自己保身をはかって、一緒に祖国を貶めることも出来たかもしれない。その方が遥かに楽に生きられたかもしれない。だが、今までずっと断固たる意志を持って、自分の心に誠実に生きてきたカタリナは、攻撃の矢面に立っても、決して怯まなかった。虚しい風見鶏や日和見主義者になることを望まなかった気骨あるカタリナの心は、しかし、一方では繊細さで震え、ずたずたに傷ついていた。祖国がかつて分断されていたように、彼女の心も苦悩で分断され、引き裂かれていたのだ。そんな渦中にあった彼女が心底どうしても世界中に向けて伝えたいという思い、それが「平和への祈り」だった。
1984年にカタリナが初めて金メダルを獲得したサラエボの地は、当時、紛争の最中にあった。自分に金メダルとともに夢と希望をもたらしたサラエボの地が銃弾によって荒廃し、戦火にまみれていることに心を痛めたカタリナは、反戦歌『花はどこへ行った』を通して、「平和への想い」をオリンピックという平和の祭典の場で表現したいと強く思うようになった。そうすることが、たとえ、どれほど多くの犠牲を払うことになろうとも。
ドイツが生んだ最も美しく強い女優の一人、マレーネ・ディートリッヒが、かつて、ナチス・ドイツに抵抗して、この反戦歌をドイツ語で歌い、祖国を裏切った者として、激しい非難を浴びた事実がカタリナの人生と重なる。分断された祖国、そして失われた祖国を愛するディートリッヒの悲しみも汲み取って、カタリナはこの美しい曲を選んだのではなかろうか。
昨年公開された映画『サラエボの花』が伝えるように、戦禍の爪痕は今尚、サラエボの街にも人々の心にも癒えない傷のように残っている。一作の映画が忘れ難いメッセージを観客に伝えることが出来るように、1994年、リレハンメル・オリンピックで、カタリナが銀盤に刻んだ力強いメッセージもまた、私達の心の琴線に触れた。それは「反戦」を越えて、「平和への強い憧れと渇望」というカタリナの「究極の思い」で満たされていた。

戦争が始まり、サラエボの街に砲弾が落とされ、子供を失い、嘆き悲しむ母。恐れ戦き、逃げ惑う人々。苦悩に打ちひしがれる心。そして、それらを踏みつけていく兵士の行進。そうだ、砲弾の音が聞こえる中を軍隊が通り過ぎるステップ・シークエンスだ。戦争の苦悩を氷上でこんなに力強く描くことが出来る女性のスケーターが他にいたであろうか。そして、兵士が去り、砲弾の音が止み、やがて街に平和が戻って来る。そう、平和だ。カタリナが何よりも望んでいた平和だ。踏みしだかれた花、枯れていた花々。しかし、街に再び花は戻って来たのだ。平和の円弧を描いて、両手一杯に溢れる花を抱えるカタリナ。これが平和だと言わんばかりの笑顔。心の平和が得られなかった当時のカタリナが全身全霊を込めて舞った姿は今も強烈に私の脳裏に焼きついている。
そして、それから十数年の歳月が流れても、カタリナの『花はどこへ行った』を再び観ると、何故か今も涙が自然と流れる。感動の涙なのか、何なのかそれさえもわからない。それほど深遠な感情だ。カタリナが氷上に描いたドラマには彼女の全人生が反映されている。その人生の重みに、その思いの深さに今も胸が震える。
カタリナ・ヴィットは銀盤を去っても、その力強く美しい姿はいつまでも人々の心の銀幕に残ることであろう。
想像力は諸能力の女王である。--シャルル・ボードレール
今年三月に、カタリナ・ヴィットは氷上に別れを告げる最後のショーを行った。今後はカタリナ・ヴィットは解説者の仕事とともに、障害を持った子供達の支援に一層の力を注ぐということである。私が間近で観た、幼い少女を見つめるカタリナの眼差しの優しさが真実であったことを私は心から嬉しく思う。
今まで銀盤に美しいドラマを描き続けたカタリナへのはなむけの言葉は、やはり彼女の美しい思い出だけで彩りたい。多くの天才がそうであるように、毀誉褒貶の生涯を送ってきたカタリナ・ヴィットだが、私は彼女の魅力だけをここで語りたいと思う。
1988年、カタリナ・ヴィットがカルガリー・オリンピックで金メダルを獲得した翌年、ベルリンの壁が崩壊した。ベルリンの壁崩壊は、多くの民衆に、「感動」と「歓喜」を与え、分断されていたドイツの統一は、歓迎を以って、受け入れられた。だが、東独出身のカタリナは、それまで築き上げてきた美しいものが打ち砕かれ、心が崩壊する程の悲惨な試練に見舞われる。東ドイツの宝石は、気がつけば「筋金入りの赤」、「フィギュアスケート界のマタ・ハリ」とまで罵倒される。しかし、耐え難い非難の嵐に晒されても、どんなに酷い誹謗、中傷を浴びせられても、カタリナは毅然として、「祖国を愛する」という自己の信念を貫いた。自己保身をはかって、一緒に祖国を貶めることも出来たかもしれない。その方が遥かに楽に生きられたかもしれない。だが、今までずっと断固たる意志を持って、自分の心に誠実に生きてきたカタリナは、攻撃の矢面に立っても、決して怯まなかった。虚しい風見鶏や日和見主義者になることを望まなかった気骨あるカタリナの心は、しかし、一方では繊細さで震え、ずたずたに傷ついていた。祖国がかつて分断されていたように、彼女の心も苦悩で分断され、引き裂かれていたのだ。そんな渦中にあった彼女が心底どうしても世界中に向けて伝えたいという思い、それが「平和への祈り」だった。
1984年にカタリナが初めて金メダルを獲得したサラエボの地は、当時、紛争の最中にあった。自分に金メダルとともに夢と希望をもたらしたサラエボの地が銃弾によって荒廃し、戦火にまみれていることに心を痛めたカタリナは、反戦歌『花はどこへ行った』を通して、「平和への想い」をオリンピックという平和の祭典の場で表現したいと強く思うようになった。そうすることが、たとえ、どれほど多くの犠牲を払うことになろうとも。
ドイツが生んだ最も美しく強い女優の一人、マレーネ・ディートリッヒが、かつて、ナチス・ドイツに抵抗して、この反戦歌をドイツ語で歌い、祖国を裏切った者として、激しい非難を浴びた事実がカタリナの人生と重なる。分断された祖国、そして失われた祖国を愛するディートリッヒの悲しみも汲み取って、カタリナはこの美しい曲を選んだのではなかろうか。
昨年公開された映画『サラエボの花』が伝えるように、戦禍の爪痕は今尚、サラエボの街にも人々の心にも癒えない傷のように残っている。一作の映画が忘れ難いメッセージを観客に伝えることが出来るように、1994年、リレハンメル・オリンピックで、カタリナが銀盤に刻んだ力強いメッセージもまた、私達の心の琴線に触れた。それは「反戦」を越えて、「平和への強い憧れと渇望」というカタリナの「究極の思い」で満たされていた。

戦争が始まり、サラエボの街に砲弾が落とされ、子供を失い、嘆き悲しむ母。恐れ戦き、逃げ惑う人々。苦悩に打ちひしがれる心。そして、それらを踏みつけていく兵士の行進。そうだ、砲弾の音が聞こえる中を軍隊が通り過ぎるステップ・シークエンスだ。戦争の苦悩を氷上でこんなに力強く描くことが出来る女性のスケーターが他にいたであろうか。そして、兵士が去り、砲弾の音が止み、やがて街に平和が戻って来る。そう、平和だ。カタリナが何よりも望んでいた平和だ。踏みしだかれた花、枯れていた花々。しかし、街に再び花は戻って来たのだ。平和の円弧を描いて、両手一杯に溢れる花を抱えるカタリナ。これが平和だと言わんばかりの笑顔。心の平和が得られなかった当時のカタリナが全身全霊を込めて舞った姿は今も強烈に私の脳裏に焼きついている。
そして、それから十数年の歳月が流れても、カタリナの『花はどこへ行った』を再び観ると、何故か今も涙が自然と流れる。感動の涙なのか、何なのかそれさえもわからない。それほど深遠な感情だ。カタリナが氷上に描いたドラマには彼女の全人生が反映されている。その人生の重みに、その思いの深さに今も胸が震える。
カタリナ・ヴィットは銀盤を去っても、その力強く美しい姿はいつまでも人々の心の銀幕に残ることであろう。
あなたの記事を拝読して、懐かしいカタリーナ・ビットの思い出が蘇ってきました。
特にあの兵士の行進のパフォーマンスには、カタリーナの万感の思いが篭っているように感じられ、胸に迫ってきます。
忘れていた感情があなたの記事のお陰で戻って来ました。
素晴らしい記事、有難う御座いました。
カタリナが脚を高く上げ、両腕を力強く振って進んで行くあの兵士のステップ・シークエンスは私も忘れることが出来ません。
カタリナは88年のカルガリー・オリンピックで金メダルを獲得した後、プロスケーターに転向しますが、94年、リレハンメルで、「花はどこへ行った」を表現したい為に、想像を絶する程のトレーニングに励み、オリンピックに出場します。メダルのことなどもはや意に介さず、そんなことはもうどうでもよい、自分にはどうしても世界中に伝えたい強い思いがある、それは「平和への願い」だというカタリナの精神性の高さと信念のある生き方に私は心から感動しました。
ですから、リレハンメル・オリンピックでは、私はまた、あのカタリナが戻って来た、あのカタリナの舞を今、私は観ているのだという喜びと、「平和の祈り」で、街に花が戻って来たというカタリナの喜びの表現が重なり、感無量になりました。
今も世界では、紛争や戦争が絶えない過酷な現実を思うと、カタリナが氷上で表現したメッセージは力強く、深く、いつまでも私の心に刻まれています。
カタリナへの想いを綴りながら、私は、表現力のあるスケーターとしてだけでなく、思索を深めた人間、カタリナ・ヴィットをどれほど尊敬していたか、そして今も彼女の美しい思い出を忘れずに大切にしていることを改めて思い知りました。