今日は娘の誕生日~!

月日の経つのは早いものですね。
ここ、滋賀で私の出産体験談を話すと、結構面白がられるので、
今日は、思い出話を。
アメリカ南部の都市、ヒューストンでの出産体験です。
妊娠が分かったとき、私は転職を控えておりました。でも、無事転職できました。

1:アメリカの労働法は、妊婦だからといって就職差別を行うことは違法行為としています。しかし、新入社員の特別休暇は厳しいぃ。
・・・妊婦でも就職に問題がないのはこのためです。少しお休みされるだけなんですからね。
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出産時期が判明したので、次は託児所探しです。
我々は、旦那が勤務していた大学に学生、職員用の託児所と、もう一つ、教育学部付属のような学校があったので、その二つを利用しました。
便利で、安心、この上なし!でした。

2:託児所の数は多いです。安いところから高級なところ、得意分野、設備、理念もいろいろです。「ここ、いい!」というところは、人気があるので、妊娠中に要予約です。
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友達がベビーシャワーを開いてくれ、ベビー用品がいろいろ揃っていきました。

3:お店に欲しいものリストを用意して、値段に応じてリストの中からプレゼントを選んでもらう、という方法や、プレゼントのなかに「ギフトレシート」という値段の付いていないレシートを付けてもらったりします。重なってしまった場合などは、ギフトレシートと物を持ってお店に行けば、返品、返金OKなのです。
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いよいよ予定日が近づいてきました。
いざというとき用の入院バックを車に常備して通勤です。
9月19日、夕方4時、病院アポ。促進剤を勧められました。その方が、スケジューリングできて便利だろう、という配慮なのですが、なんだか気が進まなくて、とりあえず保留にして帰宅。
その夜中に陣痛。
ボスの留守番電話に「今から病院に行くので、明日から休みます」とメッセージを残して病院へ。
自然分娩を希望していたのですが、痛みに耐えられず無痛分娩に。
先生は、「そりゃそうだ。なんでわざわざ痛みに耐えなきゃいけないんだ」と。

4:専門の麻酔医がいれば、安全のようです。ヒューストンでは70歳のおばあちゃんからも「そりゃぁ、無痛がいいよ」と言われていたので、無痛分娩の歴史は長いようです。
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個室でワインを飲んで酔っ払ったような状態でウトウトしている私。
麻酔医さんがこまめにやってきて、微妙に痛みを感じられる程度に麻酔を調整してくれてました。
育児書を読んでいる旦那。
いよいよ出て来る!
ホテルの部屋のようだったのに、家具等々が変化して、分娩室に。
麻酔してても力む力はありました。
生まれました~
旦那がへその尾を切断。
その瞬間からベイビーは私の横に。
と、同時に育児教育の始まり。
お風呂の入れ方、オムツの替え方、抱き方、くるみ方。。。
私にできるのは、おっぱいあげることくらい。



つまり、最初に育児を習うのはパパ!これが素晴らしいです!!
その後、いろんな専門医の人が、ベイビーと私のチェックに。
産前に“ベイビーの主治医に”と申し込んでおいた小児科の先生も来てくれました。
「何か変わったことは?」「痛いですー。」「それは、しょうがないんだよねぇ。ジャクジータブに入ると痛みが和らぐよ」と。
友達にも、産後すぐにジャクジーに入ってブクブクを当てるといいと勧められていたので、ジャクジー付の部屋にしたのだけど、、、、
痛いし、血は出てるし、とてもジャグジーなんて入れない!!
・・・日本の母たちはこの話に仰天してました。
そうこうしているうちに退院です。
生後2日の娘をチャイルドシートに乗せて、自宅へ。
ママは勿論、痛みと戦いながらヨタヨタしてます。
よって、最初の育児はパパ~!
パパは育児に家事にと大忙し。
こうしてマイホームパパが出来上がっていくんだと実感。
12週間後には娘を預けて出勤。
寂しかったけど、メリハリのある毎日はやっぱり良かったです。
託児所も、6人のベイビーに3人の職員だもの。安心していられました。
オフィスのアメリカ人たちもみ~んな育児体験者なので、すこぶる対応が良く、とてもハッピーな妊婦&働くママ生活だったのでした~

とにかく、ななり~ん、お誕生日、おめでと~!