おとなりカフェ

「集」が終わることの寂しさひとしお


新橋の、産官学と多種多様な人をつないできた交流サロン「集」が終わってしまうこと。
今朝出がけに見た新聞で記事を発見(朝日新聞・東京面)。
しょっちゅう足を運んでいたわけでもないくせに、いつも思い出していたわけでもないくせに、突然ここがなくなってしまうことの寂しさに襲われ、うろたえました。
いつかは来るかもと思っていたその時がきて、親孝行してこなかったことを後で悔やむ子どもの気持ちのような、そんな気分でした。

草創期から36年。
30周年を機に一度はやめると宣言し、後進を期待した時期もあったかと記憶していますが、地域交流センターの代表として(今はNPO法人)、日本全国の知事さんや市町村長さんや地元の活性化に取り組むキーパーソンをつないできた田中さんの代わりができる人はそんなにいるわけではなく、そのまま今日を迎えました。

ちなみに、別な仕事の場で人と話した時に、環境やまちづくり関連のキーワードと問題解決に向かう独特な発想や話ぶりから、この方は田中さんに教示を受けている人かもと思いお聞きすると、そのとおりということが何度もありました。

私も80年代後半田中さんのところで修行していた者の一人で、元夫は学生時代に「集」の小屋番だったこともあったよう。
当時、「集」というサロンの場は斬新でした(最近まで「YU」もあり)。
田中さんの元には異業種から多くの人が集まり、自由に議論し、無数にある趣味の会と、ゆるやかに産官学の中堅若手がつながり、いくつかの会では具体的に社会実験を行い、事業化し新たな価値を社会に向けて発信していました。
今思えば、mixiのアナログ版のようなもの。
お金も時間もかかるけど、かける価値のある活気に満ちた空間でした。

時を経て当時の中堅若手もそれぞれの組織の中核になり、という場合も少なくなく、市民参加という当時ではまだ少数派の視点で、社会がこうなったらいいねということへのチャレンジ、可能性を目の前でたくさん見せてもらいました。もちろん、失敗のようなことも多数。
でも、それは失敗ではないこともたくさん学びました。

今年、田中さんが帰省先で倒れられ、なんとか一命を取り留め、入院生活だというのは伝え聞いていました。助かっただけでも、よかった。
けれど、まだ今年の春になる前に初めて状況を聞いた時には、自分でも驚くほどうろたえました。

親と同じようなもので、毎日、行動半径の中にいてもらわなくても日々の生活が成り立つしくみになっているわけですが、何か相談したい時にはいつでも迎えてもらい、「どうした?」と言いながら美味しいものを食べさせてもらえるようなつもりでいてしまう。

自分が若く、まさに発展途上で、今よりもっと荒削りだった時代に、無条件で支えてくださった先輩たちは、永遠に存在していて、ずっと甘えさせてもらえるような気でいてしまう。
若くもない、かわいげのない今だって、気長で奇特な方に支えられてばかり。
もちろん、親もそう。
親なんて、子どものわがままや思春期のいらいらや、多種多様な人生の喜怒哀楽まで見守るんですからね、大変です。
先輩たちには感謝してもしきれません。だから、次の人たちの支えにならなければと思う。でもまだまだ力不足でだめです。

親の高齢者としての姿さえどこか受け止めきれていない私が、あの人疲れしないフットワークのいい田中さんの現在の様子などまったく想像できませんが、人はそうやって次にバトンを渡していくのだと思うしかありません。

私もあくせくしているうちにあっという間に、それもそう遠くない未来に、同じような状況になるんだろうな(想像するだけで、たぶん何もわかっていない)。
先輩たちにもっともっと学んでおかないと。年を重ねれば重ねるほど、自分の未熟さに気が付いていきます。


今日は一日地域活動日でした。
ゆったりカフェで、お弁当を作り、参加者みんなで岡本民家園に行ってきました。
初めての試み、大好評でよかった。またゆったりカフェのブログに書きます。


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