自室には、今の時代に少々恥ずかしいのですが、新聞の切り抜きや紙の資料がたくさんあります。ただそこにあるというだけのものもあるので、片付けのプロが見たら、きっと真っ先に捨てるべきかたまりなんだろうな、と思うのですが、あります。
で、日々微量ずつ増加していて・・いけません。
ところで、以前からうすうす感じていたことですが、そうやって時系列でこだわっている事柄がいくつかあると、「未来は予測どおりにならない」ということが実感をもってわかってきます。
良い場合も、悪い場合も、とにかく予想・予測はその通りになることなどほとんどない。毎日ものごとは転がっているのです。
正確に言うと、予測できることも、もちろんあるけれどできないことのほうが多い。
予測できないから不安もありますが、
『未来を変えるちょっとしたヒント』(小野良太氏、講談社現代新書)から引用させていただくと、
「未来には、過去や現在に起こったことのないことが必ず起こる」
未来の社会やその状況は、過去や現在との「類似の部分」とまったく「新しい部分」とから構成される。
↓
「人は、今から先のイメージを持ってはじめて行動できる」
(そういえば、今日の行動もそうですね。このイメージがないと動けない)
↓
「様々な知識の中で、未来に関する知識がもっとも重要である」
でも、まだ起きていないことをどう予測するのかといえば、「演繹的思考方法」と「想像力」
「未来は、すでに決まっているわけではなく開かれている」というように捉え行動したほうがいい。その場合に重要なのは、さまざまな多角的知識と想像力。
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想像力は大事ですね。
時々妄想に走る人もいますが(自戒をこめて)、それだけではなく、未来をどうしたいか、自分の頭で想像し、創造への道筋を考えることが大事なようです。
また日本人が潜在的に持っているらしい「未来は「お上」=政治家と官僚が作っている=悪い未来は彼らのせい」といった思考回路。これはそろそろ意識的に断つ訓練をしないといけないようです。
これ、意識的にやらないとなかなか難しい。
潜在的というか、文化のように根付いている私たちの価値観じゃないかと思います。
豊かな社会でありながら、原始に近い?市民力が未成熟な発展途上にある国と近い構造です。
若い人たちが未来を明るいと感じられるようにすること、すごく大事です。
こういうのって、ある日、国家が提供してくれるものではありません。
若い人たちの未来に対する悲観的なイメージを払しょくすることや、社会人としての能力向上を支援することは、高度経済成長を肌で感じ、活気ある復活できる社会の中で希望に胸ふくらませた体験を持つ私たちの、恩返しというか、ものすごく大事な仕事なんだろうと思います。
まずは何歳であろうとも、自分の未来を、予測せず、創造してみよう(妄想でもいいかも)。
未来は開かれているのだから。
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