
岩室山観音院の土塀と竹藪
10月14日、良く晴れた体育の日、11月のウォーキングに予定する狭山池までのルート調査に出る。
田園公園の北側の緑道沿いに、「シオン」が1本見事な花を付けていた。


高倉公園から晴美台センターに抜ける桜並木の緑道によく見かけ、何の花?といつも思っているので調べてみたら「アメジストセージ」と言うらしい。「コムラサキ」も紫の実をいっぱい付けていた。 <花いっぱいゃさかい>でボランティアをして数年たつが未だに花の名前音痴である。


アメジストセージ コムラサキ
晴美台エコタウンの横から陶器山の天野街道に入り、岩室山観音院に向かう。観音院の土壁と竹藪が何とも言えぬ雰囲気である。(最初の写真)
岩室山観音院はこう紹介されている。
当山の縁起は天平の昔、行基菩薩の開基と伝わり、阿弥陀菩薩を本尊とし巖室山極楽寺と号した。その後、弘仁年間(810~24年)弘法大師が留錫の折り、十一面観音を彫り当山に安置し、寺号を現在の岩室山観音院と改めたといわれる。




右が本堂 左が阿弥陀堂 聖霊殿 鐘楼
鐘楼の釣鐘には1777年(安永7年)の銘がある
裏手に熊野権現の鳥居があり、入ってみると、右側に「草木塔(そうもくとう)」というのがある。岩手県が発生といわれ通常は石で作られているがこれは自然の堆積岩なのか木がこのようになったのか定かではないが珍しい。
草木塔とは、このように紹介されています。
草木塔が建立された理由は諸説ありますが、草や木などの自然の恵みへの感謝の気持ちを供養する心、災害や危険な山仕事から命を守れるようにという自然に対する畏敬の念、山野の森林資源の恒久的な豊かさを願ってなど、広い意味で『自然に感謝する心を表す』意味があると思われます。


観音院から曲がりくねった村道?を歩き、大阪ガス供給所の丸いタンク、狭山西小学校を経て、三津屋川に出、堤防を北に行き亀の甲交差点を渡り、三津屋川沿いに狭山池に出る。







狭山池の堤防はきれいに整備されていて、ウォーキングやジョギングのメッカになっている。
狭山池は7世紀前半に築造されたとされる日本最古のダム式ため池で、ここから河内平野西部へ用水路を経て自然流下で灌漑される。
731年:行基、1202年:重源、1608年片桐旦元の改修が有名。





堤防を北に行くと、西除洪水吐がある。大雨の時水位が上がると自然に水があふれ出て西除川に放流されるようになっている。また、池の東側には東除け洪水吐があり、東除川に放流される。




西除川への灌漑用の樋
池の北側に安藤忠雄がデザインした芸術的な建物、「狭山池博物館」があり、平成の大改修時(1988~2001年)に発掘された古代の堤体や中樋などが展示されている。








堤体 樋


行基像と行基の業績が展示されている。また、狭山池から河内の国西部(松原、堺、平野など)への灌漑用水の流れの様子を実感できる模型があり興味深い。







東除洪水吐
M.miki
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