祖母「もういいよって言ったけど…」背負って避難した航空石川の投手 選抜目指し「皆で戦う姿見せたい」 (2024年1月18日)
667 回視聴 • 2024/01/22
能登半島地震では、センバツを目指す高校球児も被災しました。強豪校でセンバツ出場の期待がかかる輪島市の航空石川の野球部員で、七尾市で被災した選手に密着しました。 石川県輪島市の日本航空高校石川は、能登半島地震で大きな被害を受けました。 校舎の外では、本来地下に埋まっているはずの寮の排水タンクが、地震の影響で地上まで隆起していました。 校舎の中も大きな被害を受けています。職員が泊まり込みで復旧に向けた作業を行っていますが、学校再開の見通しは立っていません。 日本航空高校の青木洋介校長: 「本当ですと年明け、みんなの笑顔、全員の笑顔を見たいところなんですけど、食事が提供できない、洗濯ができない、お風呂に入れない状況で、ここに帰すことができないということが、本当に悔しい気持ちでいっぱいです」 日本航空高校石川の野球部員、福森誠也さん(17)は祖母の早瀬舞子(66)、七尾市の避難所に避難していました。 福森誠也さんの祖母・早瀬舞子さん: 「気をつけていくんだよ」 福森誠也さん: 「うん」 舞子さん: 「頑張るしかないよ。けがだけしちゃいけない」 福森さんは、七尾市にある舞子さんの自宅に帰省中に被災し、この避難所で生活していました。 福森さん: 「(地震直後は)寒かったです、薄着一枚だったので。とっさにもうすぐに家をみんなで出たので」 福森さんは地震が起きた直後、何も羽織らないまま舞子さんを背負って、裸足のまま高台に避難したといいます。 舞子さん: 「誠也もういいよって言ったんだけど。『ばあちゃんだめ!』って言って。助かったっていうのがもう本当に奇跡」 福森さんは、授業も野球の練習もできないため家族と離れ、山梨県にある系列高校のキャンパスに移り、学校生活を続けることを決断しました。 避難所を後にする17日、福森さんは七尾市の実家で「特別なグローブ」を手にしました。 20年前に父親の愉一郎(ゆういちろう)が使っていたグローブで、福森さんが硬式野球を始めたころから使うようになりました。 福森さん: 「いちばん思い入れのあるグローブ」 父親から譲り受け、厳しい練習を共に乗り越えてきたグローブです。 福森さんはピッチャーとして、3月に行われるセンバツ高校野球への出場を目指しています。14日に避難所で出会った際も一人、練習を続けていました。 福森さん: 「おばあちゃんはまだ避難所にいるので不安な気持ちはあるんですけど、フィールドに立ったとしても立たなかったとしても、自分の頑張っている姿は見せられるし、(部員)みんなで戦っている姿を見せたいです」 そして、その思いを胸に避難所を後にする時間が迫ってきました。 舞子さん: 「もう行くん?気をつけてね」 福森さん: 「すぐに連絡する」 舞子さん: 「最後のお別れ、気をつけて行くんだよ。応援しているから」 福森さんのことを心配していますが、誰よりも信じています。 舞子さん: 「心配、心配です。でもそんなこと言ってられないし。ただただ胸に祈って、あの子なら絶対にやります」 舞子さんは福森さんが戻ってきたときに、手料理をおなかいっぱい食べさせてあげたいといいます。 航空石川の野球部は山梨で19日から練習を再開しています。