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少年日本史 〈謹んで震災のお見舞いを申し上げます。〉

未曾有の國難に遭遇して、能く國家を護持したるもの、それは實にかくの如き純粹の道義心でありました。

産経新聞は南京事件「40万人虐殺」論

2011年02月20日 | 歴史認識

産経新聞愛読者倶楽部http://d.hatena.ne.jp/sankeiaidokusya/20110220/p1を要約
 
産経新聞昭和51年6月23日付「蔣介石秘録」497回


南京防衛戦における中国軍の死傷者は六千人を超えた。
しかし、より以上の悲劇が日本軍占領後に起きた。いわゆる南京大虐殺である。
 
 南京大虐殺の悲劇
  
日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、長江(揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。
虐殺の対象は婦女子にも及んだ。金陵女子大学内に設置された国際難民委員会の婦女収容所にいた七千余人の婦人が、大型トラックで運び出され、暴行のあと、殺害された。
日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、日本の新聞に大きく報道された。
虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中にうめ、軍用犬に襲いかからせる“犬食の刑”、鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる“鯉釣り”、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火のなかに放りこむ“ブタの丸焼き”―など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。
こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は二カ月に及んだ。犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。
『倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ』(一九三八年一月二十二日の日記)
南京に住む外国人たちで組織された難民救済のための国際委員会は、日本軍第六師団長・谷寿夫にたいし、放火、略奪、暴行、殺人など計百十三件の具体的事例を指摘して、前後十二回にわたって厳重な抗議を提出したが、谷寿夫は一顧だにしないばかりか、逆に、血塗られた南京の状況を映画やフィルムに収め、日本軍の“戦果”としてほめたたえたのである。
 
この連載が書籍化された際の「刊行者のことば」

かつて、数十年にわたって日本が侵略しつづけ、戦争し、降伏した中華民国――その指導者が蔣介石総統である。

 
これが産経新聞の公式の歴史認識であり、その後訂正されていない。
 
そして、その連載「蔣介石秘録」の執筆記者の一人は…。
 
現社長、住田良能氏!
 
実行犯であり、現在の最高首脳として二重の責任がある。
 
 
詳細は産経新聞愛読者倶楽部


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