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少年日本史 〈謹んで震災のお見舞いを申し上げます。〉

未曾有の國難に遭遇して、能く國家を護持したるもの、それは實にかくの如き純粹の道義心でありました。

橋下知事、護国神社を電撃参拝

2011年10月22日 | 歴史認識
丸山公紀様のメールを転載
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日本会議大阪会議の丸山です。

■秋季例大祭の日の午後、橋下知事、大阪護國神社に正式参拝
 
 ~知事本人が参拝するのは実に40数年ぶり~

 本日10月20日(木)午前、大阪護國神社秋季例大祭が護國神社で行われ、本会も朝から小生を含めて5名、日本協議会2名、あさなぎメンバー7名が来賓受付、各遺族会受付、また金 美齢氏講演会案内チラシ配布など奉仕させて頂いた。

 昨年のこの時期はかなり寒い感じがしたものの、この度は一点の曇りもない程、晴れ上がって、初夏のような陽気で、絶好の祭り日和となった。むしろ少し暑かった。

 小生はいつも社務所で各遺族会対象の受付をさせて頂いているのだが、結構、玉串料を受け取り、受納証と御神饌をお渡しするのだが、府内全域の遺族会の方々への対応となるので、結構、忙しい。

 境内のテントには天候のいいこともあり、約800名にのぼるご遺族がお元気で参列、例大祭は粛々と続き、とりわけ柳澤宮司の祝詞の伸びやかな声が素晴らしく、また最後のご挨拶の中でも占領中に全国の護国神社の中で、当神社だけが「浪速宮」として神社名を変更しなければ神社の運営がなされてこなかった歴史と元に戻るまでの多くの人々の努力があったことを紹介されたが、語られなかった占領史が語られて、参列者にとっても意義深いお祭りとなった。

 実は橋下知事が例大祭に参列することを聞いていたものの、そのことは箝口令となっていたが、宮司のご挨拶の中で、午前中は、首相官邸に呼び出され、急遽、午後2時に参拝される予定であることも紹介された。

 そこで奉仕したメンバーの有志5名で、橋下知事の参拝を拝殿前でお迎えすることとした。大阪府遺族連合会の役員も10数名が並んだ。2時過ぎに橋本知事が僅かな府警・SPと思われるスタッフと一緒に颯爽と駐車場から境内を進み、我々ににこやかに手を振り、「例大祭には参列できなくて申し訳ありませんでした」と言いながら、社務所に入った。

 報道各社には伝えていないらしく、記者の姿はなかったことを考えると、知事としては明日にで知事の辞意表明する意向であることが報道されているが、知事最後の仕事として、心静かに護國の英霊に感謝申し上げると決意を持っていて、参拝自体も府民向けのパフォーマンスではないと確信した。

しばらくして知事が社務所を出て、参道を進み、拝殿に入り正式参拝をしている姿が外から見ることができた。しばらくして拝殿から出て来ると、出迎えている人々と記念撮影をしたり、気軽に言葉を交わしていた。遺族会会長や女性部代表の方が「例大祭に是非、参列してほしかったが、この日に参拝してもらったことは大変、ありがたい」と感謝の言葉を述べていた。

 小生も知事と話のできる絶好のチャンスと考え、まず知事とのツーショットをお願いし、握手をした後、平成20年9月に開催した「天皇陛下御即位二十年をお祝いする府民の集い」の折は知事として真っ先に出席した折のお礼を述べ、自分はその時に事務局の一人であることを伝えた。すると、知事は「ああ、あの時の・・・。そうですか」と言われ、確かに覚えているようであった。さらに知事は、国旗国歌条例一つ制定することもかなり時間がかかったこと、また小生がしているブルーリボンバッジを見て、朝鮮学校への補助金についても職員室に掲げられている金正日の肖像画が撤去されない限りは、支給しないよう頑張りたいと述べられるなど、実にそこにいる人々の気持ちを斟酌する術を心得ていることを実感した次第である。ただ、どんな気持ちで参拝したのか、聞けばよかったと後から思った。

 どんな形にせよ、知事の護國神社参拝は、昭和40年代の左藤義詮・元知事の時代からはなく、実に40年以上ぶりのことであり、大阪にとってみればやはり画期的なことであり、そこに自分が居合わせた意義は大きかった。

 本会も毎年、8月15日と春秋の例大祭には知事をはじめとする地方自治体首長には護國神社に参拝して頂きたいとの要望を関係機関に繰り返ししていたが、ようやくにして知事が参拝することによって、大きく前進していののではないかと思った。

 秋季例大祭の重さとその後の知事の参拝と、本日は心が落ち着いた日となった。

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