野沢温泉 旅館 清風館 ほのぼの日記

源泉かけ流しの湯宿
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国定忠治と野沢温泉その2

2012-05-19 19:02:57 | 清風館のご案内
皆さん、中風ってわかりますか?

ちゅうふう、ちゅうぶ、ちゅうぶう、ちゅうふ等、いろんな呼び方があるようです。

野沢温泉辺りでは、「ちゅうぶ」と呼ぶのが多いかなと思いますが。


現代風に言うと、脳血管障害の後遺症である、

半身不随、言語障害、手足のしびれや麻痺などを指すようです。


さて、何故、国定忠治と中風が結びつくかと言うと、

どうやら忠治が中風の治療で野沢温泉に滞在したと伝えられているとか。

今回、このお地蔵様を温泉街に設置することを呼び掛けた、有志によると、

「忠治のようなアウトローを含め、さまざまな人を受け入れた、野沢温泉の人の温かさを後世に伝えたい」

という思いからだそうです。


さて、今回の元になったお地蔵様は、

忠治が野沢温泉滞在時に、お世話をした畔上つまさんという女性が、

忠治が処刑された3日後に、現在設置されている辺りに建てたと伝えられています。

その後、いろんな経緯があり、現在は、県内の須坂市にある寿泉院に安置されているそうです。

こちらのお地蔵様もずっと大切にされ、

今も年2回、地域の人が参加して供養を行ったり、

忠治の出身地である群馬県からも、年1回、訪れる団体があるとのことです。


この、元のお地蔵様が須坂で地域に根付いているため、

今回新しく、顔や体形が似た物を選んで、設置することにしました。

合わせて、由来を書いた高札も掲げてあります。


野沢温泉にいらっしゃった折りには、ぜひお立ち寄り下さいませ。


最後に、この建立者である「畔上つま」さんには諸説あって、

どうも忠治が亡くなってから生まれた方のようなのですが、

いづれにしろ、忠治の相当近しい方と繋がっているのは間違いないとのことで、

今は謎ですが、どうも忠治という男は、それだけ女性を魅了してやまなかった?

ということですかね。


もし、この謎について、はっきりわかる文献等お持ちの方がいらっしゃったら、

是非とも教えて下さい!

私とっても知りたいですからo(^-^)o

よろしくお願いいたします<(__)>

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