

再び過去にタイムスリップですじょ

11月6日~10日/プリンが2008年10月30日に、虹の橋へ旅立ってから、コロンの様子が変でした。
そして、10日はコロンの検査の日です。
毎日とにかく鳴きまくり。

プリンが亡くなる前に居たところに行っては「にゃぁ~ん」と、
とっても寂しそうに鳴いています。

色々探しまくっては、プリンが居ないとしょんぼりとした顔をします。
見ていて、毎日心が締め付けられそうでした。


病院へは途中、先のブログで記載したとおりの、
不思議な出来事


ママは病院へついて、受付をするといつもの受付のKさんが、
「ニャンママさん、心よりご冥福を・・・本当にプリンちゃん、頑張ってましたものね。大丈夫ですか?」
と声をかけられ、ママはまた泣いてしまいました。
「・・・先生達からも、病院からも、とってもきれいなお花をありがとうございました。」
と、これだけ言うのが精一杯でした。
受付を済ませ、椅子に座ったとたん、また涙が出てきて仕方がありませんでした。
恐怖と緊張で何度もトイレに入ったり・・・
病院へはプリンと一緒に、毎日点滴や注射を打ちに来ていましたし、時には痙攣発作を・・・
病院の匂いや雰囲気、すべてのものがプリンを思い出させます。

「こりゃ完璧にペットロスだわなぁ~

すると、2日に1度は会う、タマちゃんのお母さんとも会いました。
そう、カテーテルを通すか、毎日ご飯を食べさせにくるかで、悩んでいたママさんです。
あれからもずっとご飯を食べさせに、1日2回、毎日病院へ来ているそうです。

本当にタマちゃんのママにも頭が下がります。
タマちゃんのママに、
「うん?あれ?今日はプリンちゃんじゃないの?」
といわれ、ママは病院でこれ以上泣くのを我慢しようと必死だったのが、何かストッパーが外れたように、
「プリンは10月30日に亡くなりました。」
とまたせきを切ったように涙を流しながら、返事をしました。
するとタマちゃんのママも、一緒に泣き出してしまい・・・
「プリンちゃん頑張ってたものね・・・そう・・・ニャンママさん大丈夫?
でも、プリンちゃんは今とっても楽になったのよね。」と・・・

そうしているうちに、「ニャンママさん、コロンちゃん、どうぞ!」と呼ばれ、診察室に・・・
うちの猫ちゃん全員を受け持っているO副院長先生。
先生にまずはプリンの最後の報告。
ママはプリンの最期の様子を、泣きながら細かく説明しているときに、
O先生も泣きながら聞いていました。

ママ=「先生、最期の瞬間、プリンは苦しんだのでしょうか?痛かったのでしょうか?」
O先生=
「いいえ。苦痛はほとんどって言っていいほどなかったでしょうね。
それより、本当にプリンちゃんはママの腕の中で、
抱きしめられながら旅立った喜びの方が大きかったと、幸せだったと思います。」
ママ=「そうでしょうか?闘病を続けてきて、つらい思いをして本当に幸せだったのでしょうか?」
O先生=
「確かにプリンちゃんにとってはあの沢山の病気と闘うことは、かなりしんどかったと思います。
人間でしたらとうに根をあげるほどの病気が襲ってきてましたから・・・
ですがあんなに必死に生きようとする姿を見ていると、どんなことをしても助けてあげたいと思うでしょう。
プリンちゃんの最期の状態を聞いていると、苦しんだとしてもほんの一瞬。
プリンちゃんはママにしっかりと、抱きかかえられていました。
おそらく何も怖くはなかったでしょう。
ほとんど苦しまずに逝けたことは、本当に良かったです。
闘病生活は確かにプリンちゃんもママもつらかったでしょう。
でもプリンちゃんは本当によく頑張ってましたし、ママの頑張りにもよく応えてえていました。
今までの闘病生活は、愛情があって、お互いの無言の幸せな時間だったと思います。
プリンちゃんは心臓がすでに限界の状態にあって、
ここまで沢山の病気を抱えての状態で、生きて来られた症例は、
今のとこ私は見たことがありません。本当に奇跡の子でしたね。」
O先生は、目を真っ赤にして、時々声を詰まらせながら答えてくれました。
プリンはある意味幸せです。


愛情や特別な気持ちがないと、きっとここまで涙を流してはくれないでしょう。
ママ=「はい・・・はい・・・本当にプリンへのご尽力感謝します。
本当にありがとうございました。

そして、亡くなったことの話や、埋葬のことなど、色々と話をして、
コロンを検査をするため、O先生に渡し、ママはまた待合室で待っていました。


プリンは胸水・肺水腫・腹水のトリプルでしたが、
亡くなる1日半前の状態は、ほとんど量は増えてはおらず、
むしろ減ってきていたそうです。
実際プリンの亡骸は、胸からお腹の辺りは、
なんらお水のようなものは入っていたようには感じられず、
腫れてもいなかった。少しのお水も、流れ出てもこなかった。
マリンが亡くなった時は、胸水・腹水でいっぱいになって、
亡骸の胸から肺からお腹は腫れて、
身体からお水がとめどなく流れ出ていました。

本当に心臓さえ、心臓さえ・・・
末期の拡張型心筋症の心臓でなければ、まだまだ生きていられたそうです。
それほど驚異的に他の沢山の病気は、改善されつつの状態でいたのだそうです。
本当にまだまだ生きていたかったのでしょうね。
プリンは生きることを最期の一瞬まであきらめず、命を輝かせていました。

ものすごい頑張り屋さんでした。

リンパ腫にしてもずっと進行がなかった。
腎不全の状態もBUN・Creが、土壇場にきてほぼ正常値に改善。
尿毒症の懸念もなくなりかけて、
造血剤で何とか貧血も、止められそうかという状態まで・・・
本当に奇跡的なものだったのです。

ママは、正直悔やんで仕方ありませんでした。
闘病生活に悔いは一切ないけれど、なぜ?
もっと早くに病気の早期発見が出来なかったのか?
早期発見さえしていれば、もっと長く、命の輝きを放ち続けさせることが出来たのに・・・
「今日」という日を幸せに、穏やかに、生かせることだって出来たはずなのに・・・
いったいどこに目を向けて、マリンやプリンと生活を共にしてきたのだろうか・・・?

無知ゆえの残酷なまでの神様の仕打ち・・・

かわいいだけじゃ無責任なのかもしれません。
無知ゆえに見過ごすことも、またしかり。
命を預けられている以上、責任をもっと持つべきだった。
マリンやプリンが旅立ったのは、まぎれもなくママの無責任から。
この事実と後悔の念は、しっかりと持っていよう。
これが今後、命を預かる者の責任なのだから・・・
きっとこれからまた、命を預かることの糧となるはずなのだから・・・
9ヶ月前は、病魔に散々振り回されていたママ。
病魔に負けるものかっ!と、糧を身につけるために必死でした。
先生に病気に関して質問や考えをぶつけるには、
知識を身につけていないと、出来ないからです。
今後どんなに運命の出会いが待っていても、
この気持ちや糧を身に付けていなければ、
きっとまた尊い「命」を途中で、失わさせてしまうことになってしまう。
そんなことは二度としたくはありません。
「ごめぇ~ん



プリンは10月最初の頃に1回目の心臓からくる痙攣麻痺が始まりました。
この10月に3度も痙攣発作があり、そのたびに奇跡的に命をとりとめました。
ママが後から思うに、プリンはきっと自分がどのような状況と、
タイミングで旅立とうか見計らっていたとしか思えませんでした。
もう心臓がいつ発作ですぐに止まるかの状態の9ヶ月間でした。
そうです、9ヶ月前、「余命1週間の宣告」を受けていいて、
プリンの心臓は当に9ヶ月前から限界を超えていたのですから。

1度目は、病院で。2度目は我が家でしたが家族みんながそばに居ました。
3度目はコロンの姿が隠れて見えず、
パパはいたけど夜遅くにパパの妹のところに届け物をしに出かけたのです。
今考えると普段でしたら後回しにするパパなのに、なぜ行ったのか・・・
結局プリンが旅立つときは偶然にも、ママと二人っきりでした。
本当にママっ子で・・・ストーカーでした。
亡くなる時のママを見つめているプリンの目は、
旅立つその瞬間までママの瞳を・・・ただ一点のみを見つめ、
「ママ!ママ!」って呼んで、訴えているようでした。

待合室では、プリンを知っているママさんたちに何人も会い、
尋ねられて、そうしてママはまた泣きながら話し、
終始泣いてコロンの検査の結果を待っていました。

続く・・・
ニャンママの猫友さんの『たらちゃん』のショップです

是非訪問してくださいませ



「LIFE CATS 緊急SOS!ペルシャ100匹助けて」

【ペルシャ猫100匹SOS!】KOTO 猫救済ネットワーク

☆預かりっ子クラブ☆

続きは いつっ
ママも プリンちゃんも 精一杯がんばったよ
「寿命」って きっと 生まれたときから決まってて
ママが もっと早く プリンちゃんの病気に
気づいたとしても それは変わらなかったと思うよ。
でも 病気に気づいてから プリンちゃんにとっても
ママにとっても 濃くて大切な時間だったと思う...
上手く 言えないけど
お互い これ以上ないくらい がんばったんだもん。
プリンちゃんも きっと 満足してたし
ママが 「あのとき こうすればよかった!」って
後悔してることがあったとしても
それは 今後 コロンちゃんに 活かしていけるってイミでは
とても大切な 経験だと思うし
ママへの想いから 奇跡の時間を 生きてくれた プリンちゃん。
これ以上ないくらい 深くつながった ふたりだから
この先 来世でも きっとまた 巡りあえるよっ
ワタシもまさに同じ気持ちでいます。
もうちょっと早く気付いてあげられたらこんなに辛い思いさせなく良かったのにと・・・
兆候あったのかなぁ?全く気付いてあげられませんでした(泣)
それと、お返事ありがとうございました
他の元気な猫達三人は癒してくれます。
でも人間は私一人なのでニャンママさんの励ましの言葉にまた涙、涙でした。
本当にありがとうございます
弱い母ちゃんです
今はカテーテルなどせず酸素室で血栓を溶かす点滴をうけています。
これから会いに行ってきます
本当にその通りですね。
だけど...
(私の場合)
BUN値,CREA値,ALT値が異常値でも、猫さんが高齢だと、
「もう この猫トシですからぁ...」
と言われ、獣医さんから医療放棄されました。
結局その獣医さんをやめて今の獣医さんに移って1年。重症患畜の為に休診日なしで診療するなど、この町一番の獣医さんであることは認めるけど、治療方法(特に薬)に疑問を持つこの頃です。
早く気づいてあげれば...というのも勿論だけど、
腕のよい獣医さんと巡り合えるかどうかも重要だと思います。
ただ今ネットで、獣医を検索中。
ちなみに、獣医は今の所で4件目です。
とても暖かい心遣いをしてくださる獣医さんだったんですね。プリンちゃんは、いい獣医さんと巡り合えて幸せだったと思います。
早く気付いていれば、レオの脚は失わずにすんだかもしれない。
猫が心臓病だなんて思いもしなかったです。
私は、今も無知でしようがないですけど1日でも長くにゃんずが幸せな時間を過ごしてくれる様に頑張りたいです。
ニャンママさんのブログを読むと、油断しそうな自分に気合をいれられますよ!
またまた泣きそうだよ~
ママッ子だったプリンちゃん。
前に話したけど、ウチの先代も「年だから」って医師に言われて、連れて帰って・・・私も無理なことはしなかった。
でも、16歳だからとか18歳だからとかじゃなくて・・
ひなたぼっこしたりして「生きよう」としてた・・・その手助け、もっと出来たのかも?と思うの。
ニャンママがいつも言ってくれる、私の幸せがまりいの幸せ、私の無理のない思いや行動が、まりいの望んでいる事だって。
プリンちゃんがいろんな事を教えてくれたの。
追伸。
いい獣医師だね、本当に。先生の言葉にも泣けてくるよぅ。
腕は疑ってないけど、あと少し、心のケアも気遣ってくれると良いなあ、と今の先生には思います。
そこまで要求しちゃいけないのでしょうけどね~
ペコの時にセカンドオピニオンをしなかったのを悔いてるけど
これも運命だったのかも…って(思うしかないじゃない?)
早期発見、ってどんな症状だったんですか~?
いつか書いてくださると今後の参考になるから…
いつか、いつか、お願いしますね…
でもね。。。
ペットロスと人はゆぅけど。
わたち達、にゃんこにとっては、
(*´ェ`*)っ゜+。☆愛☆。+゜の深さだと感じてるにょ
だから、こうやって・・・ここにもこれるにょ
コロンちゃん。。。
側にいたのにぃ~わからなかったのぉ
マリンねぇたんと一緒に、ずっと、側にいたにょょ。
今・・・こうちて、穏やかにゃ気持ちでいられるにょは、ママや先生が頑張ってくれたから、ちゃっと道しるべがついてたからにゃのよ
しかしっ!
おかしぃにゃ・・・
ママの涙も後悔も、ちゃんと持って、虹のはちにきたハズにゃのにぃ~
そぉか~。
よく読まなかったにゃ。。。
ママは、強くにゃって、コロンちゃんを守るために、ブログを再開したんだっけにゃ。。。
そちて。。。
闘病にゃんこを抱えて、頑張ってるみにゃさんに、それを伝えるんだったにょね。
応援ちてるにょ。
・・・え?
次回へ続く?
にゃんとっ?
ヨシヨシ( ^・ェ・^)/(; ; )グシュ
じゃ、ちゃんと、泣かずに書けるか、又、見に来るにゃ
(=^・ェ・^=))ノ彡☆シッポフリフリバイバイ♪
今まで3匹もいて次々に・・・
きっと一番寂しいのはコロンちゃんなのかもね・・・
ニャンママもペットロスになってしまっていたのね・・
時間が解決するんだろうケドなんだかぁ~~~
私は1匹だけでもすごかったのにニャンママは2匹も・・・
きっとコロンちゃんがうめてくれるよ・・・・
だからいつまでも泣かないでね・・・
にゃんこも、人間も
みんな、それぞれの寿命を持って、
この世に生を受けると思う。
そして、その子と出会ったものが
どれだけ、一緒に想いを感じて
生きていけるのかだと。
でも・・・
ニャンママ。
よく、ここまで立ち直ったね。
それが、きっと、マリンちゃん、プリンちゃんが、ママの心に残した、最高のプレゼントだと思うょ。\(=^‥^)/'`*:;,。・★ チチンプイプイニャ ☆・:.,;*
うさこさんの成人式記念に
今まで伏せていた、ブログを開けてあるの。
リンクに挿入したょ(^_-)-☆