北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

【京北の桜】・魚が渕の桜はまだ蕾です.

2007-03-30 08:25:07 | 自然・風景
吊り橋のたもとに咲く見事な垂れ桜の花で魅せてくれる魚が渕.ちょっと回り道をして写真を撮りました.ごらんの通りまだ蕾です.各地で開花宣言がなされてこの週末が見頃とか.京北の桜は大体1週間は遅いようです.

大堰の流れ、吊り橋、ウグイスの囀りと見事に調和した山里の桜風景.もう少しでしょう.

あ、そうそう、ここから200ms程下流にも小さな木ですが、きれいな花を咲かせる桜の木があります.

常照皇寺の桜もまだ蕾です.


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2 コメント

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遥か魚が渕の里。 (道草)
2007-03-30 18:17:35
魚が渕は私にとって懐かしい所です。周中の同じクラスに魚が渕の男が居て、バレー部でも一緒だったのでよく連れ立って帰りました。馬ケ背峠の頂上近くから魚が渕へ降りる細い道があって、私が彼に着いて回り道をするのです。魚が渕の里からは宇津の柏原へ抜ける小径が続いていました。30分近くは余分に掛かったのですが、あの頃はヒマでしたから私も気楽なものでした。たまに練習が遅くなって日が暮れることがあります。当時の山道に街灯などはまるで無く、まして懐中電灯なども無くて月のでない夜は真っ暗でした。
足元が全く見えないので上を見上げながら、樹木と樹木の間の星明りの空を頼りにそろそろ歩くのでした。そんな時は彼が馬ケ背峠を下りて柏原の親戚へ寄って提灯を仮り、そこから魚が渕の自宅まで逆行して帰ったものです。
いつでしたか、練習でかなり遅くなったことがあり、父が栃本のわが家から提灯を下げて迎えに来てくれました。それはよいのですが、峠道が余りにも暗かったので父は心配の余り(過保護的に)私の名前を呼びながら馬ケ背峠を登って来たのです。私は友人の手前恥かしくて言葉も出ませんでした。案の定、翌日の教室で彼がその事を悪童共に吹聴したのです。私はまさか彼がそんな事を云うはずはないと信じていたのに、裏切られた悔しさと級友達への羞恥心とで顔が上げられませんでした。彼とはそれ以後から疎遠になり始め、魚が渕への道を二度と通ることもなくなりました。卒業してから彼はクラス会へ来たことがなく、暫くは欠席の返事が届いていた時もありましたのに、今では住所さえ不明になってしまいました。魚が渕出身の同級生は他に居ないようですし、1年上に生徒会の役員をしていた賢くて美人の先輩は居られたのですが・・・。
その頃、魚が渕に吊橋は架かっていなかったように思いますがどうでしょうか。私が彼と同行したのは夏からの半年ばかりでしたから、枝垂れ桜の咲いているのを見た記憶もありません。あの細い山道は今は車が通れるのですネ。一度は訪れなくては・・・。
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魚ケ渕 (mfujino)
2007-03-31 20:15:20

馬ケ背の峠付近から宇津方面へは今三つの舗装道路があります.きれいになった国道、この新しい道になる前の旧道(まだ走れますが、殆ど通る車はないでしょう、、)、もう一つは魚ケ渕の集落から少し川下の辺りに出る林道(舗装されてます).もしかしたら道草さんが友人と下りられたのはこの三つ目の道かしら、と想像したりしてます.僕は時間がある時、季節の変わり目などは国道を通らずわざとこちらの道に車を走らせます.
魚ケ渕の吊り橋ですけど、細見秀一さんが小学生の頃には(ということは40年前?)もうあったということです.今資料を見てみましたら、どうも昭和24年に架設されたようですが、、、ただ今は対岸のお家も移転されてもう誰も住んでられないそうです.茅葺きの家があって僕が京北へ帰ったころはまだその姿が見えたのですがだんだんその屋根が朽ちていき今はその家もきれいに除かれています.でも写真を撮った人間が言うのもおかしな話ですが、きれいな家が建ってますね.また誰か新しく住まれるのでしょうか?
今は車を走らせばすぐに行けますが、山国村に育った人間が始めてここを訪れたのは僅か数年前であります.この枝垂れ桜が醸し出す風景、というかウグイスの声や空気も入れた5次元の世界、ここでは山里の桜の素晴らしさを味わる至福の時を味わえると思います.
団体バスに乗って有名桜を短時間でハシゴしたり、手入れされた公園風の桜並木で喜んでらっしゃる都会住まいの人は可愛そうです.幼い頃からマンション生活、季節の移り変わりを肌で感じることなく育ち、便利さだけに満足するような生活って本当に可愛そう.優しいご両親や自然に囲まれ、いろいろな体験をされ、思い出豊かな人生を歩んでこられた道草さんは本当に心豊かな人生を過ごされた贅沢な人だと羨ましく思います.
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