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北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

【京北のツアーガイド資料】・山国神社

2007-11-13 00:28:06 | 京北観光ガイド
まず神社の御由緒をお読み下さい.

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第50代垣武天皇延暦年中平安遷都(794)に当たり大内裏御造営の木材を山国の郷より徴せられ此の郷を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ祭主として和気清麿呂公(733~799)が奉仕せられた。

爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達する事が恒例となった。第67代三条天皇の長和5年(1016)神位正一位を贈られ御祈願所として菊花の御紋章を賜り、春日 加茂 御霊 日吉の四社を建立して五社明神とした。

源平の兵乱に破壊されたが第87代四条天皇の天福元年(1233)再建され第96代後醍醐天皇、元弘の乱(1333)に亦々破却されたが足利尊氏の臣細川頼之当地に隠棲する間、本社復興のことを執奏し、幸いにも応永6年(1399)社殿を復旧 綸旨を賜る、この時足利義満(1358~1408)丸に2引の徽章を奉納する、爾来この紋章を当神社の紋章とする。

その後第107代、後陽成天皇の慶長元年(1596)再建され明治6年(1873)郷社に明治33年(1900)府社に列格された、延喜式内の古くからの社である。
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御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命
御鎮座は 光仁天皇 宝亀年中(770~780)

ということです.

ここ山国の歴史を語るのに、ここ山国庄が杣御料の地であったということでほとんどの事が説明できます.京の都のすぐ北にあり、豊富な用材を大堰川を利用して筏で都まで運べたこと、そして朝廷と深い結びつきと交流があった、という事です.桜で有名な常照皇寺へ光厳天皇が来られたのも、また山国隊が活躍したのもこの地が杣御料であったということから来ています.そういう意味でも、この山国神社はこの山国の地の歴史の象徴と位置付けることが出来ると思います.

小学生の頃、こんな難しい校歌を歌っていました.

遠き御代より つぎつぎて 雲井の御所に 縁に深く  御杣の民や 主基の御田
又はかしこき 御戦の  御さきとなりて つかえつる  歴史榮ある 我里よ

この山国の地を見事に凝縮した歌だと最近になって分かりました.小学生の頃はその意味は全然分かりませんでしたが、、(^_^)

神社としては特別変わったところはないと思いますが、拝殿の屋根の左右にある紋章にご注目下さい.御由緒にある、「この時足利義満(1358~1408)丸に2引の徽章を奉納する、爾来この紋章を当神社の紋章とする」と書いてある紋章です.細川頼之の隠棲との関係がこの紋章に表れているよう、です.丁度後に富士の姿をした山が見えますが、その麓に細川頼之が隠棲していたと伝えられています.

紋章についてですが、御由緒には「第67代三条天皇の長和5年(1016)神位正一位を贈られ御祈願所として菊花の御紋章を賜り、、、」とありますが、10月にある神幸祭を盛り上げる神輿に、菊のご紋が彫り込まれてあります.もちろん丸に2引の紋章も神輿の下の方に彫り込まれてあります.



さてそのお祭りですが、毎年10月の第2日曜日に例祭・還幸祭が行われます.秋祭りです.最近はご覧の様に稲の収穫時期が早まり田圃は殆ど刈り取られたあとですが、我が少年時代はまだ採り入れの最中か終わりに近くまだまだ黄金色の田圃が残っていた様に記憶しています.

このお祭りの主役はこの御神輿と山国隊の鼓笛隊の行進です.

御神輿はここから約1km程上の御霊神社に納めてありまして、お祭り前夜にここ山国神社に運ばれます.日も暮れる頃青年団のお兄さん方が白い装束で神社に向かう姿が格好良かったなあ、また当日は御神輿が暴れまくりバスのバンパーまで乗ったりと元気だったのを思い出します.

山国隊の鼓笛隊の行進.これは京都の時代祭の先頭をきることで有名ですが、時代祭が始まった当初はここ山国から参加していましたが、経済的な事情や農繁期に人手がとられるなどからでしょう、京都の朱雀地域の人による鼓笛隊に代わっています.ただ奏でられるメロディはここのものとは少し違います.ここの山国祭で演奏される者が明治維新時代の官軍の軍楽を原形のまま保存されたものだそうです.「エンテーエンテートンホロロン、トントトトントン・・・・」と、小太鼓の打ち方を習ったのを思い出しますが、このエンテー、というのはオランダ語の1,2、だそうです.

私が興味を持っているのは、にわか作りの農民兵である山国隊が、どうして明治維新を推し進め、その官軍の中でこうした当時の軍楽を習得して持ち帰ってきたかという事です.

山国隊とこの山国神社は切っても切れない関係がありますが、詳しくはここから10分程歩いていただいたところにある山国護国神社で説明させていただきます.

関連事項;
・杣御料としての山国庄.そこに派遣された杣職と名主.


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