あれから何年経つでしょう?大阪時代にgogo会の連中と樽見鉄道に乗って薄墨桜を見に行ったのは。高校時代の同級生達と桜の話をしていてこの桜を見てみたいという希望を聞いていたので快晴の7日に再度訪れました。
当日は満開3日目、見事に咲いていました。しかも大勢の人が見物できるように周囲も整備されていました。一段上に二世の薄墨桜が立派に育った姿を見せてました。花の勢いという点では当然のことながら二世さんが元気で、元祖さんの様子は我が頭髪の様子に思いをはせてくれます(^_')
遠くから見た正直な感想は、長い春を過ごして春を迎えた時に白い花の色に感じる素朴な喜びの色ではなく、名物ザクラが舞台に鎮座している姿でした。
従って我が目はその根本にいきます。何と言ったらいいのでしょう。凄いとしか言えません。
枝もしっかり張っています。きれいな花びらを咲かす小枝も伸びています。生命力そのものですね。
幾多の樹木医のご努力の成果でしょう、今も立派に人々を楽しませてくれている様です。継体天皇の形見と説明板に書かれていましたが、「身の代と遺す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛へ止むる」、まさにこの歌の詠まれた役目を一生懸命果たしている姿に見えてきました。まさに舞台に立たされて大勢の人々を前に一生懸命自分に与えられた任務を果たしている様に感じました。
宇野千代さんの貢献も大きいでしょうし、実際に土を掘り、根を活かす努力をされた桜守の人達の努力とその技術はすごいと尊敬します。そしてこれだけの歳を重ねながら元気な姿を見せてくれるこの古木には感謝以外の念はありません。
ただ、何かしら晴々とした気持ちになれなかったことも告白しておきます。この樹は、まだまだ元気だぞと言っているのでしょうか、それともいつまでもしんどい事やのう、と言っているのでしょうか。人間の基準で物事を測る愚かさを自然は教えてくれているのでしょうか。
駐車場からの道中に眺めた次の写真の様な、清流との、また雪残る能郷白山との桜のハーモニーの姿には清々しさ以外の何ものもありません。
生命力の偉大さに心を打たれつつ、何か心に引っかかるものが残りました。この心は上手く書ききれませんので、このへんでご勘弁下さい。
気になったことがあります。この木の周囲に水上勉さんや今日出海さんなどの記念植樹がされているのですがどうも幹だけになっていて枝が張っていないのですね。
樽見から少し奥へと進んでみると、能を演じる姿の像が欄干の橋にありました。後で知ったのですが、ここは能郷という集落なのですね。ここの能郷白山で能が演じられるようですが、ちょっと調べてみたいものです。
今年は昨年、大手術をしたお陰で、普段なら方々へ櫻彷徨をするはずですが、無念かな、医者に止められていて、ままなりません。そこで、こうした櫻の記事を読ませて戴くのが何よりの楽しみです。淡墨櫻は継体天皇の御手植えと伝説が残っておりますが、果たしてそうでしょうか。万一継体天皇との縁がある櫻であれば、能「花筐」を想起されます。照日の前を忘れていた継体天皇は、最終的に姫を思い出し、己の差し上げた花筐というハッピーエンドのお話ですが、何となく淡墨櫻の風情は、この他愛もないお話に似ているようで、いつも淡墨櫻を、そんな色眼鏡で観る習慣が取れません。樽見駅から、淡墨櫻を観るために歩いて行くと、橋があります。そこには櫻のマークの付いた鮮やかな色気は、地元の方々の思いが伝わってきます。尤も色気と言っても、関寺小町のような老女の、品のいい色気であります。でも能では孫次郎か若女を使用しますから、まだまだ若さを感じているお話をなっています。Fujinoさんは最もいい時季に行かれましたね。あの参道にお土産屋にはウンザリしますが、こうした古樹はすべて傾斜地にあり、水捌けと日当たりが欠かせないのでしょう。有難う御座いました!