北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

福井県おおい町福谷の「大火勢」

2013-08-23 00:43:41 | 地域の行事・催しなど

職場の「かくれ里探訪」講座、5月の多治神社の御田、7月の田歌の神楽、に引き続き、今月は「福谷の大火勢(おおがせ)」でした。

午後に同じおおい町にある若州一滴文庫を訪れ、しばし水上勉さんの世界を楽しんだ後、早めの夕食を高浜で済ませ、夕暮れ間近には福谷の里に到着、少し散策をしながら祭りを待ちました。

福谷といってもその地名をご存じない人も多いでしょう。福井県大飯郡おおい町福谷です。地図で探して頂くには舞鶴若狭道の大飯高浜ICの北側を見てください。地図を載せておきますので参考にして下さい。



この火勢山を舞台に繰り広げられる勇壮な火祭りを「大火勢」というのですが、私はネット上の写真などでしか見た事が無く、この夜を楽しみにしていました。夕暮れになると家々の提灯が目に付く様になりましたが、川辺にはこんな光も。




祭りは8時からと聞いていたのですが、太鼓と大きな提灯がおいてあるところにいたら、7時半頃はっぴ姿の男性が一人やってこられました。顔を見ると、あ、あのときの、、、私が先日下見に来た時に車を止めておられた男性に質問をしたら、いろいろ教えていただいた、白谷さんでした。暫くするとあちこちから男性が集まり初めました。

さてこれから火祭りの始まりを告げる太鼓が叩かれ、若い衆による笛も加わります。



その演奏を暫く聞いた後、大きな提灯も加わり行列が火勢山方面を目指し、途中から車道を離れたところには焚き火が準備されていました。ここで火を付けた松明を手に真っ暗な田圃の中を道を火勢山へと進んで行きます。



女人禁制だそうで女性は山には登れないと聞きましたので、あそこからがよく見えると教えられた場所へと移動されます。私は行列に付いていこうかとも迷いましたが、今回は最初だったので全体像を掴むために皆さんと行動を共にしました。

さて火勢が見える太鼓叩きが始まったところから山の上のイベントを見ていたのですが、最初はどうもぱっとしません。山の上で火が焚かれているのですがとても迫力のあるという姿ではなく、な~んや、という気持ちになりかけた頃、火が大きくなり始め、大きな火勢がだんだんと引っ張り上げられていく様子が見え始めました。何分待った事でしょう、ようやく火勢が立ち、またそれが回転し始めました。遠くから見ていたので間近で見る様な迫力は感じられませんが、勇壮な火祭りだという気分になりました。

さて、その様子を一生懸命麓からカメラのシャッターを押したのですが、駄目でした(*_*) ズームで撮るとブレる、ズームを効かさないと小さな炎がポツリ、ととてもその表情を撮りきれませんでした。三脚も準備しないでコンパクトデジカメだけという準備不足を後悔したものです。この山の上で行われていたことを想像していただく為に次の動画を参考にしてもらったらとリンクを張っておきます。これは8月の始めにおおい町主催の「スーパー大火勢」という花火大会のオープンを飾るべく行われるものです。

「スーパー大火勢」での様子です -> https://www.youtube.com/watch?v=KlGX4q0pNa4

ちなみにこの大きな火勢を立ち上げる時、引っぱる綱は藤蔓を使うそうです。金属製のもので引っ張ると切れてしまう、と白谷さんが言っておられたと記憶しています。この火勢を引っ張って立ち上げるには最低20人はいるけど若いもんの数が減って10何人しか集まらん、今年から簡略化する、とも仰っていました。火勢を立ち上げて回転させて一旦倒し、又立ち上げて、というのを3回繰り返されるそうですが、今年は1回だけにするとか。また毎年8月14日と15日の二日間行われるのを今年から14日だけになったそうです。

そうこうするうちに大きな提灯がしずしずと火勢山に向かいます。山の上の活気とは反対に暗闇の中を進む薄明かりの提灯の姿はなかなかのものでした。そして一大イベントを無事果たされた皆さんが松明を手に火勢山から下りてこられました。



やがてその行列は火勢山から集落へ到着し、ここでも太鼓と笛の競演です。




そしてその行列は一路伊弉諾神社へ集落の中を進んで行きます。




途中まで私もその行列に加わっていたのですが、車を駐車した場所と神社の距離がかなりあるのでこれを歩いて引き返していたら帰りが遅くなってしまうので途中行列から離れて車を取りに行きました。後で聞いた話によれば、神社に到着し、そこでひと踊りして、神社に参拝して終了となったそうです。ただこの踊りも男性のみだったそうで、まさに男祭りです。ただ昔は神社に櫓を建てて深夜まで踊りが続いたのだが、とも聞きました。

この大火勢はおおい町を貫くように流れる佐分利川流域の各地域で行われていたそうですが、今はここ福谷地区だけに残るのみだそうです。おおい町の行事として行われるスーパー大火勢では花火大会の前座を務めるようですが、これには50人もの人が動員されて大きな火勢を引っ張り上げて立たせているようです。ここ唯一つ福谷地区で保存されている昔ながらのお祭りとしての大火勢も、若者が減っていてその保存も大変な様です。伊弉諾神社へ向かう行列で、大変でしょうがこんな貴重な行事は保存して欲しい旨地元の人に話しかけたのですが、返事をされる若者の表情はどうも曇った感じを受けました。ただ白谷さんと話していて、スーパー大火勢で披露されているそうですね、と投げかけたとき、あれは町でやってることや、との答が返ってきましたが、そこには、ショーではなく住民の「祭り」として行っている人の心意気と大変さを感じ、何故か心に残る言葉でした

このお祭りは愛宕信仰によるものと聞きます。京都の北山の山里では上げ松(松上げ)があります。しかし愛宕信仰だけで語りきれないものでしょう。五山の送り火を始めとして、お盆と火の関係は深いものがあることでしょうし。

ここ福谷の大火勢の頁をぜひ読んでみて下さい。

福谷の大火勢の頁: http://www1.kepco.co.jp/wakasa/ooi/kataribe/fuku.html


下見に行ったとき仕事中の白谷さんに偶然会えて説明を聞けたのは幸いでしたが、その白谷さん、祭りの始まりの太鼓を叩かれ、笛を吹く青年に、途中優しく笛の指導もされていました。これだけの祭りを行うには準備段階からすごいエネルギーを費やされていることでしょう。この記事を読まれた皆さん、来年の8月14日にはぜひ福谷を訪れてみて下さい。スーパー大火勢では味わえない山里で続けられている伝統行事の雰囲気の素晴らしさ、祭りらしい祭りの雰囲気を味わっていただけることでしょう。華々しい花火はそれはそれで素晴らしいショーで楽しいものですが、こういった人の力を感じる火祭りも味わってみられては如何でしょう。鞍馬や熊野の火祭りには大勢の人が見物に参加されている様ですが、あまり知られてはいないのに、もっと勇壮なエネルギーを体感出来る祭りもあるよ、って知って欲しい気持ちです。我々は京都や奈良からの10名足らずの参加者で見学させて頂いたのですが、徐々にでもお祭りを見に来る人が増えたら、保存に努めておられる人達の励みになるかもしれません。そろそろマスコミやツーリストに踊らされることのない主体的な考えでいろんなお祭りを見て、日本人の底力を体感しましょう、と訴えたい気持ちです。

なお、参考情報ですが、舞鶴にもよく似た行事があるようです。
舞鶴市吉原のマンドロ(万灯籠): http://www.geocities.jp/k_saito_site/album13.html


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7 コメント

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ア!いいことしてる。 (徘徊堂)
2013-08-23 13:40:37
 お疲れ様でした。愛宕信仰というのは本当に広い地域に広がっていたのですね。東は、野洲と近江八幡の間で愛宕燈籠を見ましたし、南は京田辺でも見ました。
 花背の松上げを見たい見たいと思いながら未だ行けてないのですが、記事を読ませていただくと、昔は様々なところで同種の行事が営まれていたのですね。何も知らないときは鞍馬の火祭や花背の松上げ等を極めて珍しいその地域だけの祭と思い込んでいました。
 連れて行っていただいた所では玉岩地蔵の祭も是非見てみたいと思っています。祭の日には関係ないのですが、日吉からてくてく歩く計画を立てていますが、実現していません。
 この隠れ里探訪の企画も面白いですね。ここにこのような行事がと改めて勉強できますね。そのうち、行った人が毎日の歓待で帰ってこなくなったりして(笑)。
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かくれた伝統行事 (mfujino)
2013-08-23 17:57:39
徘徊道さん、愛宕信仰はかなり広範囲にわたっていますね。ここ福谷でも愛宕山へ火をもらいにお参りされます。また昨日は名田庄の知り合いが代表で愛宕さんへ参らんといかんので、細野の愛宕道から車で行けるか、と問い合わせがあり、ルート地図を送ってあげたことです。

この講座の2日目は玉岩地蔵に行きました。また明日が谷の八百比丘尼が彫ったと伝わるお地蔵さんも見てきました。明日が谷から海老坂へと比丘尼の伝説ルートが繋がります。それと締めは亀岡の請田神社と篠村八幡宮でした。あ、そうそう、玉岩地蔵へ行かれるのでしたら、秋のお彼岸にいかれるのは如何でしょう。盛大なお祭りがあるそうですよ。

上げ松ですが、昨年は盛郷のを見てきました。頭巾山へ行かれるとき、周山街道から福居への分かれにある橋の付近で灯籠木を見ませんでしたか?

かくれ里探訪を企画するのはあちこち資料にあたらないといけないのですが、これはこれで楽しいものです。しかし白洲正子さんも上手いタイトルを考えられたもんだと感心しています。いろんな祭や伝統行事、文化財を見て歩きたいですね。よ~けい眠ってまっせ(^o-)ただ祭などがだんだん廃れていく傾向にあります。その前に行かないと、という焦りもありますね。
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隠れ里に (ささ舟)
2013-08-25 21:59:29
mfujinoさん、こんばんは。
「大火勢」のお祭、初めて知りました。いいお祭ですね。
奈良のお水取りなど思い出しながら見せて頂きました。
わたし達が知らない隠れ里に、>よ~けい眠ってまっせ。ホントにそうでしょうね。それを今に面々とつなげていられる方々のご苦労も大変なものだと思います。一人でも多くの観客があることが励みにもなるのでは・・・。
私は足を悪くしてから大勢の中に入る勇気がなくていつも不参加で申し訳なく思っています。
請田神社と篠村八幡宮も行かれたのですね、どうでしたか?
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稗田野神社も (mfujino)
2013-08-25 23:51:04
ささ舟さん、こんばんは。
徘徊堂さんが頭巾山で雨乞いしてくださったご利益でしょうか、おかげでお湿りがあり猛暑も一休みしてくれました。ただその揺り戻しがこわいですね(^_・)

お水取りやお水送りには沢山の観光客が押し寄せられますしそれはそれで素晴らしいことだと思います。ただ私はそれを更にあの松明は誰が作ってはるんやろ、どう運ばれるんやろう、なんてことにも興味を抱きます。また自分の足許にも貴重な文化財や伝統行事が眠っていることをいろいろな交流から教えて貰いながら発掘しています。

亀岡では、稗田野神社・請田神社・篠村八幡宮を訪ねました。稗田野神社はいろいろ説明が行き届いていましたね。請田神社では皆さん歳を忘れて(^_・)下に流れる保津川を行く保津川下りの舟やラフティングを楽しむ少年、対岸を走るトロッコ列車に手を振っておられました。篠村八幡宮はどうも尊氏尊氏という臭いがしましたが、請田神社などは殆ど訪れる人もないでしょうが、あの場所に立つと亀岡盆地の国作り伝説に思いを馳せることができますね。桑田神社や鍬山神社も訪れたいところです。

稗田野神社ですけど、お陰様で電話連絡が出来、佐伯灯籠・人形浄瑠璃保存会の皆さんと話を進め始めています。ご協力感謝感謝です。
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Unknown (Unknown)
2013-09-08 10:21:18
 久しぶりにコメントします。記事はずっと読ませてもらってました。
大火勢(おおがせ)ですか。読み方さえわからなかったお祭りですが、動画を見ると、なかなか勇壮なお祭りですね。大火勢をぐるぐる回す人たちには、火の粉が落ちてきて、けっこう危険ですね。水をかけてはいますが、熱いでしょうね。気を抜くと事故がおきそうですね。
こんな趣のある祭りがおおい町に継承されていたとは、ちょっとした驚きです。大飯といえば、原発のイメージばかりでしたから、古き若狭の文化にふれた思いです。

 福谷の人たちが松明を連ねて火勢山に登っていく写真も、雰囲気がありますね。おっしゃるように、愛宕信仰だけではなく、送り火の習慣とか、いろいろ複合した要素がこの祭りにはあるんでしょうね。
火勢山が女人禁制というのが、うれしいですね。男女平等などと無粋なことをいう人がいなくて。私はギャルみこしみたいなのは嫌いです。あれはイベントであって民俗学で言う祭にあらずです。伝統を守るとは今の時代の価値観との闘いみたいなところがありますね。
HPの紹介もふくめて、いいものを見せてもらいました。
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立派な火祭りです (浮舟)
2013-09-08 10:23:12
名前、タイトル忘れました。
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守り続けて欲しい行事です (mfujino)
2013-09-08 20:47:55
浮舟さん、おひさです。ただ他のブログで味のあるコメントを楽しく読ませて頂いておりますので、久しぶりという感じは全然しないですね。

そうですね、当日あんなのを周囲に木が生えた山でやるの?って正直心配してました。後で参加者から聞いた話ですが、近辺では殆どの集落でこの行事が行われていたのですが、火事をおこしそれがきっかけで、一つ一つ止めて行かれたそうです。同じ火祭りの上げ松(松上げ)はたいてい川原か川の傍で行われるのに、山に拘られるのは何か意味があるのかなあ、と思ったりしています。それと男祭りとを併せて考えると、愛宕信仰の山伏達の力自慢という要素が関係するのかしら、と思わないでもありません。ただ本文にも紹介した、舞鶴のマンドロは川の中で行われていますね。

こういった祭りの類似性も気になります。同じおおい町でも石山峠を一山南に越えた名田庄では北山と同じ上げ松が残っています。またこの名田庄と京北の稲刈り手伝いなどでの行き来についても、その盆踊りの音頭や掛け声などの類似性に残っているというのはどこかで書いたと思いますが... 街道のことを考えるとついついこんなことを考えてしまいます。

YouTubeで見られたのはおおい町の夏の行事での「スーパー大火勢」で行われているものですが、こちらの方は人の問題もなく大勢で行われますので火勢も一団と大きいもののようです。
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