(1991年)湾岸戦争勃発
前年8月2日以来クウェートに侵攻し続けるイラクに対し、多国籍軍が空爆を開始。
高性能な最新兵器によるピンポイント攻撃を映し出す映像を観て、まるでテレビゲームのようだと、どのメディアでも決まり文句のように表現された。
日本でも戦争に反対する声はあったが、そう主張する人に共通したのは、多国籍軍(特にアメリカ)を非難することはあっても、戦争の発端となる侵略行為を働いたイラクを殆んど責めなかった点。
イラン・イラク戦争時、アメリカはイラクを支援した経緯があり、その背景からの問題悪化を指摘するのは正しいにしても、あまりに一方的というか、前時代的な態度に見えた。
知識人と呼ばれる人の限界を示していたように思う。
また、戦後クウェートが協力各国に対し感謝の意を示した際、多額の戦費を調達したにも関わらず、その中に日本が含まれなかったことも忘れられない。
これにショックを受けた政府は、その後PKO派遣など、「目に見える」かたちでの国際貢献を積極的に行うようになる。
少し前なら、どんな人道的理由であれ、海外に自衛隊をおくるとなれば猛反発が起こる為、議題にあげることすら躊躇われる空気があったが、これを境に多くの人の考え方が変わり、昔ほど反発の声はあがらなくなった。
日本人の意識が変わる転換点となった戦争でもある。
その是非は、後世の判断に委ねられる。
(1995年)阪神大震災発生
早朝にマグニチュード7.3の地震が発生、6000名を越える死者を出す大惨事となった。
政府・公共機関の対応の遅れ、マスコミの報道姿勢、火災・倒壊による圧死から見る建築設計の問題、ボランティア・チャリティー活動等々、様々な観点から検証されてきたが、ここでは先の湾岸戦争とも関連し、自衛隊に焦点を絞って書くことにする。
出動要請が遅れた為、自衛隊による救援活動が直ぐに開始されなかったのは有名な話。
当時はまだ自衛隊に対するある種の偏見が残っており、出来れば彼らの力は借りたくないという思いが、指導層の一部にはあった(いや、今でもあるが……)。
しかし、阪神大震災に於いて、民間では不可能な非常時の対応は、自衛隊こそが頼りになることが否応なしに証明された。
その事実に接し、自衛隊に対する国民の感情も変わったようだ。
頭ごなしに否定する人は現在でもいるが、自衛隊の存在意義に対し、ある程度理解が深まり、やたら感情的になって忌避することは減ったように思われる。
これ以降、大きな災害が発生した時は例外なく、各自治体から自衛隊へ、緊急出動の要請が即時行われるようになった。
最悪の事態にならないと意識が変わらないというのは情けないが、改善されるに越したことはない。