ホップ ステップ ジャンプ

喜びも悲しみも感じるままに~。

戦火に遭っていなければ…。

2013年02月20日 | つれづれに
目的は、浅草の駒形に在る、「エースサービス」にサムソナイトのスーツケースを修理に出すことでした。
久々に生まれた地の駒形に行きました。

写真は、駒形にあるACE(エースサービス(株)です。


浅草駒形の「駒形どぜう」



このあたりは、第二次世界大戦の戦火にのみこまれて一瞬にして焦土と化した所です。
このどぜう屋さんの道を隔てた所に、私の家は在りました。

下町の家は、庭を山の手の家々のように、大きく取ることが出来ないので、小さな庭を囲むようにして、部屋がありました。

東京に遊びに来ていた伯父たちに連れられて、駒形橋に行き隅田川を行き交う、ポンポン蒸気を眺めていたことが、昨日のように想い出されます。
あれから何年。沢山指を折らなければなりませんから数えないことにします。


駒形橋の欄干です。


今では金雲やスカイツリーが見えて、駒形橋からの景色がすっかりかわりました。


隅田川は今も変わらず魅力のある川ですが、3月10日の大空襲の時には、この川に沢山の方が飛び込んで命を落とされました。

私たちがなぜ無事であったのか分かりませんが、早めに高崎に疎開したので、家財道具も何もかも無事したが、今、考えると奇跡的です。



このようなお堂が在ったとは、今回、訪ねて行って初めて知りました。



トランクの修理に駒形に偶然行くことになり、自分が生まれた場所に佇むことが出来ました。
関東大震災と第二次世界大戦で二度も焼けた浅草の家でした。
もう浅草に家を建てる気力がなくなったのでしょうか、その後は世田谷に移り住みました。

久々に駒形に行き、街を散策して来ましたが、記憶に残っていたところは駒形橋だけでした。
心の中に封印している何かがあるようですが、その封印は解かないままにして置きましょう。

サムソナイトのスーツケースが取り持つ縁で、楽しい浅草散歩となりました。



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