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素晴らしき20代

文学部出身の社会人が書くエッセイ評論ブログ。

鈴木先生⑥+ジブリハウス

2009年01月03日 22時03分44秒 | 漫画・アニメ
 秋はあっと言う間に過ぎて行った。出張の連続。体調不良。精神の不調・・・。様々な困難を乗り越え、やっと年を越えた。
 金融危機は関係無い業界だが、景気は悪い。しかしボーナスはなんとか出た。特に買いたいものは無いが、やはり金が入ると心が満たされる。みなさまの何かの参考になればと暴露するが、25歳・入社3年目メーカー営業、総支給額およそ38万、手取り32万でした。中小企業なのでこんなものだろう。高望みしてはいけない・・・とはわかっているのだが。

 ボーナスが入金された当日、「散財しちゃいけない、貯金しなきゃ」なんて思ってたのに速攻でスーツとシャツ購入(約4万)、ヴィレッジバンガードで漫画4冊とCD一枚を衝動買い(約5000円)。一日で45000円も使ってるし。

 とか反省する気持ちも吹っ飛ぶ。なんたってヴィレバンで見つけた漫画が致命的だった。「鈴木先生」第6巻がキター!!!

 6巻も怒涛の展開だ。あの中学校教師の鑑、鈴木先生ができちゃった結婚!?神童・聖人君子のごとき女子生徒・小川も衝撃を受ける。噂は広がって教え子はパニック。学級裁判で鈴木先生が吊るし上げに!!しかしその学級裁判こそ、これまでの鈴木先生の生徒達への「討論指導」の結果が試される機会でもあった・・・。
 やはりグイグイ読ませるストーリーが秀逸だし、テーマがありきたりなようで読んでみると中身は深くて新鮮。個々のキャラや家庭環境の設定も出揃って、うまくストーリーに噛み合ってきた。これまでのエピソードが伏線として生きてる。ダーティな女子生徒キャラもなんか新しい感じだ。ただの嫌な奴じゃなく、思春期独特の生臭いウザさが出ている。作者の人間観察が半端じゃない証だ。

 電車の中で「鈴木先生」を読んでいると隣に座る人の視線が妙に気になる。劇画なので画風が濃く、台詞も感情的なものが多い。さらに作者自身「ホラー漫画の手法を参考にしている」という演出が劇的だから、この漫画は隣からチラ見しただけで気になるはずだ。前に5巻を買って電車で読んでたら隣の若い女の子が凝視していた・・・。少しでも興味を持って買って貰えればと思い、あえて隣の人に見せながら読む。
 5巻のエピソードが、作者が以前に書いた短編の焼き直しだと知った時はネタ切れかと思い、心配していた。しかし6巻に至ってこれまでのエピソードを伏線として、話が集約されてきたのには驚いた。計算され尽くだったとは。これからも目が離せない、昨今珍しい本気漫画である。

 他に購入したのは
 「聖☆おにいさん 1」:ブッダとキリストが現代日本で送る日常。実在する宗教の神(神の子)をパロディ化する究極の漫画。海外では発売できないだろう。でも軽くて面白い。
 
 「あたらしい朝 1」:なんか今話題らしい黒田硫黄とかいう人の漫画。表紙はポップなのに中身は筆で書いた劇画。しかもナチスドイツの戦争が舞台。なかなかシブイ。こんな漫画を載せるアフタヌーンって懐が広い!
 
 「さんぽもの」:友人へのプレゼント用。「孤独のグルメ」の谷口ジローと久住昌之のコンビが送る、お散歩漫画。日常と何気ない風景を楽しむ、これぞ最高の娯楽!


 買ったCDはジブリ音楽をハウスミックスした「Theジブリset」。
 ジブリ音楽をハウスにしちゃうなんて邪道だと思ったが、聴いてみると久石譲の美しいメロディにブレイクビートが割とイケる。ていうか泣きメロ+ブレイクビートって、僕の好きなイギリスのNEW ORDERがやってきた事じゃないか。そんな食い合わせは悪くないのかもしれない。
 僕はジブリ音楽のアルバムを持ってないので、久石譲の音楽をしっかり聴くのは初めてなのだが、今更この人のメロディセンスは凄すぎると知った。気になってどんな人物かネットで調べたら、映画音楽どころがクラシックもポップもなんでも来いの、世界的な巨匠だった。ジブリの魅力の半分はこの音楽にあるのかもしれない。音楽を聴くだけで映画のシーンも台詞も雰囲気も頭に浮かんでくる。それだけ映画のシーンにぴったり合った音楽なのだろう。僕は大学の時に洋楽をずっと聴き漁っていたが、それは「メロディメーカー」と呼ばれる人に興味があったからだ。ビートルズ、キンクスに惹かれたのもメロディに尽きる。ふと返り見れば、久石譲という天才メロディメーカーが日本にいたのに・・・。
 気がつけばハウスの要素をほとんど無視してこのCDを聴いているが、ジブリ音楽をインストにしたり英語にしてさらっと聞き流せる編集をしてくれているから、あまり飽きない。おかげでメロを堪能できる。これはこれで良かったのかもしれない。

 年末に、ずっとHDDに撮って見ていなかった「崖の上のポニョ」のメイキング映像を見た(NHKのザ・プロフェッショナル)。宮崎監督の情熱もよくわかったし、初めて知った「あのシーンの意味」もいくつかあって、理解が深まった。「ポニョ」は前にレビューで悪く書いたけど、なんかまた見たいと思っている自分がいる。大傑作ではないけど、DVDが欲しいかも・・・。

へうげものリーマン

2007年12月24日 00時16分09秒 | 漫画・アニメ
 いやほーい、社員旅行は無事終了!ボーナス支給!後は正月休みを待つだけ・・・!!
 と思ってたらなんか会議とかチョコチョコあるし、それほど気が抜けない。自分へのご褒美、なんて言い方はあまり好きじゃないが、やっぱりボーナスでは何か欲しくなる。いつも支給日よりフライングして鞄だの靴だの買っていて、今回もアウトドア風のショルダーを既に購入し、営業中に持ち歩いている。それより前に、すでにアーガイル柄のマフラーも買った。結構浪費してるなあ。
 一昨日も営業中に時間が余ったからリーバイスのアウトレットでカーキ色のGジャン買ってしまったし、昨日は通販でラジオ付き目覚まし時計買った。万が一ボーナス出なかったらどうする気だ、自分。コートだけは今年は買わずに、現状のままにしようと思う(ただ気に入るのが見つからないだけだったりするが)。
 Gジャンを営業車の中で着ながら「この作業着みたいな色、ワークテイストでアメリカンなんだよな~。着倒して擦り切れてきたり、洗いを繰り返して縮めばいい味でるだろうな~」とか一人で考えている。あまり着る機会無いくせに。そして次に狙っている分野は海外のカッコイイ文房具類だったりする。自分は現代の「へうげもの」だと思う瞬間だ。

 モーニングで連載中の「へうげもの」という漫画が面白いので単行本を買った。「へうげもの」と書いて「ひょうげもの」と読む。「へうげもの」とは、「へうげる者」。「へうげる」とは「ふざける」「おどける」いう意味だ。作中では「美術や茶道をとことん愛する道楽者」みたいな意味で使われている。
 戦国時代、信長の家臣である古田左介が主人公の歴史漫画なのだが、左介は武士でありながら美術品や茶の湯に目が無い。しばしば美術品に目がくらんで失敗を犯してしまう。
 1巻冒頭の軍議シーンからヤバイ。信長の仕切る軍議に出席する左介は、他の武将の着ている具足を見ながら「あいつの着こなしは工夫がない」「室町風で古臭い」などと頭の中で論評している。信長の着ている南蛮の着物に目を奪われて、軍議の内容など聞いていない。敵の大将を篭絡に行く時も、相手の持っている美術品を見ることばかり考えているし、名物(美術品の名品)のためなら命さえ投げ出す覚悟だ。
 史実によれば古田左介は後に、茶の湯で一事を成し遂げるらしい。結局武士の世界で手柄を立てるより、美術の世界に嵌りこんでしまうのだ。ただ、へうげもののストーリーの中では武功を立てて出世しようと奮闘しつつ、美術の魅力にも抗えないと葛藤する姿が滑稽に描かれている。

 もう何が言いたいのかお気づきの方もいるだろうが、私はこの葛藤具合に非常に共感している。文学やら美術やら服やら洋楽やらと、趣味道楽の方が気になって仕事に集中できない。古い言葉で「数寄者(すきもの)」と呼ばれる、そんな性分に生まれついた自分を、左介に重ねてしまう。
 「この靴のツヤが」「あのコートの素材感が」「その言葉遣いは」「あの地方の何処其処から見る風景は」などと考えていて仕事に集中できない、というか敢えて集中していない。脳を働かせる時間を、仕事よりも自分の美学論考の方に割く。この性分は宿命だ。身の回りの人も物も景色も、己の美学で評論せずにはいられない。美か醜か、粋か野暮か、イケてるかダサいか!それが問題だ!
 
 左介はけっこう武人としての仕事もできるので、まあエリート街道の人間だが、自分は大して人の役にも立っていないのに数寄者・・・!非常にやっかいな性分だ。ただ、浮世を生きるにあたって身近に楽しみを見出さないととても生き続ける気力が湧いてこない。精神を保つためには美学が有効だ。自分もいつかは仕事をそこそこやりながら数寄者として世間から一目置かれるようになりたい。というか「数寄」を生業としていければ、どれだけ幸せだろうか。

 へうげもののエピソードでは、戦国時代の「馬揃え」という軍事パレード?的なイベントで登場人物が衣装の妙を競い合う話が面白かった。まさに現代においてスーツの着こなしを競う伊達リーマンの姿のようだ。というかいつの時代も、男は服装に凝って威勢を示していたのだろう。
 今の世間でリーマンが見せびらかす物といえば車・時計・スーツ・靴・鞄だが、どれも成金趣味に陥ると野暮もいいところだ。あまり分不相応な物を無理して買うのではなく、へうげた(ひょうげた)センスで勝負したい。自己満足スレスレ、自分なりの解釈で着飾って、粋でクールな趣味を持つ、へうげた男になりたいものだ。

 作品中で出てくる「茶入」という美術品がある。その名の通り茶葉を入れる容器なのだが、この現物は非常に小さい焼き物の器だ。茶入の名物は戦国時代の一国に相当する価値があったという。茶入ごときがともすれば土地や人命よりも価値があるという、このブッ飛んだセンス。どんだけフェチズムなんだよと。茶碗とか茶匙(竹を削ったスプーン)、または刀の刃紋などに美を見出して追求する日本文化って恐ろしい成熟度だと思う。
 そんな血が流れてるのが現代の日本人なのだから、しょうがないだろ、オタクでも!!

 左介をはじめ当時の数寄者達は南蛮渡来の文物に憧れていたが、物流・交通・通信の発達した現代では海外の「名物」が美術品だけでなく、音楽、映画、文学、ファッションなどが津波のように流れ込んでくる。世界中の名物が思いのままに味わえる時代だ。こりゃ日本の数寄者は死ぬまで退屈しないぞ。

 このブログは、へうげものリーマンの作るささやかな箱庭である。現代のへうげものがこれから生き残れるか不安だが、マンガの「へうげもの」を読んで自分の生き方の指針としたい。
 

漫画:鈴木先生3巻

2007年07月22日 00時38分21秒 | 漫画・アニメ

 元来、ブログは意味の無いことが多い。くだらない日記などチラシの裏に書けばいいからだ。しかし、僕の書くブログには意味があると信じている。なぜならこんな素晴らしい作品があることを、知らない人たちに知らせることができるからだ。そしてこの作品に触れれば、きっと君の人生は変わるからである。

 「鈴木先生」(双葉社)は、従来にない非常にリアルで複雑で、深い教師漫画だ。作品の独自性はまあ読んでみればわかるとして、作者がすごい。読書量が半端ではなく、古今東西、あらゆる哲学、小説、演劇、戯曲に通じた筋金入りのインテリ・・・文学狂いだ。その知識と洞察力から生み出される、現代の中学校を舞台にした人間ドラマが本作だ。人物の心理描写はお手の物、ホラー映画の手法を取り込んだという演出も迫力満点。何より、一個一個の台詞が深い。味がある。薄っぺらい、どこかで聞いたような台詞や場面が出てこない。人の心の機微をとらえ、思春期の中学生とそれに苦慮する教師達を描く。

 1、2巻と読んできてその力量に感服し、「これはただの教師漫画じゃないぞ・・・!?」と思った。そして3巻を読み終わって、ついに衝撃を受けた。「これは・・・映画とか小説とか、超えた!!」

3巻のストーリーのメインは鈴木先生とその生徒・小川蘇美の恋愛に関することだ。小川は異常に大人びていてミステリアスな面があり、鈴木先生には「カミサマのような」少女だと形容されている。その小川が恋のトラブルに巻き込まれ、3巻のラストで言う台詞に、唖然とした・・・。仕事中にミスドで読んでいたのだが(働けよ・・・)、僕の顎はガクガクと震え、アメリカンコーヒーがソーサーにこぼれた。

 「愛とは?究極の愛の形とは!?」こんな哲学を提示されるとは思わなかった。
 今まで、「それ」を語る映画、文学、音楽、絵画に無数に触れてきたが、これほどまでに「愛」を実感した事はない。

 なにより、漫画でなければこの表現はできなかったんじゃないかなと思う。このシーンはそれほどに良い。実写だと俳優の演技に限界があるし、活字だと物足りない。漫画が一番、作者の思い通りに表現できるのだろう。

 この小川蘇美の台詞が、人間考察のプロのような、百戦錬磨の鈴木先生に「俺はもう・・・(略)」とさえ思わしめる。ネタばれになるのでやめておく。
 
 1,2巻も教育や人生について考えさせられる内容だったが、3巻でいよいよ、本当に唸らされた。多少こ難しい内容でもいい、読み応えのある漫画や本が読みたい人におすすめだ。というか少しでも興味があったら購入して頂きたい。そして武富氏の生活(いや製作)資金を援助するのだ!この人の執筆を止めさせてはいけない。歴史的に考えて。本当に感動しました、武富せんせい!!!

 さて、悩みが3つある。
一つは、この感動が、自分の拙い文章力では皆さんに伝わっていないであろう事。
二つ目は、この感動を語り合う、鈴木先生を読んでる知り合いが一人も周りにいない事。誰か今すぐ、電話かメールで連絡を取ってきてほしい!!そして何時間か、この漫画について話し合いたい。
三つ目は、こうやって仕事中にブログのネタを下書きするクセがついてしまいそうな予感がする事だ。 



追伸:私事ですが、友人Nが結婚する事を知った時、僕は、この画像の鈴木先生みたいな表情に、なっていました。

緊急:センゴク8巻について

2006年03月11日 20時02分20秒 | 漫画・アニメ
 昨日用事があって駅前まで行ったら、あ、そろそろセンゴクの新刊発売してるんちゃうん、と思い出して本屋に行ったらあったので購入。

 しかし内容が残念。せっかくの比叡山焼き討ち編なのに、またもホワイトデーのお菓子よりも甘~いヒューマニズムがっ!!


 信長が比叡山延暦寺の高僧を叩き斬る場面。僧侶の死骸の山を前にして、高僧が叫ぶ。

高僧「ここを何処だと思っておる!畜生がごとき武士が雲上人たる僧を斬るなど言語道断!!」
信長「何故、坊主が特別か」
高僧「決まっておろう!!我ら僧が仏法により京を王城鎮護し!!この日ノ本を魔から守っておるからじゃ!!」
信長「王城鎮護だと?笑わせるな・・・。貴様等は己のみを慈しみ守っていただけ。それ以外のなにもかも守られてなぞおらぬ・・・」

 ●堕落した仏教にしがみつく僧侶の言葉を一蹴し、断罪する信長!カッコイイ!!

高僧「恐ろしや・・・きき貴様から獣の臭いが漂っておるぞ・・・死骸の異臭よりおぞましい・・・畜生 獣の臭いじゃ」
信長「左様 獣が前に武士も僧もあらず」

 刀を鞘から抜く信長。

高僧「オ、オイッ!ま・・・待て!!」
信長「しからば貴様の血をもって・・・・三世における一切衆生の真理を説いて進ぜよう」

 ●高僧の言葉も、戦国の覇者・信長の前には寝言も同じ。旧時代の悪弊である仏教を斬り滅ぼすのだ!
 
 信長、大きく刀を振りかぶる。

高僧「ああああああああああああああぁああぁあぁ!!!!」
信長「愛するものを『守る』資格を有するのは・・・・・・・・・・・・強き者のみじゃあ!!!!」

 刀が高僧を真っ二つに斬り下げ、血が飛び散る。

 ●って、あれ・・?んん??何かおかしいよ?「愛するもの」って何ですか??

信長、刀を拭いながら「案ずるな。京はワシが守る。」


 なんじゃこれ。意味不明もいいところ。愛するものって何なの。文面通りに解釈すると「京」のこと?
 いやいや、この会話の流れから「愛するものを守る資格」はないでしょう。冷める。台無し。

 この後、また主人公センゴクとヒロインのラブロマンスが一通りあって、比叡山編は幕を閉じる。このラブロマンスのチープさは言うまでもない。なんでこんな内容なんだろう。絵はカッコイイだけに惜しい。

 8巻の後半には武田信玄(表紙写真)も出てきて、また面白くなりそうではある。
 ただ、このセンゴク8巻は信長が上記のようなセリフを言わされてしまった「悲しい巻」として、永遠に僕の胸に刻まれるのだろう・・・。


漫画:センゴク について

2006年03月08日 21時20分35秒 | 漫画・アニメ
 戦国時代っていいよね。ロマンがある。
 下克上っていいよね。秀吉とか。
 比叡山焼き討ちっていいよね。タブーを破っててさ。

 「センゴク」は戦国時代を舞台にした漫画だ。これまでの常識と違う合戦模様が特徴だ。最新の研究に基づき、超リアルな戦を見せてくれる。「当時の戦いの戦死者の7割は弓矢によるもの」「馬に乗ったまま槍は使わない」など。久しぶりに単行本を集めてしまった漫画だ。産経新聞に広告が出てて知ったのだが、おそらく大人ターゲットなのだろう。

 人物像も研究に基づいており、新たな秀吉像、家康像などが見られる。
 上の画像は明智光秀なのだが、戦場で血を顔に塗って化粧をし、士気を高めていた・・・・らしいけど本当か??変態じゃないか。
 他にも本願寺の僧侶、顕如はがめつくて悪いキャラで面白い。

 しかし、この漫画で気に入らない点もある。
 所々に出てくる甘ったるいヒューマニズムだ。「明るく生きろ」とか「笑顔でいるだけで救われる」みたいな思想が出てきて、非常に違和感がある。せっかくリアルな戦国絵巻になってるのに、現代風の人間賛美、生命賛歌の思想を登場人物に言わせてしまっては台無しだ。こんなヒューマニズム、戦国時代の日本にあるわけがないし。
 これは作者の脚色・演出によるものだろう。このような所に、作者の力量が表れる。歴史観や人間観の深浅が出てしまうのだ。

 もちろん、当時の人々の物の考え方など、今ではわかるはずもない。
 ただ、男のロマンである戦国武将が薄っぺらく見えるような描き方だけはしてほしくないものだ。

 その点、吉川英治の「三国志」は殺伐としてて良かった。なにしろ吉川氏は戦前の作家だ。戦後の偽善ヒューマニズムに毒されていない。

 まあ戦国時代の勉強になるから、「センゴク」は今後も読もうと思っている。もう生命賛歌的な展開が無いことを望む。ディズニーじゃないんだからさ。 

漫画:「シガテラ」6冊ほぼ一気読み

2006年02月08日 22時18分43秒 | 漫画・アニメ
 問題作「シガテラ」が本ブログについに登場だ。古谷実はすごいね、ネット上でもこんなに議論されてる漫画は滅多に無いでしょう。「この漫画大好き」という人もいれば「つまらん、くだらん、わけわからん」と一蹴する人も。そして絶賛する評論家もいるし。で結局この漫画、どうなのよ?、と。

 最終刊を読み終わると(つい先ほど読み終わった)、なんか煮え切らない感じで混乱する。作者は何が言いたかったのかと思う。それで色々考えて、1巻ぐらいからの内容を思い出して見る。この作品の特徴的なところを取り出してみる。
 まず主人公オギと南雲さんは作中、異常に幸せ過ぎて異質だ。他の登場人物は気持ち悪いのもいるけれども、不幸せでリアルだ。脇役の方が現実の世界で、主人公カップルは虚構であり理想。理想ってのは「幸せな青春」。現実ってのは「なんだか知らないけれど上手く行かなくて不幸な日常」。この漫画の重要なテーマの一つは「青春の光と影」で決まりだろう。

 主人公の心理描写は天才的だと思う。ウジウジ悩み、恐れ、喜び、悶え、諦め・・・・。若者の心理をここまでリアルに、キレイにも汚くも描ける作家は稀だ。心理描写の面白さは、この漫画の面白さの7、8割を占めると思う。

 この作品の持つ特徴を考えてみると、あまりに文学に似ている。煮え切らないストーリー、心理描写、現実と理想、主人公の成長など。これは漫画だけど、こんな内容の小説は世の中に無数にある。私はそんな小説が大嫌いだ。内容が無いくせに、何か考えさせられるような、思わせぶりの小説が嫌いだ。そんな小説は価値が無いと思う。(ぐぇ、このブログで自分が書いてた小説と似たようなもんじゃないか・・・。こんな偉そうな事言える自分って何様なんだろう。不可解だ。)
 
 もしも「シガテラ」を小説の本にしてみたらどうだろう。気持ち悪いね、これ書いた奴はバカじゃないかと思う。絶対に金出して買いたくないもの。でも、古谷が書いた漫画だったら読んでしまう不思議。
 
 単行本のデザインや所々出てくるカットから、何か儚い、不安定な美しさを感じさせる。
 結局「シガテラ」は漫画なのに文学しちゃった作品だ。しかもエンターテインメントに。漫画雑誌を読む人はもっと判りやすい娯楽を求めてるだろうに、シガテラはよくも誌上で生き残ったと思う。
 これこそ作者の力量なんだろう。次がどうなるか読めない。続きが気になる。ギャグは面白いし。「根暗な若者が自己陶酔しながら読む文学作品」のようなストーリーなのに、週刊漫画誌で多くの読者に読ませてしまった。
 主人公カップルの幸せな様子を描いて読者に夢を見させて、片や物凄い暗い負のサイドストーリーが伴う。これが読者の混乱の要因なのだが、なぜこんな話にしたのかというと、ジェットコースター式のエンターテインメントにするためだろう。ストーリー中に出てくる「危機」がリアルで、「うわー、あるある」「ありそう」と感じて、続きがとても気になる。連載漫画家としての腕がすごいのだ。
 
 ラストは困惑するけれど、なんだか青春が爽やかに終わった気がした。その後、「あはっ、これぞ人生」って思えた。「大人になる意味」とか「真の幸せ」とかは少ししか考えさせられなかった。ただ、人生の崖ップチってすぐ側にあるのかもしれないと怖くなった。

 古谷実以外がこんな漫画書いたなら、許せないよ。でもたぶん、これが映画なら許せちゃうかもしれない。小説なら嫌なのに。この矛盾!
 「シガテラ」を読んで、漫画を読む意味をすごく考えさせられた。漫画って何?なんのために漫画読むの?って。この漫画大好きって言う人と、くだらないって言う人とは、漫画に求めるものが全く違うんだろう。
 つまり普通の漫画が読者に与える物と、「シガテラ」が読者に与える物は、全く別なのだ。一体それは何?
 
 この謎を解く鍵はやはり、文学や映画にあるんだろうなあ。こんな謎、解きたくないなあ。「シガテラ」みたいな文学や映画を探して沢山観るなんて嫌だもの。
 解けても、別に大して成長できない謎なような気がする。これは、もうほとんど僕の青春は終わったからかなあ。 

 (まだ読了後すぐなので、また「シガテラ」について何か思いついたら書こうと思う。)

漫画:劇画 ヒットラー by Shigeru MIZUKI

2006年02月05日 20時42分39秒 | 漫画・アニメ

 先日紹介した「劇画 ヒットラー」は面白かった。第二次大戦の勉強になるし、ヒットラーの人物像もわかる。
 しかしヒットラーという題材はやはり「ゲテ物」なのだろうか。世紀の大虐殺者なので、気軽に漫画化できないのかもしれない。それに敢えて挑んだ水木先生はかなりの大物だ。
 あとがきによるとこれは約30年前に描かれた漫画で、当時の雑誌「漫画サンデー」で編集側から「自由にやって欲しい」と言われて始めたそうだ。(漫画サンデーは現在の週刊少年サンデーとは一切関係無いらしい。)



 お楽しみの中身を紹介していこう。表紙裏からヒットラーの遺書がバーンとデザインされている。うわあ、ダーク!



 始めに主な登場人物の紹介があるのだが、このヒットラーのやる気の無い顔。水木先生の画風は承知していたつもりだが、のっけから主役ヒットラーがこんな脱力具合だとツライ。
 しかし、本編ではちゃんと生気溢れる絵柄になっていたので大丈夫だった。安心して欲しい。
 この人物紹介ページの図は、本編中の一カットのヒットラーを加工したものであった。どうも先生直筆ではなく、他人がトレースしたものらしい。後付けで人物紹介ページを作るために描かれたもののようだ。紛らわしいことはやめてほしい。



 本編の絵は雰囲気がよく出ている。写真のように、非常に細かく書き込まれたリアルな背景と、いわゆる水木絵キャラが融合した画期的な作画。背景から当時のドイツ・オーストリアの街並みや建築の雰囲気が伝わってくる。白黒の画面が、このような背景画や水木絵に効果的に作用し、ある種の「凄み」が出ている。
 水木先生は普通の絵もとても上手い。本編に登場する人物は水木絵キャラが多いが、しばしばりりしい劇画絵キャラも出てくる。この使い分けの妙!まさに匠である。


 特筆すべきは章ごとの凝った扉だ。ナチスの資料写真を使用した劇的なカットや、悪魔や死神になぞらえられたヒットラーの絵がヤバイ。
 写真はヨーロッパ絵画風の悪魔達と空を駆けるヒットラー。なんとおどろおどろしい扉絵だ。本編中にはこんな扉絵が幾つかある。
 このように水木先生は本作品で、単なる歴史上の人物としてのヒットラー像から、イメージをさらに昇華させた。しかもそれを文章ではなく、絵で具体的に描いてしまった。こんなヒットラー像は、少なくとも日本漫画界では前代未聞ではないだろうか。

 貧乏絵描きの青年からやがて狂気を帯びた政治家となるヒットラーは、まるで化け物のようだ。荒涼殺伐としたラストシーンが印象的だった。こんな作品を描いた水木先生がある種化け物だ。
 
 先生による「あとがき」がまた、やってくれる。あとがきのタイトルが『ヒットラーさん』。
 先生は当時、リアルでヒットラーの登場をメディア(新聞・ラヂヲ、映画だと思われる)を通して見てこられた。
 ナチスは結局ロシアと対戦して破滅した。
 『当時あまりものを知らない18才の少年の私ですら、対露戦は冒険だ、と思ってみていた』そうだ。
 ナチスが対露戦に踏み切った理由を『ヒットラーがなにか神秘力をもっているような気がして、ドイツ人はゆるしたのだろう』と言う。自身も『当時18才位だった私はヒットラーに酔っていた』。
 『ヒットラーのように「鼻ひげ」をはやそうと思ったが、18才では無理だった』
 『いずれにしても当時のヒットラーさんは格好が良かったネ』
 
 『やたら右手を上げては戦争に勝っていたが、無理な戦争だったとみえて最後は自決だった。人間あまり無茶をしちゃあいかんネ。』
 
 根本的に僕らと感覚が違うのだ。
 

追記:私個人の考えを言うと、ヒットラーは世紀の虐殺者だが、彼の名だけを悪の代名詞として使うのは馬鹿げている。スターリン、毛沢東、ポルポト派、原爆を開発させたルーズベルトと落としたトルーマンなど、超大量殺戮を犯した人物は他にもいる。ヒットラーだけをことさら強調するのはおかしい。他の虐殺者を見逃してはいけない。
 「独裁者のような人物」を揶揄する際には、「ヒットラーのようだ」ではなく「まるでスターリンだ」「毛沢東のようだ」と言ってみよう。

 

漫画 『伝染るんです。』吉田戦車

2004年10月18日 21時31分53秒 | 漫画・アニメ
 先日書いた『ハイウェイスター』と一緒に購入。前から吉田戦車の4コマが欲しくかったのだが、小さな古本屋で50円で売られているのを発見。カラーページもあって定価は1100円。消費税以下になってるよ、いいのか本当に。奇想天外なネタが豊富に詰まった濃い内容である。なんか、物事を考えていて行き詰まった時に読むと新たな発想が生まれてきそうだ。しかし、収録されている水上スキーのカラー写真など、なんの脈絡も無く意味不明である。
 特筆すべきは主人公(?)のかわうそ君だ。一時ブームになったのでその存在は以前から知っていたが、漫画本編での存在感はスゴイ。かわうそ君の行動は暗くて無意味。彼はたぶん何らかの信念、行動原理を持っている。その内容は不明だが、彼の活躍は一度見ると忘れられなく、クセになる。私のハートは鷲づかみにされてしまった。
 
 世の中の漫画はネタ切れをして久しい。特に週刊少年漫画はもう、どれだけパクって、どこまで続けられるか競い合っているかのようだ。しかし4コマ漫画には、私が未見の名作がまだまだ隠れているし、大きな可能性のある現役の作家もいる。吉田戦車以外では、和田ラヂオという漫画家が極限にシュールで気になる。
 吉田戦車は絵が上手くてアイデアも豊富。天才の一種だ。伝染るんですは今回は4巻しかなかったのでまた50円で見つけられればいいんだが(ケチり過ぎか)。
 

漫画 『ハイウェイスター』大友克洋(短編傑作集)

2004年10月14日 20時52分13秒 | 漫画・アニメ
 大友克洋とは、なんて変な漫画家なのだろう。現在では『AKIRA』によって世界中から多大な尊敬を集めているが、青年だった頃、70年代に描いた漫画はどれもシュールで、変なストーリーが多い。
 この前まで大友の漫画が欲しくてアマゾンで何冊か買っていた。やはりシュールで微妙な作品が多いため、本当は新品でなく中古で買いたかったのだが、古本屋に全然無い。なぜか古本屋に出回っていないのだ。持っている人はよほど気に入って所有し続けているのだろう。それとも忘れられているだけかもしれない。なにしろ存在感の薄い作品群だからだ。この『ハイウェイスター』は、近所の小さな小さな古本屋で偶然見つけた。こんな店にあるなんて信じられなかった。しかも定価700円が300円になっていた。安い。宮崎駿の漫画と共にレジ横の棚に置いてあったので、店員は大友のネームバリューを知らないわけではないようだ。
 さて内容であるが、過去に買った短編集と比べ、格段に奇妙度が高い。期待通りだ。なんてことない日常を題材にしながら、おかしな登場人物が奇行をする。そして救いがないまま、エンドなのだ。
 出版元はアクションコミックス。アクションといえばクレヨンしんちゃんが連載されている雑誌だ。少し前に売れ行きが悪くて休刊になったが、先日復活した。そして今度は過去に実際に起こった猟奇殺人事件を題材にした漫画を掲載して物議を醸している。アクションはなんとも尖がった、良識にケンカを売るような雑誌なのだ。過去に大友の短編を載せていたこともうなづける。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4575930296/qid=1095592541/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-2334380-5799441
 大友は表紙とか扉絵に、妙に凝った、象徴的な絵を描く。それで馬鹿馬鹿しい内容。軽薄なノリの作風は当時も異端だったらしい。しかしあっさりした描き方でエグイ話を描いていて、少しくせになる。このような独特のスタンスを持つ作家が、万人受けするテーマで、ダイナミックな作品を作れるようになると「大化け」するわけだ。異端の原点を見せてくれる本作、けっこう楽しめた。

漫画:みうらじゅん『アイデン&ティティ』

2004年09月14日 22時24分15秒 | 漫画・アニメ
みうらじゅんは面白い。みうら氏の漫画を買うのは初めてだが、これは凄いと思った。ひたすら本当の「ロック」を求める男の苦悩と葛藤。ボブ・ディランやジョン・レノンの詩が引用されている。知らない人はさほど感動しないだろうが、これらの詩を知っていて、かつ現在の邦楽シーンのレベルの低さに不満のある人ならばこの漫画はもう、ど真ん中ヒット。氏のポップな画風も受け入れられれば完璧だ。また、登場人物の考えが深く、話の展開も意外な方向に進んで面白い。漫画として高いレベルにある作品だ。
 みうら氏は人が考えない事を真剣に考えて、実現するのだからすごい。この作品はディラン他の音楽の素晴らしさを広め、現在の邦楽を再考させるように描かれている。ディランの詩は一般にはまだまだマイナーだし、邦楽シーンに不満があったとしてもそれを漫画にして発表するなんて、普通の人間ならしないだろう。いや、できないのだ。邦楽界はマスコミとつながっているので、マスコミを敵に回したくない物書きは、公には邦楽を批判しずらい。まして漫画にしてどれだけの需要が見込めるか。みうら氏はたとえ需要が見込めなくても、自分の意見をはっきりと作品に打ち出して発表したのだから大したものだ。結果的にこの作品は映画化までされて大成功した。
 常に世間を無視したブームを作るMJ(みうらじゅん)。先日はテレビで、今は「海女(あま)」がブームだと言っていた。海女の素潜りの水着には、大人にしかわからない色気があるらしい。MEGUMIを騙して海女の格好をさせて撮影したポスターには笑った。
 みうら氏の気になる今後の動向だが、雑誌によると、なんと今度は自分自身が「出家」するのだという。一人が嫌だから友人も一緒に出家しようと誘っているらしい。友人を説得する文句は「だって断る理由ないでしょ?」。新たな境地開拓なるか。楽しみだ。

ちなみに他の著作で気になっているのは『見仏記』、『カスハガの世界』である。読んだらまたレヴューしたい。
 

漫画『劇画 自民党総裁』

2004年09月12日 19時46分28秒 | 漫画・アニメ
 こういうのが結構好みだ。飽きずにまだ続きが読みたい。ゴルゴ13のさいとう・たかを作『劇画 自民党総裁』である。買ったといっても単行本ではなく、コンビニで売ってる廉価版コミックスだ。本来600円ぐらいするのだが、古本屋で80円で売られていた。普通の漫画として読むとクソ退屈だろうから人気が無くて投売りされていたのだろう。元々政治に興味があり、自民党史と戦後史の勉強として購入したのだが、ドラマチックに描かれていて面白い。
 総理大臣は自民党総裁を兼任していて忙しい。ひたすらの政争、権力争い、派閥抗争。肝心の政策に実が入らない仕組みになってしまっている。この仕組みを変えないと、絶対に政治は良くならない。しかし自民党は組織が大きいため、派閥間の軋轢は免れないのだ。
 真面目に政治を良くしたいと思っている人ならば閉口してしまいそうなこの現実だが、派閥抗争という言葉に胸躍る自分がある。「派閥抗争」という言葉が『ゴッドファーザーpartⅢ』の解説文に出てきたからだろうか。いや、男の浪漫なのだろう。本能的に男は集団間の争いをしたがる。だからこうして党の内部抗争が劇画の題材にまでなるのだろう。
 登場人物が、途中まで脇役でも総裁になったら主役になる。この主役交代劇が面白い。これまで主人公の敵だった人物が主人公となり、自然に読む者の共感を誘う。登場人物それぞれの立場を考えざる終えない。まさに人間ドラマだ。
 特に田中角栄が凛々しく描かれているのは気のせいだろうか?今回買った巻の主人公達に少し思い入れを持ってしまった。しかし、現首相含め90年代以降のあまり大した事をしていない総裁たちも、将来「劇画」になるならカッコよく誇張されるのだろうか。「劇」画だから「劇的」に演出してしまうのはあたりまえかもしれないが、故小渕氏などかっこよく描きようがないじゃないか。ちなみに元号が平成になった時、「平成」と毛筆して見せて記者会見で発表したのは小渕氏である。しかしそれ以外は2千円冊や地域振興券、ろくなエピソードがない。森はある意味で面白くなりそうだ。
 まあ現代の政治家には、劇画にできるほどハードな「男の闘争」を見せて欲しいものだ。

水木しげる展。

2004年09月10日 21時58分26秒 | 漫画・アニメ
 私は小さい頃にゲゲゲの鬼太郎に強く影響された。鬼太郎世代といえる。水木しげるの妖怪は子供に大変人気がある。この抗えない魅力はなんだろう。
 今夏最大のイベント、水木しげる展に行った。水木氏は子供の頃はガキ大将だったらしい。太平洋戦争で南方に行ってマラリアにかかり、さらに敵の爆弾により左腕を失っても生き延びた。生命力が常人とは違う。その秘訣は食欲のようだ。とにかくよく食べるらしい。水木氏の爆発的な創作エネルギーを支えるのは大量の食だ。氏が漫画界にデビューする前に描いた貸し本屋用の漫画本が一挙に展示されていたのだが、凄い量だった。これだけの量を描ける作家は珍しいだろう。しかも作風が幅広いのだ。やはり常人ではない。
 水木氏の漫画といえばなんといっても妖怪だ。よく知らない人からは、作風は暗いと思われがちのようだ。私など友人にこの夏のイベントは水木しげる展ぐらいしかないと言ったらかなり笑われた。イベントがないのは悲しいが、「水木しげる」は悲しくも暗くもないぞ!
 氏の漫画はユーモアに富み、本質はとても自由で牧歌的なのだ。底抜けに明るい。明るくなければこんなに楽しんで描き続け、長寿することなどできないはずだ。現実を超越した妖怪という存在を、ひたすら描く。水木氏は自らの内面にある超常世界を常に具現し続けている。こんな自由な精神は他に無いだろう。流行の言葉でいうなら氏は「自己実現」の最たるものを成し遂げたのではないだろうか。
 妖怪は古来よりの日本人の自然観、生死観から成り立った存在だ。その妖怪を描く水木しげるは、本当の日本人の魂を持っている。さらに、氏が妖怪を描いたのは「日本画」においてではなく、日本が世界に誇る芸術「漫画」においてだ。これまでの功績を踏まえ、国民栄誉賞を授与すると共に人間国宝に認定したい。
 妖怪は死なない。妖怪の中に、我々日本人の心が永遠に生き続ける。
 展覧会の売店で、氏の言葉「なまけものになりなさい」「好きなことだけして生きなさい」が書かれた色紙が売られていた。氏はこのような人生訓を人に啓蒙する立場になった。
 金持ちになったら水木氏の漫画を全て買って読もうと思う。  
 

『ファインディング・ニモ』と我が国のジブリ 

2004年08月07日 20時49分07秒 | 漫画・アニメ
 個人的にディズニーの映画は偽善的であまり良い印象は持っていない。しかし『ニモ』や『トイストーリー』は正確にはディズニー映画ではなく、ピクサーという別のアニメ製作会社の作品である。創始者のなんたらという人物(アメリカ人)は宮崎アニメマニアだそうだ。ピクサー作品は宮崎アニメ(日本のアニメ)に影響を受けているのか、ストーリーが単純で大味なアメリカ流ではなく、心の機微も描かれているように思う。さて、とりあえず見た『ニモ』であるが。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00009XLLE/ref=br_xs_anm_ts_1//250-2334380-5799441
 最ッ高であった。本当に素晴らしかった。CGの微細さ、美麗さはもうこれ以上ないレベルとなっており、実際に海中で写したかのようである。キャラクターデザインは質感が本当の生物のようだが適度にディフォルメされており、表情の変化も豊かでとても魅力的である。ストーリーも父親の魚が息子を探すため海の中でチョコマカするだけではなく、舞台が海の外になったりして面白い。心情変化やギャグが多彩で、泣かせ笑わせで飽きない。ニモは片方のヒレが小さいという障害を持っており、父親のたった一人の息子である(母親と他の子供は肉食魚?に食べられたらしい)という深い設定だ。そのような親子の間の愛情が描かれ、大人の心も打つ。完璧だ。ここまでとは思わなかった。
 私は世界最強のアニメ製作会社はジブリであると思っている。しかし断言しよう、ピクサーはジブリに追いついた。今年の個人的アニメ映画アカデミー賞は、『ハウル』やスチームボーイ、イノセンス、アップルシードを観ずとも『ニモ』に決まる、か?(ちなみに自分はケチでめんどくさがりで、ほとんどの映画はレンタルDVDになるまで見ない。とても映画批評をする人間とは思えない。申し訳ない。)
 日本のジブリが負けるのは私としても大変心苦しい。ジブリはアニメ界の神である。そしてジャパニメーションは外国に絶対に負けてはいけないのだ。もしも万が一、ハウルがコケたなら、つまりジブリが負けたならば、私は日本を捨てて米国に亡命するかもしれない。
 しかし、ジブリには外国のアニメには絶対に真似できない独創性がある。それは世界に誇る日本の歴史、伝統文化から創造される世界観だ。『トトロ』他の日本を舞台にした作品の雰囲気はジブリ(あるいは他の日本のスタジオ)にしか作れない。日本人独特の「心」、いわゆる「もののあはれ」も外国勢には真似できない。そしてアニメの描写における世界最高峰の「匠」の技。これらの強みを活かし、ジブリは独自路線で作品を創り続けるべきだ。それに対して米国のピクサーはディズニー配給ということもあり、世界共通に受け入れられる作品を作る。米国は世界標準のものを作りだすのが大変上手い。前世紀、国を挙げて自由民主と資本主義、英語中心グローバル世界を広げてきた国なのだから。『ニモ』は世界中を視野に入れながら、作品がたるんでいない。普通、万人受けしようとすると作品の中身は半端なものになってしまうのだが、そうなっていないのが凄い。
 ジブリは世界標準などを狙ってはいけない。日本アニメの伝統を受け継がねばならない。というか日本人の国民性を強く意識し続けなければならないのだ。しかしながら今回の作品は、イギリス文学を原作とする『ハウル』である。中途半端なものにならないか、大変心配だ。下手に外国の空気をコピーしようとしていなければよいのだが。これで現在の宮崎駿の手腕が試される。
 私はこの心配が杞憂に終わることを望んでいる。『ハウル』はきっと夢のような作品になるはずだ。ジャパニメーションは負けない。

『ハウル』公開後、私が失踪したならば、ピクサーのある米国に亡命したと思ってもらいたい。
 

アニメ『人狼』を見た。

2004年07月06日 17時43分55秒 | 漫画・アニメ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005V1D6/qid=1089206036/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-2334380-5799441
 『攻殻』の押井守が監督してるらしいから期待して見た。淡い色彩や緻密な描写が美しく、ジャパニメーションの実力を発揮したと言える。ベルリン映画祭で高く評価されたらしい。
 しかし、主人公属する首都警の装備が近未来的すぎて1960年代という設定に全く合わない。なぜ、こうも無理をするのか。悪意で見れば製作者の自己満足のようにすら思われる。筋書きは暗く虚無主義的で、退屈である。この雰囲気が好きな人にはたまらないのだろうが、私は魅力を感じない。物事を深読みしたい人達はこの映画を評価するだろう。ベルリン映画祭で人々は、この暗さ・難解さにヨーロッパ映画に通じる物を見出したのではないか。審査員特別賞とか何とかを取ったらしいが、その審査員方は他の日本のアニメを見たことがあるのだろうか。私が思うに、もっとわかりやすい作品が評価されるべきだと思う。この作品は一部の人達が好いてればいいマニア向け映画だ。というかだから審査員「特別」賞なのだろうか。18禁赤頭巾ちゃんのしつこさには笑ってしまった。赤頭巾はこのアニメの重要な柱だが、途中で「もういいよ」と思った。
 『忍空』の人がキャラデザで、わびさびがあって良い。しかし男キャラの目や頬骨が中国人ぽくて、日本人が誤解されそうだから海外で見せるのは心配だ。女キャラの色の白さ、肌の露出、ロリ声がエロイ。
 個人的にはもう見たいと思わない。ツタヤで半額で借りて本当に良かった。しかし、押井守ファンの方は見る価値があるだろう。(女キャラが惨殺されるシーンがあるので、お子様と女性はご注意を。)