ひっさびさの豪州見物記の更新です。忘れていたわけではないのだが、なんとなくズルズル遅れてしまいました、すみません。

ケアンズの町
○ダンスホール
ホテルのすぐ近くにはカジノがある。夜に知り合い同士で出かけたのだが、カジノの手前がダンスホールになっており、パーティが開かれていた。憧れの欧米式パーティ!バンドの生演奏で白人達がガンガン踊っている。これは参加するしかあるまい・・・・こんな機会は滅多にないからだ。
なんとか群集に混じってハネてみた。バンドは結構知ってる曲もやってくれてノリやすいのだが、周りの身長がデカすぎる。うーん、黄色い猿が出しゃばってきたなんて思われてないか?隣で踊ってる白人が僕の被ってる帽子に手をおいて軽く押さえつけ、小さい子扱いして笑ってきた。ここは人種間も無礼講か??なぜか僕が日本から被ってきた白のリゾート風中折れ帽が気になるらしく、白人が触りたがる。
知り合いは一向にダンスに加わってこない。冷めた目で、ハッチャけて踊ってる僕を遠くから眺めていた。いくら誘っても誰一人としてこちら側には来てくれなかったのであった。
○カジノ
ダンスをやや煮え切らないまま切りあげ、カジノへと入る。まさにテレビで見るラスベガスみたいな雰囲気だ。ただしこのケアンズは主に日本人向け観光地なため、客が日本人ばかりなのが気になる。スロットコーナーとかパチンコ屋みたいな雰囲気なのだ。
何よりどの種目も親(ディーラー?)が白人で客が日本人なのがいやな感じだ。搾取されてねえか?
僕はといえばルーレットで赤黒の確率50%で賭けるのを繰り返す作戦に出たものの、さっぱり当たらない。確率2分の1のはずが、勝率は5分の1ぐらいであった。もちろんすぐに止め、他人の観戦に徹することにした。自分の勝負弱さは自覚している。
カジノ観光を終えて他の人の話を聞くと、もちろん負け組みが多いわけだが、普段から勝負強い人あるいは会社内で気が強くて誰も逆らえない人のみが勝ち越していた。どうも運命の女神は、普段弱い者にきまぐれで微笑むということは無いようだ。
○モスマン渓谷
ケアンズ郊外、モスマン渓谷での熱帯雨林探検ツアーに参加した。アーミーダックとかいう水陸両用車に乗って河に入ったりするのだが、パンフレットによるとその乗り物の燃費がリッター1kmほどらしい。馬力を出すためだろうが、もう少し改良しろよ、環境のために。

ガイドさんが少々太めで、「森三中」とあだ名されていた。可哀そうだろ。
熱帯雨林はすごい湿度で、常に地面が濡れている。シダ植物が多く、ひょろ長い幹で背の高い木が多い。そんな木の上の方で鳥がデカイ巣を作っていたりする。ジャングル観光で最も印象深いのが、ごく背の低い、地味な雑草「スティンキングツリー」だ。外見は普通の雑草風だが、葉っぱの表面に細かいトゲが生えており、これが凶悪なのだ。そのトゲに少しでも触れると腫れ上がって猛烈に痛み、それが6ヶ月も続くという。「絶対に触れないように、むしろ近づかないように。」とガイドさんが念を押す。
第二次大戦中、ジャングルで戦っていた兵士が外で用を足した際、この葉でお尻を拭いてとんでもない事になった例があるという。それも何人も被害者が出たそうなのだ。この葉っぱの大きさがお尻を拭くのに丁度良いかららしい。想像するだけでゾッとする。
ちなみに第二次大戦では日本とオーストラリアも交戦し、主にシンガポールで豪州兵と戦った。日本軍は大陸北部のダーウィンという街を空爆したり、日本から最も遠い位置にあるシドニーに潜水艇を送りこんだりしたらしい。遠征しすぎだろ日本軍。1対1で戦えば占領できたかもしれない。まあ石炭とボーキサイト(アルミニウムの原料)とカンガルーしか資源が無く、やたら広いので統治しても経済効果が悪そうだが。
夜、星空を見に行くツアーがあったのだがその日は雲が多くて天候が悪く「星が見える確率は半々」とのこと。
僕は満点の星空を見るのに憧れていたのでこのツアーに行こうかと思っていた。日本では街の明かりが強すぎて星が見えないからだ。しかし、もしも天候が悪くて星が見えなくともツアー代5000円は払わないといけない。
結局、天気が悪そうだからパスしたのだが、明朝、参加した人に聞くと何箇所かバスで移動したため星空はよく見えたという。つくづく自分の「勝負弱さ」が残念だ。
(つづく)

ケアンズの町
○ダンスホール
ホテルのすぐ近くにはカジノがある。夜に知り合い同士で出かけたのだが、カジノの手前がダンスホールになっており、パーティが開かれていた。憧れの欧米式パーティ!バンドの生演奏で白人達がガンガン踊っている。これは参加するしかあるまい・・・・こんな機会は滅多にないからだ。
なんとか群集に混じってハネてみた。バンドは結構知ってる曲もやってくれてノリやすいのだが、周りの身長がデカすぎる。うーん、黄色い猿が出しゃばってきたなんて思われてないか?隣で踊ってる白人が僕の被ってる帽子に手をおいて軽く押さえつけ、小さい子扱いして笑ってきた。ここは人種間も無礼講か??なぜか僕が日本から被ってきた白のリゾート風中折れ帽が気になるらしく、白人が触りたがる。
知り合いは一向にダンスに加わってこない。冷めた目で、ハッチャけて踊ってる僕を遠くから眺めていた。いくら誘っても誰一人としてこちら側には来てくれなかったのであった。
○カジノ
ダンスをやや煮え切らないまま切りあげ、カジノへと入る。まさにテレビで見るラスベガスみたいな雰囲気だ。ただしこのケアンズは主に日本人向け観光地なため、客が日本人ばかりなのが気になる。スロットコーナーとかパチンコ屋みたいな雰囲気なのだ。
何よりどの種目も親(ディーラー?)が白人で客が日本人なのがいやな感じだ。搾取されてねえか?
僕はといえばルーレットで赤黒の確率50%で賭けるのを繰り返す作戦に出たものの、さっぱり当たらない。確率2分の1のはずが、勝率は5分の1ぐらいであった。もちろんすぐに止め、他人の観戦に徹することにした。自分の勝負弱さは自覚している。
カジノ観光を終えて他の人の話を聞くと、もちろん負け組みが多いわけだが、普段から勝負強い人あるいは会社内で気が強くて誰も逆らえない人のみが勝ち越していた。どうも運命の女神は、普段弱い者にきまぐれで微笑むということは無いようだ。
○モスマン渓谷
ケアンズ郊外、モスマン渓谷での熱帯雨林探検ツアーに参加した。アーミーダックとかいう水陸両用車に乗って河に入ったりするのだが、パンフレットによるとその乗り物の燃費がリッター1kmほどらしい。馬力を出すためだろうが、もう少し改良しろよ、環境のために。

ガイドさんが少々太めで、「森三中」とあだ名されていた。可哀そうだろ。
熱帯雨林はすごい湿度で、常に地面が濡れている。シダ植物が多く、ひょろ長い幹で背の高い木が多い。そんな木の上の方で鳥がデカイ巣を作っていたりする。ジャングル観光で最も印象深いのが、ごく背の低い、地味な雑草「スティンキングツリー」だ。外見は普通の雑草風だが、葉っぱの表面に細かいトゲが生えており、これが凶悪なのだ。そのトゲに少しでも触れると腫れ上がって猛烈に痛み、それが6ヶ月も続くという。「絶対に触れないように、むしろ近づかないように。」とガイドさんが念を押す。
第二次大戦中、ジャングルで戦っていた兵士が外で用を足した際、この葉でお尻を拭いてとんでもない事になった例があるという。それも何人も被害者が出たそうなのだ。この葉っぱの大きさがお尻を拭くのに丁度良いかららしい。想像するだけでゾッとする。
ちなみに第二次大戦では日本とオーストラリアも交戦し、主にシンガポールで豪州兵と戦った。日本軍は大陸北部のダーウィンという街を空爆したり、日本から最も遠い位置にあるシドニーに潜水艇を送りこんだりしたらしい。遠征しすぎだろ日本軍。1対1で戦えば占領できたかもしれない。まあ石炭とボーキサイト(アルミニウムの原料)とカンガルーしか資源が無く、やたら広いので統治しても経済効果が悪そうだが。
夜、星空を見に行くツアーがあったのだがその日は雲が多くて天候が悪く「星が見える確率は半々」とのこと。
僕は満点の星空を見るのに憧れていたのでこのツアーに行こうかと思っていた。日本では街の明かりが強すぎて星が見えないからだ。しかし、もしも天候が悪くて星が見えなくともツアー代5000円は払わないといけない。
結局、天気が悪そうだからパスしたのだが、明朝、参加した人に聞くと何箇所かバスで移動したため星空はよく見えたという。つくづく自分の「勝負弱さ」が残念だ。
(つづく)