Drマサ非公認ブログ

少子化の本当の問題

 ヘラクレイトスは万物流転を説いた。世界の根本原理は”変わる”ということ、そういう当たり前のことを人間の方は忘れてしまいがちなので、この事実は心に留めておきたい。だいたい人間は自分は変わらないと思っているもので、それが自我とかアイデンティティ(自己同一性)を重要視しすぎてしまう。

 日常という言葉には、昨日も今日も明日も日常として、同じという感覚を伴っているように思える。だから、日常はつまらないとでも・・・。変わらないことを嘆いてしまっているのだが、実際は変わっているのに気づかないだけ。動的平衡を取り上げれば身体は分子レベルで1年で90%以上入れ替わっている。だから万物流転は根本原理。

 では、変わっていることに気づかないのは、その感度が鈍っていることを告白しているようなものになる。暮らしは変化しているが、気づきづらい。しかし、子供と一緒に暮らしていると、変化していることに気づくことになる。なんせ子供は日々成長変化するのだから。

 昨年12月に初孫ができた。離れているのだけれど、日々SNSでというかテレビ電話で様子が見れる。そうすると、その変化を実感する。成長しているってやつだ。テレビ電話であるから、僕を認識しているのかどうかはわからない。とはいえ、孫の表情がどんどん豊かになって行くし、体も大きくなって行く。画面を通して、わかるのだ。

 ところで、こどは単純であるというか純粋であるというか、笑ったり泣いたり、喜んだり怒ったりする。これは電車の中での3才ぐらいの子供の様子をみてその表情の変化に見とれていた時のことである。

 その時、僕はふと思った。僕も3才の時が当然あって、この目の前の子供のように、喜怒哀楽や感情を表現していたのだろうと。だから僕自身が忘れてしまっていた単純、純粋、感情の表出を目の前で体現してしまっているのではないかと。

 そこにはちょっとしたことの面白さや大切さが散りばめられている。子供ができて、子育てをするというのは、もちろん子供の成長ために行うことであるのだけれど、翻って、このちょっとしたことを、実はなんということのない暮らしの中の豊かさを気づかせてくれているのではないか。あの喜怒哀楽を持つという豊かさを。

 だから少子化の問題は日本社会の労働力の減少であるとか経済規模の縮小という程度の問題ではなく、暮らしの中で人間の喜怒哀楽を受容する経験の衰退であり、それは人間という存在の意味の理解への道筋の喪失ではないだろうか。特に子供を持たない大人には、そのような経験が喪失してしまう。

 そんなことを考えている。

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