Drマサ非公認ブログ

杉田水脈三度

 自民党の杉田水脈議員が、9月25日に行われた会議で「女性はいくらでも嘘つけますから」と発言したとの報道があり、その後発言自体を否定した。

 杉田議員に関しては、「杉田水脈ふたたび」https://blog.goo.ne.jp/meix1012/e/71c6a6d15f6d6b1bd002a430ca503801

と題して本ブログでも取り上げたことがあるし、「杉田水脈、小川榮太郎、新潮45について思ったこと」で8回に渡って取り上げた。

 今回の出来事ですぐに頭を巡ったのはミソジニーである。ちょうど伊藤詩織さんがTime誌で「世界で最も影響力のある100人」に選出された事実と実に対照的だとも。

 ミソジニーが「女性嫌悪」「女性蔑視」と理解されているが、これでは理解不足が生じる。これは気持ちの問題ではなく、構造の問題である。ミソジニーを生み出す構造は「家父長制」や「男性中心主義」である。この構造をもとに現象としてミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)が生じるのである。構造主義的な理解である。

 女性を隷属的な立場におく前近代的な、あるいは近代においても続いている構造である。男性は有利な立場にあるので、男性が支配的に振る舞うことができる。ある女性が自由に社会で活躍したい、自由な生き方を模索したいと考え行動に移そうとする場合、男性中心社会の秩序を撹乱することになる。

 ゆえに男性が、大抵は父親が言った通りの生き方をしていればいいのだとたしなめるわけだ。これは親として女性の子供を思ってということで理解されてしまうが、同時に女性の自由な生き方を奪い、男性自らの考えに従わせる。さらに、そういう社会意識の男性ばかりがいるわけだから、女性が男性に従う社会を構築してきたわけだ。はっきりいえば、女性の奉仕を求め、引き出してきたことになるわけだ。

 ゆえに男性が求める女性らしさは、女性自身が選んだ女性らしさというわけではないとの帰結になる。近代社会は自由に最上の価値を与える社会である。近代社会にも当然矛盾はある。しかしながら、ここでの自由は隷属や奉仕する存在からの自由という性格を有する。

 ちなみに女性が奉仕してくれるというのは男性の特権になる。ゆえに男性は構造的に特権を奪われたくはないのである。奉仕する女性は素晴らしい女性。奉仕しない女性は女性らしくない女性なので、嫌うのである。

 女性は女性らしさを獲得すると、奉仕すれば、それなりの報酬が与えられる。男性が求める女性らしさを有する女性は、そのため女性からの嫉妬の対象にさえなるし、逆に憧れの対象にもなる。もちろん、現代ではこのような女性像にいろいろな角度から疑問が呈されているわけだ。もちろんフェミニズムはそういう思想を組み立ててきたが、僕が考えるところ、必ずしも成功してきたわけではない。

 そこで杉田水脈議員である。彼女は男性中心社会の、家父長制的な価値意識を自らに取りいれてきた存在なのであろうと思う。彼女の発言は女性としての発言である前に、構造としての家父長制的な価値意識から生み出されているのではないかと思う。ゆえにミソジニー的な発言を無意識に発するのだろう。

 ちなみに僕は保守だとは思わないが、彼女は自民党議員で保守として位置付けられている。この地位を獲得するために無意識的であっても必要な戦略は自民党的な”おじさん”になることであった。つまり彼女もまた実は”おじさん”である。

 彼女が「女性はいくらでも嘘つけますから」と発言したときに自民党議員から笑いが起こったそうである。誰か「男性はいくらでも嘘つけますから」とは思わないのだろうか?怒られるか?自民党ならなおさら?

 女性が女性にハラスメントする根本には、こんな構造があるのかとも思うのだ。ただ女性が政治の世界で成功するには”男性”になるしかなかったとしたら、彼女もまた被害者なのかもしれない。

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