読売新聞が独自の記事として、児童生徒へのわいせつ・セクハラ行為で懲戒処分を受けた教師が1030人にのぼると報告している。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20200925-OYT1T50008/
(教え子に「わいせつ半数」・・・公立小中学校の懲戒教員1030人、口止めの例も)
学級担任などの自校教員からの被害が945人。指揮者によると、教員と生徒という権力関係を利用しているとの批判がなされている。当然表立ってはいない例がどれほどあるのかと思うと、恐ろしいことだ。
想像してみてほしい。虐待をした教師といつも同じクラスで過ごさなければならなし、そのような人格の教師が生徒を支配するとの構図を。
「わいせつ・セクハラ行為」と規定されているが、性的虐待である。教員の欲望を満たすために弱い子供達を食いものにしたということである。彼ら教員が犯罪者として罰せられるケースは少ない。仮に学校を辞めることになっても、教員免許を利用してなにがしか仕事につくことになるはずだ。
こういう子供へのいたずらを看過する社会とはすなわち社会全体がハラスメントを看過する。さらに、それらを当然とするような社会的意識が構築されており、そこから逃れられないだけではなく、ハラスメントが自明であるがゆえに、そこに問題や犯罪があることにさえさえ気付き難い構造になってしまう。
労働環境におけるハラスメント、学校におけるハラスメント、クラブ活動におけるハラスメント、家庭内でのハラスメント、これらが人々の心を壊し、このようなハラスメント社会で生きていくための従順さを身につけ適応する。どこに自由な諸個人が生きる「大地」があるのだろう。
生徒への性的虐待に戻れば、被害にあった子供は間違いなく心が壊される。その壊された心を持ちながら生きていかなければならないのだから、自由に生きていく基盤を精神的に喪失する。
少し想像してみてほしい。性的虐待にあった子供を抱えた親がどのような態度で子供に接するのか?「触れたくない」「触れないのが子供のため」などとされた場合、その子供はどのような成長を見せるだろうか?
どうして日本が人権意識の低い国と言われるのか?もう10年も経つが、国連子供の権利委員会から、児童の権利を担保する政策がとられていないと勧告を受けている。当時日本の大手メディアはほとんど触れることはなかった。
いくらでも例を挙げられるだろうが、生徒に性的虐待をした人物が教員免許を取り上げられることもないということは、そのような人物をまた生徒の中に送り込むことを許容していることになる。それが日本の子供に対する意識ということになる。
そのことを私たちは意識化できないでいる。
まず何がハラスメントなのかを意識にのぼらせることから始めてみたいと思う。