Drマサ非公認ブログ

現状維持への欲望

 今回のマンボウは解除らしい。

 マンボウというのは、完全なロックダウンにはならない措置であるから、人々は文句を言いながらも、完全なロックダウンを暗黙に拒否していたように思う。それは政治も経済界も同様、そして我々も、である。

 これによって日本らしく曖昧な対応をしてきたのだが、公的生活は維持したわけだし、私的生活(飲食店で楽しむとか)も維持された。そのように見ると、マンボウは評判が悪いにもかかわらず、多くの人々の気持ちに即していたであろう。困る飲食店は、言葉は悪いが、生け贄のようにさえ見える。

 結局今回は緊急事態宣言が回避された。「それは我慢できない」「日常生活に戻りたい」という人々の願望に即してしまっている。

 だから、ロックダウンや緊急事態宣言のような社会の静止状態を拒否していたのだ。その端的な表現が「経済を回す」。

 なんだかお笑い芸人さえも、テレビで「経済を回す」ことが大事だと言う。本当だろうか。彼らが判断するだけの教養を持つわけではないのだが、皆が信じる価値意識を端的に物語る言葉なのだろう。

 コロナ下の自粛生活は、これまでの日常生活の否定の否定である。これまでの日常生活が「経済を回す」とされる生活であるから、消費社会の悦び中心である。それが自粛で否定されるが、しかしながら、「経済を回す」という“イデオロギー”で再度否定され、「経済を回す」に回帰する。これは最初の日常生活とは違うのだが、同じように見える。

 自粛生活は静止ではなく、このような否定の否定であり、実はこの見た目の静止は急速な変化を内包する。だから、自粛生活の拒否は、変化の拒否になってしまう。ただ人々には気付かない。お笑い芸人も、この社会に生活する人間の価値意識であるが、この価値意識は反省批判されず、加速されるのだろうか?

 一種の精神分析的見方であるが、「経済を回す」という正常性の”病”の現れである。

 綻びもあるが、そこが可能性である。

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