で、橋下さんがヒトラーを取り出して、「ヒトラーを持ち出すのはダメな学者の典型」っていう話の続き。
ヒトラーとファシズムに対して徹底的に反省することから、以降の人文社会科学の動機になったと前回話した。
そこで1つ例を挙げよう。
スタンレー・ミルグラムの有名なミルグラムの実験だ。
この実験の動機は、あのドイツの第三帝国にどうして人々が絶対的な服従をしたのかを心理学的に突きつめたいというものであった。
詳細は省くが、こんな実験だった。アメリカで行われた。一般の人から被験者を選ぶ。ほか実験の指導者とその協力者がいる。この二人は打ち合わせ済みだ。つまり、被験者だけはガチだ。
教育という名目で、協力者がミスを犯した場合、被験者は罰を与える。電気ショックである。協力者はその都度苦しむ演技をする。つまり協力者がミスすると被験者が拷問をかけるのである。協力者は失神までしてしまうが、それでも被験者は拷問をやめないのだ。途中で電気ショックの拷問をやめたのは3人に1人であった。
この実験から理解できるのは、指導者に被験者は従属するのである。その理由は指導者が持つ権威や権力だと考えられる。僕たちは強いものに従属する傾向を持つのである。協力者とはわれわれ自身であるが、「言われた通りのことを行う」「良い人」なのである。
この実験はいくつかの国で同様実施され、同様の結果となった。われわれは自分自身で状況を合理的に判断し、無批判な従属に抵抗できると考えているが、この合理的判断に従属的思考が紛れているのである。学校での教師と生徒、仕事での上司と部下、さらには親と子供の関係の中にさえ、隷属関係が成立すれば、その力のある者の理不尽な要求でさえ無批判に受容してしまうのである。ここには暴力の問題も絡んでくるが、深入りするのはやめよう。
ここで1つのことがわかる。力のある者は力のない者を従属させることができる。言われてみれば当たり前だ。と同時に、従属した行動が従属であると気づかず、良い行動をしているとさえ信じてしまう。もちろん、従属を善であるとすると無意識には無理がくる。
そこでミルグラムの結論だ。「こんなことをしてはいけない」。それでも、このような知見が生み出されれば、この相対的に成立する心理学的な法則を利用する者がいるだろう。ゆえにミルグラムの実験は倫理的に禁止である。
私たちはすでに従順になっている。さらに従順であることを求めるし、それを善行とさえ信じてしまうのである。ヒトラーが絶大な権力と権威を有するような存在になっていく。ヒトラーの意志への屈服は、あの被験者の姿なのである。
ミルグラムの実験は有名でもあるから、大学の講義なんかで取り扱われる。しかしながら、ただ単にこういう実験から人間の心理は服従しやすい程度の話になっており、その倫理的な意義にまでは言及されることはないと言っていい。
日本の学術世界は、このようなヒトラーに対して考察された人文社会科学的な遺産を構築してこなかったし、そういう文化に留まっている。橋下さんもどうかと思うが、学術世界の住人が怠ってきた結果でもある。
結論。人をコントロールしてはいけない。