北海道に帰っていた。事情があり、遅くなっていた納骨のためである。
コロナ禍であるので、躊躇するところもあったのだが、決断した。妻には留守番してもらった。
まあ滞りなく終わった。
弟と会ったのだが、そこで終始なんか違和感を感じていた。それは弟がほんの少しなのだろうが、抱え持っている反知性的な側面だと気付いた。
どんなことがあったかは書く気はない。なんせ雰囲気であり、言葉の端々に感じていただけだから、弟が反知性主義者だということではなく、僕が反知性主義をどのように捉えているかを理解した経験として、少し綴ろうと思う。
反知性主義は安倍政権を批判する概念として、よく用いられていた。だから当時、少しばかり流行った言葉であった。
反知性主義は、実証性や客観性を軽視し、自分が欲するように世界を理解しようとする態度とされる。その元となるのは、キリスト教徒が、キリスト教的世界観が科学によって否定されるのに反発したところにある。
このような知のあり方が、知的な人間と言われる層に対する憤りや反発となるのである。これが大衆の心情となり、社会の通奏低音となるわけである。ちなみに私見だが、少なくとも大衆にもまた科学への理解が表層的水準では生じているので、そこに科学を知っているとの自尊心を作り上げるので、なおさら知的な人間への反発となって現れる。
ただ反知性主義という言葉を知っているのは、ある一定の知的な層、あるいは反安倍・反自民層、あるいは知的なことに関心を持つ層であったろう。一般大衆は、そんな言葉に関心を持たないだろうと思う。
この概念がもっとも適合できる事例は、僕が記憶しているところでは、麻生太郎が「ナチスの手口に学べ」と言って、解釈改憲により集団的自衛権の行使に舵を切った時ではないかと思う。このような言動が反倫理的であり、少なくとも国益を損なうことから、麻生太郎や自民党の一部を反知性主義だと批判したものであった。
ちなみに弟は大学教員であるから、反知性主義という言葉を知っているに違いない。さらに麻生太郎のような言動に対して批判的な人間である。
その彼から反知性主義を感じたのである。そこで僕が感じた、その理由である。
つまり、無知の知への自覚の問題から生じる。知を取り扱う時、特に重要なのは、その知識を知っているか否かということから、優劣や勝ち負けを競うものではないという当たり前の事実だ。
私が知らないことを彼は知っている。彼が知らないことを私が知っている。という、お互いの無知が事実としてある。どのような人間関係でも間違いなくある。自分自身が知らない大切なことがあるという態度が欠けてしまうのが、広義の反知性主義なのではないだろうか。
だから頭がいいと言われる人への反発とは、無知の知の自覚が欠如を土台とするのではないかと思っている。それは誰もが持ってしまいそうな態度である。
「あいつは知識がない」「現実をわかっていない」「難しいことばかり言って」という人間は、他者を下に見ようとする操作をしているだけに過ぎないと考えられる。
弟には折りを見て、話そうと思うのだが、こんなことを兄弟で話すのは、なんか気恥ずかしいとも感じる。