2024年春ごろ、腎臓移植の話が持ち上がる。
実はどのような経緯で腎臓移植が視野に入ってきたのかが、定かではない。そもそも人の腎臓をもらってまで生きていたいとは思わない。それを選択するってことは、なんだか図々しいことなので、僕の視野に入っていない。まあ、そういう信条なんですよ。
こんなこともあった。知り合いに臨床工学士(medical engineer)養成の専門学校で勤めている者がいた。週1程度で医療現場にもいるらしい。専門はなんと人工透析。ダイアライザーという機械を扱うことらしく、専門学校で教えているという。
彼曰く「腎臓移植の方が絶対いいですよ」。彼は口数の少ない誠実な人物である。まあ僕の印象。その彼が、移植を勧めてきて、「透析は色々大変ですよ」と。両者を比較すると、リスクが最も低い、QOLも一番いいのは移植だという。
ネットで調べてみても、彼の見解が常識的なようだ。透析になれば週3で1回4〜5時間、負担は大きい。実は腎臓自体が死んだも同然だと。移植は1回の手術で、それまでの生活が維持できると。そりゃ、全くリスク0じゃないとしてもだ。彼は医者ではないけれど、専門家である。拝聴に値するのは当然。
とはいえ、先に言及した通り、移植は頭になく、一般論として理解していただけであった。だから、誰かにドナーになってもらおうなどとは露ともなかったのだが、ドナーになるという人物が現れることになる。
僕が誰かにドナーになって欲しいなどとは言っていない。2023夏に兄弟に冗談で言ったことはある。それだけだが、そういう冗談の片隅にそういう無意識が働いていたのだろうか。そんなこともないと思うのだが。
なんと弟の嫁さんが声をあげてくれたのだ。
彼女とは中学の同級生でもあるのだが、お互い孫のこと、母親のことなどでLIneでやり取りはしていた。そんな中で僕の病気のことも話をしていたんだろうと思う。たまにLine電話が入り話をしていた、そういう間柄である。
「いたんだろうと思う」という曖昧な表現をするのは、腎臓が悪いとは言っていたとは思うのだが、移植の話はしていないからと思うからだ。ちなみに彼女は看護師である。