このところ旧統一教会絡みで発言する自民党の政治家たちの言い訳が見苦しい。
萩生田光一とか山際大志郎など、名前は立派なのだが。
昔からあることわざで言えば「厚顔無恥」
もう少し俗な言葉で言えば「面の皮が厚い」
素直に謝って、今後二度としません、と言えば大部分収まる話である。
もっとも中にはどっぷりつかって抜き差しならぬ関係の議員もいるであろう。
萩生田光一の汚染度は確信的だと思う。創価学会のおひざ元でのこの行い、何とも面の皮が厚い。
その辺はマスコミと野党議員がじっくりと追及すべきである。
西郷隆盛さんは次のように語る。
事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用ゆべからず。
その場しのぎの陰謀や策略は必ず失敗する。
正しい道を選び行う場合に、一見して回り道をしているようだが、先に行けばかえって成功は早い。
明治時代というのは皆が(特に上層部)よく勉強した時代だった。
4年や5年も、当時の先進国だったヨーロッパやアメリカに渡航して猛烈な勉強をしている。
その猛勉強が短期間で欧米に追い付いた理由であろう。
次に勉強した時代と言えば、太平洋戦争で敗戦した後の20年くらいだろうか。
猫も杓子もアメリカに行った(当時の圧倒的な先進国はアメリカであった)
戦後短期間で追いついたのはアメリカの真似に注力したからだ。
真似をするのも実力のうちだ。
この辺は日本のお家芸だったが、いつの間にか頭が高くなって中国や韓国を馬鹿にしていたが、いまやその後塵を拝する。
いまや「含羞」(がんしゅう)という言葉は死語に近い。
はにかみや恥じらいを含んだ表情を言うのだが、
「厚顔無恥」がまかり通る変な世の中になったものだ。