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海辺の暮らし

アドリア海に面した海辺の小さな町での生活日記

愛しすぎてしまう

2010-04-23 | ひと(り)ごと
このタイトルを見て‘まさか、オノロケばなし!?’もしくは‘親バカ日誌?’と思った人、

あんまり私のブログ見てませんね??


私は‘花’が大好きなのである。(と言ったら呆れてページをとばされるかも!?)

      
先週やっと咲き始めたチューリップの花、今週ずっと続いている好天気も手伝い、1週間でこの様子。

  
毎日、新顔が登場してくるので、朝起きると何はさておき顔を覗きにいかずにはいられないのである。

そればかりか、朝のみならず、近くに行く度に立ち止まってはジッと眺めているし、
最近では‘あら、あなたこんな色なの?’などと{ひとりごと}まで呟いているではないか!!
(だいたい上のようなつまらぬ自宅の花写真を撮ること自体、親バカならぬ花バカ状態である)

実はわたし、愛しすぎてしまう人なのだ。

よそで咲いてるものを見るのも好きだが、
いざ自分のものとなると、執拗なまでに気になって気になってしょうがない。
当然手も加える、水も肥料もや(り過ぎてダメにしたこともあ)る。
そして花が咲かなかったり、枝が違う方向に向いたりすることさえストレスになってしまい。。
結果、うちに花やグリーンを置くのを最小限、
それも造花のように変化の少ない花(蘭やシクラメンなど)か観葉植物だけにした。


こういう自分をかえりみて、強く誓ったことがある。
‘自分の子供にはぜったいそうならないようにしよう’
愛しすぎて自分や人をダメにしてしまう話はよく聞くが、ひとごとではないからだ。

イタリア語で人(やモノ)をとても愛している時に使う言葉で
‘ti amo da morire’(死ぬほど愛している)というのがあるが、
ここで実際ニュースを騒がせているものは
‘ti amo da uccidere’(殺すくらい愛してる)というのがとても多い。
愛憎がらみの殺人事件が毎日のように起こるのだ。

そのほとんどは捨てられた男による女性への殺人・暴力行為だが、
日本だったら殺すより自殺する方が多いに決まってるだろうに、
それがイタリアだと逆になる、これもお国柄といっていいものだろうか?

先日読んだ記事で心理学者が言っていたことが頭に浮かぶ。

‘愛しすぎるのは破滅に繋がる’

学者によると、愛している対象に依存しすぎる(そのために生きている、それがなくては生きられない)ため、
失くしてしまうくらいだったら目の前から消してしまうほうが楽=救われると思うことが犯罪の根源らしい。 
それってもしかして、、私の結論と似てるかも? (あぶない、あぶない)

ということで、あいにく花には今もって気を取り乱してしまう私ではあるが、
自分の子供や友人には‘あえて’冷たく接しているわけである。。。(?!?)



ブランド(って)

2010-04-19 | ひと(り)ごと
こばとが学校から帰ってくるなり
‘ママ、クラスでシャルパしてないの私だけになっちゃった。こばとも欲しいんだけど買ってくれる?’

こばとの言うシャルパとは、最近ティーンエイジャーが首に巻いているスカーフのこと。
スカーフはもともとイタリア人が好んでするアクセサリーでもあるが今年はさらに流行っているようで 
大人だけでなく中高生にも、しかし小学生までとは知らなかった。

私は流行にそれほど敏感ではない。
というか、自分が興味のないものはたとえ他のみんながもっていてもあまり気にならないのである。
いや、それどころか子供の頃から他人と同じものを持ったりやったりすることに抵抗がある、
いわばカワイクない性格の持ち主。
なので今も、イタリアというブランド大国にいながらブランド品らしきものは1つも持っていない。

そんな私に、ある日こばとがこんな質問をしてきた。
‘ママ、xxooって知ってる?’最近人気のある若者向けブランドだ。‘ふ~ん。’(私)
‘アンナはいつもそこの洋服着てるんだ。’‘ふ~ん。’
‘こばとの服はどこの?’  ‘。。。’
‘ママはどこの服着てるの?’   ‘。。。。。。’

こばとももうすぐ中学生、着るものに興味が出てきてもおかしくない年頃だ。
が、いきなりこういう質問をされると答えにシドロモドロ。
だいたい私がブランドものをもたない理由も曖昧(いや、経済的には明白?!)だ。

そのときは聞こえないフリをして、1人になったとき少し考えてみた。

思えば自分はブランド=肩書きというものとはつくづく縁遠い人生を歩んできた。
今も昔も自分に肩書きらしきものがないのはもとより、人にもそれを求めたことはない。
なにかを選択するときは、肩書きよりも自分の直感に任せる。
例えば人気のあるものには目もくれないのに、誰も見向きもしないようなものでも
自分が気に入れば躊躇せず選んでしまうのである。
もちろんそれで失敗したことも多いが(掃除機から夫まで!?)。。。

‘ブランド’って。

単なる子供の質問に深く考えさせられてしまった。


ちなみにこばとのシャルパだが、ご覧のとおり。

ブランドは近所の青空市場。
本当はみんながしている白黒の格子模様が欲しかったと知ってはいたものの
私のイメージではどうしてもあの故アラファト議長!?が浮かんでしまうのと、
‘みんな’がしているというのがひっかかってしまうのとで、
一転、こうなった。(アマノジャクな母に頼んだのが間違い) が、

‘これもカワイイね’と作り笑顔をしてみせたこばとを見て、ちょっと後悔。。

ちなみにその横にチラッと見えてるのは?(気付いてしまったかなぁ)
それは流行に左右されない‘ハズ’の誰かさんが釣られて買ったシャルパでありました!?

ある告白

2010-04-09 | ひと(り)ごと
今年の我が家のパスクアも慌ただしいながらも穏やかに終わったが、

パスクア中のヴァチカンは決して穏やかとは言えない物議の渦中にあった。

その物議とは、
聖職者たちにより長年に渡って繰り返されてきた信者(男子)への‘性的虐待行為’である。

この問題は以前から人々の間にて‘囁かれて’はいたものの、公の場で声を露わにして語られることはなかった。
また仮にあったとしても、教会内のことはすべて内部で処理される‘法外区’なため
真実が明らかになることもすべもなかったのである。

しかしここ数ヶ月、イタリア国内だけでなく世界各国の信者からの告発、衝撃的な証言などが続出、
最近に至っては神父自身の告白、解任まで出てきた。
それにともない、今まで口を閉ざしていた法王自身が‘過ちを犯した者は法の下で裁かれるべき’
と公の場で事実を認める発言をした。というよりせざるおえない状況になったのだ。

パスクアにて、トリノの親戚達とニュースを見ていてこの話題に触れた時のこと。

突然、うちの旦那が ‘実は自分も虐待された経験が、、、。’

もちろんまわりはいつもの冗談かと思い‘どこ、どこ、おしり?胸?わきの下!ハッハハハ’
しかし旦那のマジな顔ツキを見て、一同サッと冷気が走った。
旦那の告白は続いた。

‘まだ7,8歳くらいの時から数年間、
親と教会に行って神父に挨拶にする度に、握手を装って彼の局部に触れさせられた’

‘なんですぐ親に言わなかったの?’
‘信心深い親に言っても信じてもらえないと思ったし、そういうことをされてる自分が恥ずかしかったから’

そうなのだ。調査によると、
虐待された子供のほとんどはすぐに誰かに助けを求めたり訴えたりすることができないらしい。
ましてや相手が皆が信用している神父=教会である。

幸い旦那の虐待は軽いもので済んだが、それでも人に言えるまでには40年近くかかったわけだ。
中にはトラウマを内に抱えたまま成長して、人間関係および諸々に支障をきたしている人も多いらしい。


‘いやぁ、ゲイにならなくてよかったねぇ’‘昔はカワイかったけど今なら心配ないよ?!’
とまた冗談話に戻ったと思われた時、なにやらすすり泣きしているような声が後ろから聞こえてきた。

皆が振り返ると、先日90歳を迎えたばかりのノンナが泣いているではないか!

‘信じてたのに。。。’ そうつぶやきながら。


カソリック教会、まだ信じてる人がいるうちにちゃんとしないと。




家族愛

2010-03-19 | ひと(り)ごと
    うちの前の電燈の中にはかわいい住人がいる。いや、正確にいうと住人達=家族である。

         
          種類はよくわからないが、どうやらツバメの仲間らしい。

よく見かける光景に、
 
こうして遠くの誰かを呼んでいる姿が。  しばらくすると、どこからかもう1羽がやってきて

              
      電燈の中(巣)に入ったり出たりしながら、しばらく一緒に過ごしている。

      写真に撮ることは出来なかったが、どうやら巣にはヒナがいるようだ。
      この2羽は定期的に帰ってきては交代で巣の見張り番をしている。

 
そしてまた出かける時には、         一方がこうして見送り、

 
心配そうにいつまでも見守っている。    空には自分達より大きいカモメもいっぱい。


       
       片方の安否を確認してから、しばらくして飛び立っていった。。。


           自然界に学ぶことは多い、、、と深く思う。

炊飯器

2010-02-28 | ひと(り)ごと
これはうちで使っている炊飯器。


こばとが誕生した時に妹夫婦がお祝いの1つとして贈ってくれたものだ。
当時、義兄がわざわざ海外向け家電屋まで探しに行ってくれた。

ご覧のとおりの小型、機能も炊飯と保温、タイマーだけのシンプルなもの。

もちろん日本で使われてるハイテク炊飯器と同じ炊き具合は望めないが、
だいたいこちらの米を炊いてるのだから今の出来で充分満足している。

しかも驚くことに、二合のお米が15分程度で炊けてしまうのだから超便利。
いつも土壇場までメニューが決まらない私にはうってつけなのである。

こんなに重宝しているうちの炊飯器ももう11歳。
日本だったらとっくに引退してる歳かもしれない、と思うと
‘もし、ある日突然壊れたらどうしよう?’とマジで不安になったりもする。
ここで新しい日本の炊飯器を調達するのは簡単ではない。

少し考えてみた。

あらゆる手を尽くしてすぐ代わりにのものを手に入れるかもしれないし、
もう炊飯器はやめて手持ちのてきとうな鍋ですませるかもしれない。

どちらにしろご飯はこの先も食べていくのである。。


そう思えるうちは、まだなんとかなる。


炊飯器くん、今までどうもありがとう。(これからも私達と一緒に長生きしてね)