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海辺の暮らし

アドリア海に面した海辺の小さな町での生活日記

ゴンドリエリの嘆き

2010-10-26 | ひと(り)ごと
‘ゴンドリエリ、オー・ソレ・ミオを拒否’

最近話題になった議論である。

何の話かと言うと、

ヴェネチアのゴンドリエリ達が外国人客(日本を名指しする報道も)に必ずリクエストされる
ナポリ民謡‘オーソレミオ’‘帰れソレントへ’を歌うのが腑に落ちない、
できればヴェネトの民謡を歌いたいと嘆いている、らしい。




郷土意識の強いイタリア人には納得できないかもしれないが
外国人の立場とすれば、ヴェネチア(北)もナポリ(南)もイタリアには変わりない。

せっかくイタリア旅行に来ているのだから
よりイタリア~な気分にさせてくれるものをリクエストしたいだけだろう。

そんなにムキにならなくてもいーんじゃないですかねぇ。。


と思ってたら次は

観光庁の大臣が違う嘆きをなげかけた。

‘外国映画に出てくるイタリアは今だパスタ・ピッツァ・マフィアしかないのか!’

んん~、これも言わせてもらえばしょうがないかも。まんざらウソでもないし。


だいたい観光客や娯楽映画を見に行く人達に何を知ってもらおうというのだ??

住民の暴動化に機動隊まで出さなければならなくなった‘ナポリのゴミ問題’?
遅延は日常、車内でノミやダニに刺される乗客続出のイタリア鉄道事情?
駅前にとまっていた白タクに乗った女性が暴行されたミラノの治安の話?
白昼のローマ・テルミニ駅構内で殴られ、放置(回りの人も無視)され死亡した移民女性の件?


イタリア観光に現実は似合わない。

おいしい料理、素敵な景色、陽気な人々、、、と思って楽しんでもらっているうちが華だ。


マフィアはさておき、その他のイメージがネガティブなものでないのなら

それが本当であろうとなかろうと、
そのまま各々がイメージするイタリアを愛してもらっていた方がいい。



それがより長く愛される秘訣でもある。。(と住人は思う)









歯磨き

2010-10-14 | ひと(り)ごと
先日、日本のネット記事を見ていたら

‘乳幼児の歯磨き中の怪我があとを絶たない’というのがあった。

によると、その多くが歯ブラシを口に入れたまま歩いたり走ったりして転倒や衝突するらしい。

で、歯を折ったり、ヒビが入ったり欠けてしまったのもあれば、
ひどいものになると歯ブラシが喉に刺さって病院に運ばれたりする例もあるのだとか。

いはやは、幼い子を持つ親にはゾッとする話だろうが、、。



これを読んでて1つ思い出したのが、以前イタリアの友人に指摘されたあること。


‘日本人って、人前でも歯磨くよね。。’


これを聞いてハッとした人、正直何人いるだろう!?

実は私も、そしてこばともやっている。
さらによく思い出すと、私の日本の友人たちもやっている。

だいたい‘人前で歯磨く’ことへの羞恥心が親しい間になるとないのも事実である。


ではイタリアは違うのか、、、そういわれて回りを見ると、、

うちの旦那はいったんバスルームに入るとドアを閉めたまま、
シャワーから歯磨きすべて終わるまで姿を見せない。

そういえば、親戚や友人(イタリア人)達もそうであった。

バスルームに入っているときは‘何を’してようともぜったい開けっ放しにしたりはない。

トイレと洗面所が別になっている日本ではいまいち分かり難い感覚かとは思うが、

極端に言えば、

すべて一緒になってるバスルーム(洗面所)の国のマナーでは洗面行為も排出行為も同じ、
決して人に見せるものではないのである。

もちろんどこの国にも例外な人はいるかもしれないが。。




元の話に戻るが、

きっと事故にあった子供も、
ママが歩きながら、もしくはソファでTV見ながら歯磨きしてたのを見てたんだろうと思う。
(うちの子がそうだったように。。自己反省!)


これから子供を海外に出したいと思ってるママさんたち、

くれぐれも洗面所のドアは閉めて歯磨きしてくださいませ。。。







守る

2010-10-11 | ひと(り)ごと
先日からイタリア中を戦慄させている事件が今だ尾をひいている。

その事件とは

南イタリアの片田舎にすむ15歳の少女が
8月のある日‘友達と海に行ってくる’と出て行ったまま行方不明になった。

少女の日記やコンピューター内の記録などから、当初は思春期の一時的な家出かと思われたが
母親は最初から頑なに‘誘拐説’を唱え、連日マスコミを通して世間によびかけていた。

そして42日後の先日、少女が死体となって発見された。

犯人は、、、近所に住む‘叔父’だった。少女が父親のように慕っていた人間である。
目的は、暴行だった。

身内(血)の結束を固く信じているイタリア人には相当ショックな事件であった。


ここのところこういった身内による犯罪が後を絶たない。

親が子供にする虐待・性犯罪もそうだが、

夫(もしくは元夫)や彼氏(や元カレ)が女性に対して行う暴行、ストーキング行為などは
連日のように話題になっている。

世間では女性が強くなった、とはいわれてるものの
ならば腕力にまかせて自分の言うことをきかせようとするバカな男が多いのも事実。

そういうのに対抗するには、やはりまた頭を使う以外しかないとは思うが、、、。


最近、買い物をしている所々であるチラシを目にするようになった。


    女性を対象にした‘護身術レッスン’

手にとって見ると市が協賛しているもので、年内は無料とか。
うちに帰ってからしばらく考えたあと詳細をネットで調べてみたら、、14歳以上から。

私ではなく、こばとにと思っていた。。



話は違うが、

先日、こばとの3度目の予防注射を終えてきた。

何の予防かというと‘子宮頸がん’である。

この注射は義務ではなく親の承諾のもと国が無料で行っているものだが、
14歳(性交渉が始まる可能性がこの歳とか!?)までにしないとあまり意味がないらしい。

この予防注射によって子宮頸がんを90%以上防げるというのだから、やらない理由はない。
(日本ではまだ個人で費用をまかなわなければならないらしいが、残念である。)

 
‘14歳’

こちらではちょうど高校生になる時期にあたる。
心身共に、いろんなことが始まる時でもある。

友達とすこし遠くへ行ってみたり、1人で暗い道を歩くこともある。
ボーイフレンドができる子もいる。

親の知らない歌を聴き、親がわからないネットも操る。
人(親)にも言えないことが1つ、2つ出てくるかもしれない。

あたりまえだが、誰もがそうやって1人の人間となっていく。


しかし、自分1人で歩くようになったら、同時に、自分1人で守らなければならない。

自分を襲うのは暴力だけでなく

自身の中にある不安や恐怖、ストレスなども同じ。



それがなんであれ、


自分を守る術(すべ)を身につけてほしい



と、弱い母は願っている。。








別居中

2010-10-06 | ひと(り)ごと
結婚する人が少なくなる一方で、離婚する人の数は年々増えているイタリア。

2009年に発表された法務省の調査では、1000組中293組が離婚したそう。

これが他の国に比べて多いのか少ないのかは調べてみないとわからないが、

1つ気付いたのが、私のまわり、だけでなく世間に‘別居中’の人がとても多いということ。。


なぜなのか?


それを考える前に、イタリアの離婚手続きについてすこし触れておくと

イタリアでは離婚に際して

1)まず‘正式別居’申請をしなければならない。
これが受理されるのに最低3ヶ月、相手ともめたら裁判で2年以上かかる。

2)申請許可から最低3年の別居期間をえて晴れて‘離婚申請’
これも1)と同じように受理されるのに時間がかかる。

というわけで、離婚が完了するのに最低4年、裁判沙汰になれば10年と言われている。
(故パヴァロッティなどもこのケースで離婚に13年かかった)

こういった手続き上の問題で別居が長引いてる人が多い、というのも事実だろうが

どうもそれだけでは、、、

というのも‘自称’別居10年とか20年なんて人がザラにいるからだ。

たとえば、事実上離婚してるようなこの人達に、間違って‘離婚者’などと言おうものなら
‘私は離婚者じゃなくて別居中’と必ずかえってくる。


ところで、なぜイタリアでは法律で別居期間が最低3年もと長くとられているのだろう?

定義上では‘もう1度考え直す’‘やり直す努力をしてみる’ような期間なのだそうだが
それで再生したカップルはほとんどいない。

やはり本音は今でも離婚を禁じているカソリックの教えに配慮したものなのだろう。

なので信心深いイタリア人(または家族・世間の手前)、
それで離婚に踏み切れず‘別居’にとどまるケースも多いのである。

また、正式に離婚していなくとも別居申請の段階で、
親権、財産、(養育)・慰謝料などに関して合意のサインを出していればそれが先行き尊重される。

つまり、法律自体がより離婚を避けて‘別居’でもいいんじゃない?!という方針にも見える?


ではそれでも離婚したい人とはどんな人達か、、、、もちろん、再婚したい人。

なので離婚の原因が浮気(これも多いイタリア)だったりする場合は‘早く’してほしい訳だ。

さもないと、離婚が完了する前に新しいお相手とも解消していまう恐れがある(人もまた多い!)



ともあれ、

お国柄とはいえ、気の長い話である。


もしかして別居が長引いてるうちに‘金婚式’を迎えるなんてことだってあるかも。。。!?

 



(街に貼られた‘金婚式’カップル告知)

回り灯籠

2010-09-29 | ひと(り)ごと
こばとの部屋にある‘回り灯籠’を片付けた。


  いつも夏の間だけ置いてあるもので


夜、暗くなった部屋でスイッチを入れると

                  最初はゆっくり、  そしてだんだん速度を上げてクルクル魚が回りだす。

    天井いっぱいにも灯りが広がり
    


こんなランプ(燈籠)1つで、部屋全体が幻想的な世界に変わる。 


こばとがまだ小さい時に買ったものだが、

当時これを見たさに早くベッドへ行き、飽きもせず眺めながらいつの間にか眠りについていた。。


実は私も幼い頃1つ持っていた。

母にせがんで買ってもらったそれは、蝋燭仕掛けでうさぎが回るだけのごくシンプルなものだったが、

とてもうれしかったのを覚えている。


その後何年(何十年?)もお目にかからなかった回り灯籠と再会したのはヴェネチアを歩いていたとき。

ちょっと高めだったが、迷うことなく買ったのはこばとではなく‘私’のためだった。


これを見ていると、かすかにしかない幼い頃の記憶が蘇ってくる気がする。

当時住んでいた団地の周辺とか、若かった母や父の顔とか、、

目の前でクルクル回っている魚達とはまったく関係ない、他のものが頭の中を巡るのである。

よく 思い出が‘走馬灯’のように浮かぶ、という言い方があるが、まさしくそれ。

(もしかしてこれを言った人も回り灯籠を持ってたのかも?)


もう7年目の夏を迎え、少し紙の部分が煤けてきた回り灯籠、

あと何年もつかはわからないが


何十年後かにこばとが見て、

私と同じようなことを思い出すこともあるんだろうか。。