TOKYO ⇔ SAIGON そしてたくさんの街へ

東京とサイゴン、そして、いろいろな街を巡ります。

Huan

2008-02-20 | Weblog
彼の名は「Huan」。どうしても、この名が発音できない。

「フアン」でもないし「ファン」でもない。「U」をいうときの口で「A」を発音する。カタカナで書くと「フン」になってしまうが、「フ」が強すぎてもいけない。「U」になってしまうから。「U」と「A」を同時に発音する感じらしいのだが。

目の前に彼がいるときは、「自分のことだ」と理解してくれるのだが、遠くにいる彼を呼ぶと、まったく自分の名を呼ばれていると気がつかないから、相当発音が悪いのだろう。

そんなわけで正式に名を呼べないままになってしまった「Huan」。

彼は、野心を持っていた。自分でフエに大きなインターネットカフェを持つ。インテリアデザインを学んでいたから、自分の描く店を実現したいと。将来は店舗を増やし、彼の家族(一族郎党)が豊かに暮らせるようにと。

彼も彼のお姉さんも英語が上手で、大学も卒業している。だから決して貧しい暮らしをしていたわけではないのだが、いつでも「南出身」ということが邪魔していた。

ベトナムでは政府や銀行とのネゴ(いわば賄賂)が横行している。たいてい国機関や銀行は「北」の人によって占められている。またネゴのための資金も必要だ。

出合ったときキラキラしていた彼の瞳が、ある頃から曇り始めた。私がベトナムに行くたびに、違う仕事をしていた。彼なりに突っ張って「もうすぐうまくいくよ」と言っていたが、その表情でうまくいっていないことはすぐにわかった。

そうこうしているうちに、彼はうつ病になってしまった。

ベトナムで「南」の人が這い上がって行くのはとても大変なことなのだ。今思うと、彼は野望をあらわしすぎたのかもしれない。成功する人は、心の中で静かにその野望を温める。彼が熱くなればなるほど、彼の周りの人が冷ややかに彼を見るようになっていった。

その頃、パソコンを持っていた人は少なかった。だが彼は「VAIO」を持っていた。そのパソコンで、たくさんのベトナム音楽をダビングしてくれた。私がチンコンソンを好きなことを知り、KhanLy以外の人が歌っているチンコンソンの曲を、毎回2枚づつくれた。

十分な恩返しができないまま、ある日どこかに消えてしまったHuan。

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