10月も末なのであわてて月イチの近況を書くことにしたが、実は今かなり落ち込んでいる。
それは今朝の血液検査の結果が思わしくなかったから。
血糖値の話。
思い当たるといえば、この2ヵ月近く、ほとんど引きこもっていたせいかもしれない。新陳代謝がいいわけがない。
11/9に白内障の手術をするので、なんだか、タイムリミットができたみたいな気になって、まじめに仕事したからだ。
12月に仕上げる予定のものを10月始めに仕上げてしまったし、雑誌の記事もふたつ仕上げた。どうせPCにはりついているのだからと、これとは別のブログを毎日更新してしまった。
一ヵ月毎日更新したら一体どんな気分になるのだろうかと好奇心もあったので。
というのは私の愛読するいくつかのブログは、本当に毎日更新されているので、毎日出会うのが楽しみで、お友達のような気がしているからだ。
もし自分が毎日ブログ記事をアップしたらどうなるのだろう、と考えた。
結果は…
別にどうにもならなかった。
第一私のブログは基本的に「読者」を想定していないで勝手に書いているからだ。
分かりやすさの工夫も、写真や説明のサービスも何もなし。
「想定読者」や「長さ」の制限がないことの自由を満喫する場所である。
で、白内障の手術をする方の目が気のせいかますます視力が落ちてきたような気がするし、外に出るのは良い視力を獲得した「新生の私」になってから、という気持ちが半分と、その逆に、もし手術がうまくいかなくなってもっと不自由になったら仕事が滞るかもしれないから今のうちにできるものは仕上げておこうという気持ちが半分で、結果的に引きこもってしまったというわけだ。
その上クラシックバレーのクラスが閉鎖されたし、バロックバレーも、両眼の視力差が大きくなったので「踊る」ということ自体に腰が引けてしまって、これも手術がうまくいってから、とお休みしている。
結果、動かないことと各種検査のストレスもあって血糖値が上がったのかもしれない。
手術前の眼底や眼圧や網膜CT検査、心電図などすべて問題なしと言われたのだから、高血糖で網膜に障害が出ているということもないわけで、体調もよくて、予定していたスタジオ録音もクリアしたし、気分はよかった。
なのに検査の数値がよくなかったというだけでこんなに落ち込むなんて自分のメンタルの情けなさを再確認。
11月下旬には長女のうちに遊びに行く予定だ。
夫は10月の初めにベビーシッターで呼び出されて一泊してきた(ちょうどその時に次女の彼氏クンの両親と私一人で顔を合わすことになってしまった。そのことはまたいつか書こう)。夫が帰る時孫クンが盛大に泣いたそうで、夫は「でも僕が帰らないとミアと猫たちの面倒を見る人がいないから」と納得させたそうだ。
その後で次女と彼氏クンも長女のところに遊びに行った。次女が帰る時も孫クンは泣いたそうで、「あいつめ、この人たらし」と思ってしまった。
長女たちは7人乗りの2台目の車を買ったので、みんなで海辺に行ったそうだ。
子供たちがちょうど今の孫ズの歳の頃に、私の両親とやはり7人乗りの車でバカンスに出かけたの思い出す。もし今母がまだ生きていたらあの頃の孫たちと同じ構成のひ孫たちを見て喜ぶだろうなあと思った。
そうすると、なんだかすなおに、長女のうちにあそびに行って孫たちと過ごすことが大切なように思えてきた。
せっかくレンヌに行くのだから、ポンシャトーに寄ろうとか、マレストロワにも行こうとか、いろいろなプランを立てていたけれど、今回はおとなしく、孫たちと過ごし、夫が会いたがっている北ブルターニュのお姉さんのうちにも足を延ばすつもりだ。彼女はもうすぐ89歳、私の母が生きていたら今年の末に90歳だった。
夫の異母姉のこのお姉さんは夫を母代りに甘やかしてくれた人で、うちの長男が生まれた時に洗礼親となり、長男はよくこのブルターニュのうち(当時は彼らの別荘で、リタイアしてから居を移した)でバカンスを過ごしヨットスクールに通ったりした。
彼女には2男2女がいて、この5年でひ孫が11人生まれたそうだ。
うちの母は一人目のひ孫の誕生は知ったけれど会えなかった。
そんなことをあれこれ考えていると、みんな会える時に会っとかないとなあ、とつくづく思う。
長女はローマの学会に招かれて発表するために飛行機に乗る前日来週うちに泊まる予定だ。大学ではプロフェッサーと呼ばれるし、診察も研究も順調でいい気分のようだ。
夫は少し時間の余裕ができた分、うちの掃除をよくしてくれる。
「もう家政婦さんはいらないんじゃない ?」とも言われたけれど、今日、4ヵ月ぶりに、ようやく見つけた家政婦さんが来てくれた。
夫はなんだかライバル意識を刺激されて、うちをピカピカにしていたので、綺麗ですね、と言われてしまった。
友人のロシア人の奥さんのルートから正教つながりで紹介してもらったブルガリア人女性だ。2週間に1度になるけれど、考えてみたらうちも今は孫をあずかる頻度は少ないし、娘たちや息子の所も家政婦さんは2週間に1度だからこれでいいかもしれない。
と、いろいろ書いていたら気が紛れてきた。とにかく今は、どこも痛くないし苦しくもない。贅沢を言っていられない。
小さな危機を新しい生き方のきっかけに変えていかなくてはいけない。
「危機は、きっかけ」。
うん、これ、いいかもしれない。
それは今朝の血液検査の結果が思わしくなかったから。
血糖値の話。
思い当たるといえば、この2ヵ月近く、ほとんど引きこもっていたせいかもしれない。新陳代謝がいいわけがない。
11/9に白内障の手術をするので、なんだか、タイムリミットができたみたいな気になって、まじめに仕事したからだ。
12月に仕上げる予定のものを10月始めに仕上げてしまったし、雑誌の記事もふたつ仕上げた。どうせPCにはりついているのだからと、これとは別のブログを毎日更新してしまった。
一ヵ月毎日更新したら一体どんな気分になるのだろうかと好奇心もあったので。
というのは私の愛読するいくつかのブログは、本当に毎日更新されているので、毎日出会うのが楽しみで、お友達のような気がしているからだ。
もし自分が毎日ブログ記事をアップしたらどうなるのだろう、と考えた。
結果は…
別にどうにもならなかった。
第一私のブログは基本的に「読者」を想定していないで勝手に書いているからだ。
分かりやすさの工夫も、写真や説明のサービスも何もなし。
「想定読者」や「長さ」の制限がないことの自由を満喫する場所である。
で、白内障の手術をする方の目が気のせいかますます視力が落ちてきたような気がするし、外に出るのは良い視力を獲得した「新生の私」になってから、という気持ちが半分と、その逆に、もし手術がうまくいかなくなってもっと不自由になったら仕事が滞るかもしれないから今のうちにできるものは仕上げておこうという気持ちが半分で、結果的に引きこもってしまったというわけだ。
その上クラシックバレーのクラスが閉鎖されたし、バロックバレーも、両眼の視力差が大きくなったので「踊る」ということ自体に腰が引けてしまって、これも手術がうまくいってから、とお休みしている。
結果、動かないことと各種検査のストレスもあって血糖値が上がったのかもしれない。
手術前の眼底や眼圧や網膜CT検査、心電図などすべて問題なしと言われたのだから、高血糖で網膜に障害が出ているということもないわけで、体調もよくて、予定していたスタジオ録音もクリアしたし、気分はよかった。
なのに検査の数値がよくなかったというだけでこんなに落ち込むなんて自分のメンタルの情けなさを再確認。
11月下旬には長女のうちに遊びに行く予定だ。
夫は10月の初めにベビーシッターで呼び出されて一泊してきた(ちょうどその時に次女の彼氏クンの両親と私一人で顔を合わすことになってしまった。そのことはまたいつか書こう)。夫が帰る時孫クンが盛大に泣いたそうで、夫は「でも僕が帰らないとミアと猫たちの面倒を見る人がいないから」と納得させたそうだ。
その後で次女と彼氏クンも長女のところに遊びに行った。次女が帰る時も孫クンは泣いたそうで、「あいつめ、この人たらし」と思ってしまった。
長女たちは7人乗りの2台目の車を買ったので、みんなで海辺に行ったそうだ。
子供たちがちょうど今の孫ズの歳の頃に、私の両親とやはり7人乗りの車でバカンスに出かけたの思い出す。もし今母がまだ生きていたらあの頃の孫たちと同じ構成のひ孫たちを見て喜ぶだろうなあと思った。
そうすると、なんだかすなおに、長女のうちにあそびに行って孫たちと過ごすことが大切なように思えてきた。
せっかくレンヌに行くのだから、ポンシャトーに寄ろうとか、マレストロワにも行こうとか、いろいろなプランを立てていたけれど、今回はおとなしく、孫たちと過ごし、夫が会いたがっている北ブルターニュのお姉さんのうちにも足を延ばすつもりだ。彼女はもうすぐ89歳、私の母が生きていたら今年の末に90歳だった。
夫の異母姉のこのお姉さんは夫を母代りに甘やかしてくれた人で、うちの長男が生まれた時に洗礼親となり、長男はよくこのブルターニュのうち(当時は彼らの別荘で、リタイアしてから居を移した)でバカンスを過ごしヨットスクールに通ったりした。
彼女には2男2女がいて、この5年でひ孫が11人生まれたそうだ。
うちの母は一人目のひ孫の誕生は知ったけれど会えなかった。
そんなことをあれこれ考えていると、みんな会える時に会っとかないとなあ、とつくづく思う。
長女はローマの学会に招かれて発表するために飛行機に乗る前日来週うちに泊まる予定だ。大学ではプロフェッサーと呼ばれるし、診察も研究も順調でいい気分のようだ。
夫は少し時間の余裕ができた分、うちの掃除をよくしてくれる。
「もう家政婦さんはいらないんじゃない ?」とも言われたけれど、今日、4ヵ月ぶりに、ようやく見つけた家政婦さんが来てくれた。
夫はなんだかライバル意識を刺激されて、うちをピカピカにしていたので、綺麗ですね、と言われてしまった。
友人のロシア人の奥さんのルートから正教つながりで紹介してもらったブルガリア人女性だ。2週間に1度になるけれど、考えてみたらうちも今は孫をあずかる頻度は少ないし、娘たちや息子の所も家政婦さんは2週間に1度だからこれでいいかもしれない。
と、いろいろ書いていたら気が紛れてきた。とにかく今は、どこも痛くないし苦しくもない。贅沢を言っていられない。
小さな危機を新しい生き方のきっかけに変えていかなくてはいけない。
「危機は、きっかけ」。
うん、これ、いいかもしれない。