まやの午睡

日常の記録です。

年末年始に思うこと

2012-12-29 13:27:04 | 日記
今年のクリスマス・イヴは例外的に暖かかった。

喉の調子が悪いのでクリスマス・ソングを歌えない深夜ミサに行ってもつまらないなあと思っていたのだが、暖かかったこともあって、結局近所の教会の深夜ミサに行ったが、今の喉の調子でも「オー」という母音は比較的楽に出ることが分かった。

だから少なくとも、「グローリア」は十分歌えてすっきりした。二種類のグローリアを歌ったが、どちらもグローオオオオ、オーオオオオ、オーオオオオ、」と延々と続くので気分がいい。

うちの教区は深夜ミサと言っても夜の12時前に終わるので、家に帰って来ていつもの通りヴァティカンの深夜ミサを見ようとテレビをつけたら、今年はノートルダム大聖堂の850周年ということでパリのノートルダムの深夜ミサの中継だった。

見ていると、この大聖堂で参加したいろいろな行事の光景が浮かんでくる。

私たちが帰ってきたら、長男が食卓をきれいに片づけてくれていた。

数日後、イルミネーションも美しいジョルジュ・サンクのホテルのメイン・レストランの「ル・サンク」でシェフのお任せ料理を長男にごちそうしてもらった時に、いろいろ考えさせられてしまった。

普通の感覚でいえば、美しい場所で行きとどいたサービスで繊細で凝った料理を味わえて満足なのだが、一人数万円もするコースとしては、あまりにも中途半端だったからだ。

これなら、この三分の一の値段でもずっと満足できるレストランはたくさんある。

一番中途半端なのはその「懐石料理風」なところだ。

もともとヌーヴェル・キュイジーヌが懐石料理に影響を受けているのは知られているが、ここでは特に目立つ。

ウナギだとか銀杏だとか豆腐だとか柿などの食材も駆使されていて、少量ずつが美しい形と取り合わせで盛られて次々と運ばれてくるところがあまりにも日本的なのでそう口にしたら、シェフの奥さんは日本人ですと言われた。

しかし、そう言われるとなおさら、高級な懐石料理と比べてしまう。

数万円と言えば懐石でも高級料理だ。

まず、フランス料理だから仕方がないが、最初に「おしぼり」がついてこない。
私ははじめに手を洗いに立ったが、夫と長男は、ついさっき、メトロの中で手すりにつかまっていたのにそのまま席に着いた。

絶対にばい菌の巣窟だ。パンを手にとって食べるから、非衛生である。

もちろん、こんなホテルに来る人はメトロなんかに乗ってくるとは想定されていないのかもしれないけれど、こちらのタクシーは自動ドアではないから、ひょっとしてタクシーのドアに触れるかもしれないし、タクシーのチップを払うのに小銭に触れるかもしれない。

インフルエンザも流行っている季節だから、その「非衛生」の感覚が私にはずっとつきまとって気になった。

また、懐石では、熱いものは熱々に、冷たいものはしゃっきり冷たくとメリハリがきいているものだが、そのへんの境界があいまいだった。

それに、せっかく冬の特別メニューであるのだから、これが懐石料理の12月の食事なら、食器や皿の飾りにもっと季節感が演出されている、と思わずにはいられない。

驚きや遊び心も欲しい。

食事の後はシャンゼリゼに出たが、考えると、ジョルジュ・サンク街という最もパリらしい華やかな街路にイギリスの王(ジョージ五世)の名がついているのは不思議だ(パリのアメリカン・チャーチもこの通りにある)。

第一次大戦の勝利の記念だそうだが、考えてみると、フランス王にジョルジュというのはいない。
同じ聖人の名がヘンリーとアンリという風につづりや読み方が変わってイギリス王にもフランス王にも使われることはあるのだが。時には同じ王が、カルル、カレル、シャルル、チャールズなどと国によって呼び名が変わることもある。

言葉は文化だ。ジョルジュ・サンク街を歩いて華やかな店先を除いている人たちにとっては、ジョルジュ・サンクはジョルジュ・サンクであって、ジョージ五世では絶対あり得ない。

だから、日本料理とル・サンクの料理をつい比べてしまうのはやはりナンセンスなのだろう。

記念に長男を真ん中にして写真をとってもらったものを後から見てみると、両親が若い息子を上等な場所に連れて来てやったという感じではなくて、いかにも、都会の第一線で活躍する働き盛りの男が田舎から出てきた老親にサービスしているかのように写っていた。うーん。

今年のクリスマスの家庭料理そのものはいつもよりずっと安くついた。

ここ何年も夫の役所の元同僚が故郷(フランス南西部)で製造しているフォワグラを購入していて、クリスマスと新年にたっぷり食べた後でまだ子供たちにおすそ分けできるぐらいだったのに、その同僚が本格的にパリを離れたからだ。

私は途方に暮れた。

スーパーで売っているようなものは買いたくないし、値段が高いものが一番おいしいわけではないという有名シェフによるブラインドテストの結果は毎年紹介されている。

うちはおいしいものを食べ慣れているのでがっかりするのは嫌だ。

うちの近くの惣菜屋さんでやはり南西部出身でcanardアヒル(カモ)とoie(ガチョウ)のフォワグラを両方つくっている人がいるのでそこに頼むことにした。とりに行くと、美しく盛り付けた皿が用意されていた。

うちでは各自のお皿にオニオンジャムとキーウィとグーズベリーをあしらったものに小さな塊をとりわけておいて、ブリオッシュのスライスをトーストしたものを配って自分でのせて食べるという方式なので、なんだか二重の飾り付けだ。

いつもは何グラムずつ食べているか意識していなかったので量も惣菜屋のシェフに任せていたら、量的にも、いつもより少ない感じだ。

長男が尿酸値が高めだといっていたのでホタテやオマール海老も省略した。

デザートのビューシュ・ド・ノエルは次女がアパルトマンの近くにあるピエール・エルメのものを持ってきてくれる。

シャンパーニュは夫が引退した時のパーティにたくさん用意したものがまだ残っていた。ワインも、その時贈られた上等なものがまだ残っている。

去年まで長男は仕事の都合でクリスマスが終わってからフランスに帰っていたので、イヴのディナーやクリスマスのランチを娘たちとした後で、大晦日のディナー(フランスではこれが大事)と新年のランチ(日本人的にはこれも大事)には長男や他の親せきたちのためにまたいろいろ用意していた。

今年は久しぶりにクリスマスに長男がいたのでそこで全部まとめた。

長男は今朝日本に帰り、大晦日は娘たちはバカンスでいないし、クリスマスのブランチには私たちは友人宅に招かれている。

昨夜はクスクスが食べたい(彼の仕事上、おいしいアラブ料理レストランに日本でいくような機会はない)という長男と、次女もいっしょに、近所のレストランに行った。そんなこんなで、なんだかとても安くつきそうな年末年始である。

年末年始のすべての食費を合わせても、ジョルジュ・サンクでおごってもらった分には届かないんじゃないかなあ。

どちらにしても、おいしいものを食べるというのは健康の証であるから、最終的には感謝の念だけが、残る。

私は一時、年末年始にフランス中が巨大な胃袋になるような喧騒を見ただけで嫌気がさしていたことがあった。けれども今は食欲のある人をすなおに祝福する心境だ。

少なくとも、おいしいものを食べている間は、人は争わないものだ。

おいしいものを食べる予定の人、食べる予定の人と時間を共有できる人、平和な新年をお祈りします。
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2012年暮れの近況

2012-12-18 15:16:36 | 日記
ちょうど一年前に近況を書いた時、長女が学会発表でがっかりしたことや、次女に新しいボーイフレンドができたことを書いていた。

あれから一年経ってどうなったかというと、今の長女はまた彼女らしい野心満々に戻っている。先週の学会でまた選ばれて発表して今度は思い通りの結果が出せたらしい。

でも、去年までは学会に出る度にいろいろと試供用の基礎化粧品をもらってこちらにも回してくれていたのに、この頃は無理らしい。存在が目立つようになったので、そんなものを大量にとってくるのはもう不可能だというのだ。残念。

去年婿クンをナントに呼んでくれると言っていた上司はその後で進行ガンが発覚し、それどころではなくなった。

それで、地方住まいの話は早めに没になった。

今度は、長女が今の研究で二つ目の博士号を取得次第、ボストンでポストドクの研究職に3年の予定で行くかもしれないという。彼女はすでに20代半ばでニューヨークでポストドクをやったアメリカ好きだし、彼女のボスも若い時に子供二人を連れてアメリカで研究した経歴のある人なので、長女に勧めているらしい。

婿クンは今の仕事は公務員に近いステータスなので3年は休職できる。うち一年は育児休暇にすることもできる。でも、アメリカで仕事が簡単に見つかるかどうかわからないので逡巡している。彼らはアメリカに発つつ直前に3人目の子供を欲しいと言っているので、婿クンが本格的に育児に専念するという選択もあるけれど。

どちらにしても2014年になるだろうけれど。

長女が野心を捨てたらなんとなくがっかりしたけど、パワー全開になるのを見てるとそれはそれで、あれこれ心配になる。

まあ、外国に行くなら、子供が小さくまだ両方の親が元気なうちの方がいいとは思うけれど。

次女はボーイフレンドと暮らし始めている。でももともと言うことがネガティヴな子なので、「いつもケンカばかりしている」というような報告ばかりだ。喧嘩の原因は彼の帰宅を待たずに次女がシリアルなどでひとりで夕食をすませてしまうことなどらしい。

来週は長女夫妻と次女のカップルが四人でロンドンに遊びに行くそうで、四人の仲がいいのは安心だ。

長男は今ドイツに出張中。

10月から正式に就いた仕事は楽しいと言っているのでこっちもひとまず安心だ。あれこれ考えているときりがないし。

先週、20年来付き合いのあった友人が亡くなった。

彼女もアソシエーションをやっていて、いろいろ提携したことがあるし、彼女の主催するコンサートに出たこともある。写真家であり、うちのネコちゃんのポートレートも撮ってくれた。一時期は私のピアノの生徒でもあった。

3月まで元気だったのに、初夏にALS(筋萎縮側策硬化症)を発病し、あっという間に動けなくなり、声も出ず、目しか動かせなくなり、呼吸までできなくなった。

68歳だ。こんなケースが身近にあるのを見ると、やはり、今を大切に無駄にしないように生きなくてはという平凡な決意に至る。






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お金持ちと知り合いになった話

2012-12-08 18:46:42 | 日記
先日、夫とルーアンに日帰りした時に、ジャンヌ・ダルクが処刑された広場に1345年からずっとある(公式書類が残る)というフランスで一番古いオーベルジュのレストランに昼食を予約した。

ジャンヌ・ダルクの火刑台跡にそびえる背の高い十字架を見ながらのそこでの食事をその日のハイライトにしようかと思ったのだ。

飲み物は土地のシードルを2人で一本頼んだだけだから、一流レストランとしては破格に安い。

昔はアメリカに渡る大西洋航路の船がルーアン経由のル・アーヴルから出たので、このレストランにはハリウッド・スターがたくさん来て、ジョン・ウェイン、グレース・ケリー、オードリー・へプバーンらの写真が額に入れて飾ってある。もちろんヨーロッパのスターや政治家やアーティストたちの写真もぎっしり。

窓際の中央の予約席に通されて、私が手を洗いに立ってもどってきたら、夫が隣に座った日本人の男性と話していた。向こうからフランス語で話しかけてきたのだそうだ。

やがてその人の連れの女性も席についた。

はじめはフランスに住む娘さんか、通訳ガイドの女性かなと思っていたが、カップルらしい。

男性は83歳。

彼らは4年前にもこのレストランに来て、ランチ・メニューがあまりにも美味だったので、ディナーも試したくて、夜まで残ったのだそうだ。

午後は店は閉まるのだが、彼は年配だから特別に中で休ませてくれたらしい。パリには最終便で戻ったそうだ。

驚いた。

給仕長が来た時に私はその話をして、「こんな人こそ写真にとって額に入れて飾っておけば? 創業660年以上でも、レストランになってから昼も夜もここで食べた人なんてないんじゃない」と言った。


普通、どんなにおいしい料理でも、昼にたっぷり楽しめば、夜は軽いものですましたくなるか、あるいは、全く違う種類の料理を食べたくなると思う。

彼らはパリに泊まっているがホテル・モーリスのレストランが意外においしくなかったのでそんなはずはないと思ってもう一度食べたがやはりいま一つだった、とも言った。

それにも驚いた。

一流レストランの食事が意外においしくなかったということは、まあ好みの問題もあるにしろ十分あり得るけれど、わざわざそれを確認するためにすぐにもう一度行くなんて普通は考えられない。

まあ、彼らについてそれ以上くわしいことは書けないが、とにかく、すべてに、一流のものに対してあくなき関心と欲求を持っていて、とことんこだわり、確かめずにはおけない人たちなのだ。

チーズもいろいろ試して、気に入ったものは名を書きとめていて、日本に帰っても輸入業者に問い合わせて調達する。値段はフランスの10倍になったりするわけだが、こだわりは捨てられない。

圧倒されたのは、彼らがこのような欲望に忠実に生きている姿が、なぜか生き生きと楽しそうに見えることである。

83歳でも金と健康があれば、その気になればこんなにエネルギッシュに幸せに生きられるんだなあ、という思い、人間って不公平だなあ、という感慨もおぼえる。

彼らから見て、やはり平日の昼間からこんなレストランで食事している私たちカップルも、どちらかというと優雅に見えたに違いなく、だから遠慮なくいろいろ話してくれたのだろうけれど、そして、私たちはフランスに住む日仏カップルで普通の意味で彼らと「比較」の対象にならないから、妙に話は合ったのだろうが、よく考えると不思議だ。

私たちはその男性の方よりひと世代ほど若いというのに血液検査に備えてダイエットしなくては、などとお互い健康に気を使いあっている。他にも、いつも頭の片隅で、「浮世の苦労」があれこれとちらちらしている。

一方、彼らは、子供のようにすなおにほがらかで、人生を謳歌している感じだ。

彼らはたいそうなお金持ちだが、それを見せびらかす必要もなく、ただ、好きなものに金をつぎ込んでいるだけで、しかも、たぶん失う心配はない。

単なる成金などではなく、あるいは一代で苦労して築きあげたというものでもなく、代々の強固な基盤があって、自分も現役時代に能力を駆使し、それを譲ってこれからも安泰という今の状況がある。

突然幸運に恵まれたわけでもなく、他人を搾取して大儲けしたわけでもない。

正しいお金持ち。

罪悪感なし、慢心もなし、ストレスなし。

ただ飽くなき好奇心と最上のものを求める心身のエネルギーがある。

いいなあ。

このことをパリに帰ってから日本人の同年輩の友人に話したら、結局、そういう人たちはストレスがないから病気にもならないんだね、という話になった。

健康や愛情や幸せは金で買えないというけれど、それらが今ない人には金で買えないけれど、最初からそれがある人は金でそれらを維持したり補強できたりするらしい。

その友人は、手塚治虫の『ブッダ』に出てくるスダッタ長者の話を思い出した、と言う。

ブッダが最初にスダッタと会った時、

「旅の人よ」「あなたは財産が心配だ、富が心配だ、何もかも心配だから死ぬのがこわいのでしょう」と言い、「その心配をやめればらくになる、死ぬ日までしあわせにくらせるだろう」と言った。

そのスダッタは釈迦に帰依し、祇園精舎を寄付するために、ある土地を買い取ろうとする。

そのために一文無しになるのだが、その姿を憐れんだジェーダ王子に

「どうだ?ひもじいか、 なさけないか」とか問われて、

「いえ…王子…その あべこべで」

「いいえ たのしいったらこんなたのしい人生はございません。財産を持っていたときは いつその財産がなくなるかとられるかという心配で一日とても心が安まりませんでした。だけど いまはなんにもないのです それだけいっさいの苦しみがなくて 毎日じつにたのしいのです」

と答えるエピソードである。

友人は、でも、「お金を持っていても、なくなる心配のない人はやっぱり幸せじゃない~?」と笑う。

というか、お金を持っていても、それに縛られないで生きていられる人は、いや、なくす心配に囚われないで生きられる人はということかな?とも。

渡辺照宏の『新釈尊伝』によると仏陀はスダッタに布施と持戒とを説き、その果報によって天上に生まれるという在家信者向けの説法をした。布施という善行をすれば天上界へ転生できると促したわけだ。

逆にいうと、金を施さずに自分だけで独占していたら、末はろくなことがないとともとられるわけで、確かにそんなことを言われたら、金持ちは幸せには暮らせない。

来世の運命が心配になってストレスになって病気になるかもしれない。

これはキリスト教でも同じで、アッシジのフランチェスコもそうだが、世俗の財産をすべて捨てて裸で神に使える気概のある人が聖人になるので、どんな宗教でも、「金持ち」は悪者である。というか強欲者がこの世で成功して金持ちになるというステレオタイプがある。

富はこの世に積むのではなく天に積んでこそ意味がある。ほんとうの幸せとは利他であり、分かち合いである。

これって、方便でもあるし、教育的指導でもあるだろう。

実際、他者を搾取して金や権力を独占している階級に対してこのような教えを説いて改心させることは弱者救済にもなるし、彼らの潜在的罪悪感を薄めて自己満足にもつながるかもしれない。

貧乏人にとっても、金持ちはいずれ地獄に堕ちるさ、と考えたり、我々みたいに失うものがない方がシンプルで幸せだなあ、と自分を慰めたりできるかもしれない。

まあ、すべては「気の持ちよう」で、金があろうと貧乏だろうと、まっすぐ生きて幸せでストレスなく健康なタイプの人もいれば、いつも疑心暗鬼で不平不満、恨みつらみでストレスのかたまりで病気になるタイプ人もいるということなのだろう。

といっても、じゃあ、「幸せになれる気の持ちよう」ができるタイプの人で実際金もある、という組み合わせが、実は最強なんじゃないか、って、ルーアンの2人を見てつい思ってしまった。

もちろん、お金持ちには誰でもなれるわけではないけれど、「気の持ちよう」は誰でも工夫すればましになるかもしれないから、その手のハウツー本が出回るのは理解できるのだけれど。

まあ、お釈迦さまも中道を説いたことだし、孔子もアリストテレスも中庸の徳を説いているから、健康不安も抱えながらびくびくして、たまにおいしいものを楽しく食べるほどにはいいかげんで、「もっと大変な人」を思いやることができるほどには苦労の体験もあって、というスタンスでストレス処理をしながら細く長く生きていければ凡人には万々歳、というところか。

いやあ、たまにお金持ちと異文化遭遇すると、平常心を失うなあ。

ちなみに、ルーアンのレストランのランチは確かにとても美味だったが、隣のテーブルの人たちとしゃべり続けていたので、ゆっくり味わえなかったのが残念だった。(隣の人たちもきっと同じことを思っていただろうな。)これはぜひもう一度行ってみなくては…(あれ彼らのこだわりが伝染っちゃったよ)
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家族集合の日

2012-12-02 22:41:39 | 日記
この土曜日は不思議な日だった。

甥っ子のうちで、思いがけなくうちの家族全員が集まったのだ。

甥っ子は、トロカデロの近くに150平米のアパルトマンを持っている。
そこにゼロ歳から10歳までの6人の子供がいる。

この週末、甥っ子夫妻は奥さんの実家であるディジョンで家族の集まりにでかけた。

それで、甥っ子の両親夫妻(つまりうちの夫の兄さん夫妻)が、週末だけ孫たちの世話にリールからやってきて、ついでに私たちを招いてくれたのだ。

私たちが近くに来ると知って、やはりトロカデロの近所に住む長女夫妻が子供たちを連れて合流した。

孫クンは少し年上の2人のまたいとこたちと遊ぶのが好きだし、上の女の子たちは孫クンをかまうのが好きだ。妹ちゃんは自分より半年小さい末の女の子を珍しそうに見て撫でまわしていた。

甥っ子は日本に長くいたので、6人の子のうち4人は東京で生まれて聖心インターナショナルスクールに通っていた。

4人とも金髪碧眼のタイプだが、自分たちの国は日本だと言い、男の子たちは孫クンに「これは日本の自動車」などと言って、日本のミニカーなどを自慢して見せていた。

あまり「日本のモノ」の自慢をされるので、孫クンは自分のミア(私のこと)も「日本製」だということを思い出したらしく、アンパンマンのゴムボールを私のところに持ってきて、そこに書いているひらがなを読んでくれと自慢げに頼みにきた。おもしろい。

長女たちは孫クンを連れて来年の5月に2週間日本に行くと言っているので、孫クンはようやく「日本デビュー」することになる。

思えば、私が最初に会った時にまだ今の孫クンとそう年が変わらなかった甥っ子は、私を通してずっと日本にあこがれ続けて、20歳で最初に日本で研修することになり、その後、フランスの会計監査会社の支社を日本でまかされるようになったのだ。日本に15年くらい住んでいた。

さて、婿クンは、ゼロ歳から10歳の8人の子供たち(男の子と女の子半々)を集めて、いろんな芸当をしたり冗談をとばしたりしてみんなを夢中にさせていた。大人気だ。
本人もすごく楽しそうで、こんなおとうさんなら、子供がいっぱいいればいいのにと思う。

同時にいつも甥や姪に絶大な人気だったうちの夫の若いころのことも思い出した。婿クンはまるでうちの夫の遺伝子を受け継いだかのようだ。

で、うちのほんとの息子である長男も、ちょうど学生時代の親友の結婚式に出席するために4日間だけパリに来ていた。その親友は、うちの次女にとってもお兄さんがわりになっていた。で、長男と次女は7区の区役所で午前中の結婚式に出席し、夕方の披露宴まで時間があいた。で、7区で私たちのお気に入りのLa Fontaine de Mars というレストランで昼食をとることにしたらしい。運よく予約なしで席が取れて、食事した後で、そこがエッフェル塔のすぐそばで、セーヌを渡るとトロカデロであることに気づいた2人は、私たちが来ているはずの甥っ子(うちの子たちにはいとこ)のアパルトマンに顔を出すことに決めたというわけだ。

というわけで、結局、私たち夫婦と3人の子と婿クンと2人の孫が甥っ子のうちで勢ぞろいすることになったのだ。(次にうちの子たちがそろうのはクリスマスの予定だ。)

ともかくこの時は、うちが総勢8人で、向こうが甥っ子の両親夫婦と孫6人のやはり8人。あわせると男女半々でゼロ歳から70歳まで3世代の16人。甥っ子のアパルトマンには日本好きなフランス人のうちにありがちな大きな提灯だとか浮世絵だとかがあちこちにあるからさらに不思議な空間だった。

うちの長男は、甥(長男にとってはいとこ)のところに日本で次々と子供が生まれる度に洗礼式にかりだされてビデオ撮影を頼まれたり、日本とフランスの往復にまつわるいろいろなあわただしさを見たりして、子供なんて欲しくないなあ、と思ったそうで、そのせいかどうかは知らないが未だに独身だ。

私も正直言って、どんなに立派なアパルトマンでも、年の近い子供6人を庭にも出せないようなところで毎日旧式のエレベーターに乗り降りさせて学校だの幼稚園だの保育園だのお稽古事だのに通わせる生活を想像するだけでちょっとひいてしまう。

義兄夫妻の孫たちの世話ぶりを見ていても感心するし、うちは孫クンと妹ちゃんだけでたすかったなあ、とほっとするのが本音だ。

義兄の上の娘の方は、一人娘をかかえて離婚した後で、今は3人の子持ちの男やもめと暮らしていて、それはそれで信じられないくらいややこしい人間関係の問題をかかえているらしい。
たとえ6人がひしめいていても、パパとママと双方の祖父母が単純にそろっている甥っ子の家庭の方が安定して平和だとは言えるだろう。

次女は彼氏と暮らし始めて喧嘩ばかりしているとこぼしていた。ちょっと心配。
次女の洗礼親である義兄は、2人で暮らすようになったら新しい規則をつくりあって、少しずつ譲り合わなければいけない、ゆっくりと時間をかけなければ、などと次女にアドバイスしていた。

どうなんだろう。

うちでは、私が規則と同義だし、長女のところも長女が規則と同義みたいだ。最初からそれでOKというくらい男の目がくらんでいたほうがうまくいくような気がするんだけれど。

もちろん、そんなことは口に出さない。

でも、帰ってから夫にはそう言った。

「平等とか対等の関係の標榜なんて私は信じない、男が一方的に尽くして幸せだと思えばうまく行くと思う」って。

夫は「ぼくもそう思う」とすんなり答えた。

長男も実はそう思ってるからなかなかハードルが高いのかもしれないなあ。
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