今年のクリスマス・イヴは例外的に暖かかった。
喉の調子が悪いのでクリスマス・ソングを歌えない深夜ミサに行ってもつまらないなあと思っていたのだが、暖かかったこともあって、結局近所の教会の深夜ミサに行ったが、今の喉の調子でも「オー」という母音は比較的楽に出ることが分かった。
だから少なくとも、「グローリア」は十分歌えてすっきりした。二種類のグローリアを歌ったが、どちらもグローオオオオ、オーオオオオ、オーオオオオ、」と延々と続くので気分がいい。
うちの教区は深夜ミサと言っても夜の12時前に終わるので、家に帰って来ていつもの通りヴァティカンの深夜ミサを見ようとテレビをつけたら、今年はノートルダム大聖堂の850周年ということでパリのノートルダムの深夜ミサの中継だった。
見ていると、この大聖堂で参加したいろいろな行事の光景が浮かんでくる。
私たちが帰ってきたら、長男が食卓をきれいに片づけてくれていた。
数日後、イルミネーションも美しいジョルジュ・サンクのホテルのメイン・レストランの「ル・サンク」でシェフのお任せ料理を長男にごちそうしてもらった時に、いろいろ考えさせられてしまった。
普通の感覚でいえば、美しい場所で行きとどいたサービスで繊細で凝った料理を味わえて満足なのだが、一人数万円もするコースとしては、あまりにも中途半端だったからだ。
これなら、この三分の一の値段でもずっと満足できるレストランはたくさんある。
一番中途半端なのはその「懐石料理風」なところだ。
もともとヌーヴェル・キュイジーヌが懐石料理に影響を受けているのは知られているが、ここでは特に目立つ。
ウナギだとか銀杏だとか豆腐だとか柿などの食材も駆使されていて、少量ずつが美しい形と取り合わせで盛られて次々と運ばれてくるところがあまりにも日本的なのでそう口にしたら、シェフの奥さんは日本人ですと言われた。
しかし、そう言われるとなおさら、高級な懐石料理と比べてしまう。
数万円と言えば懐石でも高級料理だ。
まず、フランス料理だから仕方がないが、最初に「おしぼり」がついてこない。
私ははじめに手を洗いに立ったが、夫と長男は、ついさっき、メトロの中で手すりにつかまっていたのにそのまま席に着いた。
絶対にばい菌の巣窟だ。パンを手にとって食べるから、非衛生である。
もちろん、こんなホテルに来る人はメトロなんかに乗ってくるとは想定されていないのかもしれないけれど、こちらのタクシーは自動ドアではないから、ひょっとしてタクシーのドアに触れるかもしれないし、タクシーのチップを払うのに小銭に触れるかもしれない。
インフルエンザも流行っている季節だから、その「非衛生」の感覚が私にはずっとつきまとって気になった。
また、懐石では、熱いものは熱々に、冷たいものはしゃっきり冷たくとメリハリがきいているものだが、そのへんの境界があいまいだった。
それに、せっかく冬の特別メニューであるのだから、これが懐石料理の12月の食事なら、食器や皿の飾りにもっと季節感が演出されている、と思わずにはいられない。
驚きや遊び心も欲しい。
食事の後はシャンゼリゼに出たが、考えると、ジョルジュ・サンク街という最もパリらしい華やかな街路にイギリスの王(ジョージ五世)の名がついているのは不思議だ(パリのアメリカン・チャーチもこの通りにある)。
第一次大戦の勝利の記念だそうだが、考えてみると、フランス王にジョルジュというのはいない。
同じ聖人の名がヘンリーとアンリという風につづりや読み方が変わってイギリス王にもフランス王にも使われることはあるのだが。時には同じ王が、カルル、カレル、シャルル、チャールズなどと国によって呼び名が変わることもある。
言葉は文化だ。ジョルジュ・サンク街を歩いて華やかな店先を除いている人たちにとっては、ジョルジュ・サンクはジョルジュ・サンクであって、ジョージ五世では絶対あり得ない。
だから、日本料理とル・サンクの料理をつい比べてしまうのはやはりナンセンスなのだろう。
記念に長男を真ん中にして写真をとってもらったものを後から見てみると、両親が若い息子を上等な場所に連れて来てやったという感じではなくて、いかにも、都会の第一線で活躍する働き盛りの男が田舎から出てきた老親にサービスしているかのように写っていた。うーん。
今年のクリスマスの家庭料理そのものはいつもよりずっと安くついた。
ここ何年も夫の役所の元同僚が故郷(フランス南西部)で製造しているフォワグラを購入していて、クリスマスと新年にたっぷり食べた後でまだ子供たちにおすそ分けできるぐらいだったのに、その同僚が本格的にパリを離れたからだ。
私は途方に暮れた。
スーパーで売っているようなものは買いたくないし、値段が高いものが一番おいしいわけではないという有名シェフによるブラインドテストの結果は毎年紹介されている。
うちはおいしいものを食べ慣れているのでがっかりするのは嫌だ。
うちの近くの惣菜屋さんでやはり南西部出身でcanardアヒル(カモ)とoie(ガチョウ)のフォワグラを両方つくっている人がいるのでそこに頼むことにした。とりに行くと、美しく盛り付けた皿が用意されていた。
うちでは各自のお皿にオニオンジャムとキーウィとグーズベリーをあしらったものに小さな塊をとりわけておいて、ブリオッシュのスライスをトーストしたものを配って自分でのせて食べるという方式なので、なんだか二重の飾り付けだ。
いつもは何グラムずつ食べているか意識していなかったので量も惣菜屋のシェフに任せていたら、量的にも、いつもより少ない感じだ。
長男が尿酸値が高めだといっていたのでホタテやオマール海老も省略した。
デザートのビューシュ・ド・ノエルは次女がアパルトマンの近くにあるピエール・エルメのものを持ってきてくれる。
シャンパーニュは夫が引退した時のパーティにたくさん用意したものがまだ残っていた。ワインも、その時贈られた上等なものがまだ残っている。
去年まで長男は仕事の都合でクリスマスが終わってからフランスに帰っていたので、イヴのディナーやクリスマスのランチを娘たちとした後で、大晦日のディナー(フランスではこれが大事)と新年のランチ(日本人的にはこれも大事)には長男や他の親せきたちのためにまたいろいろ用意していた。
今年は久しぶりにクリスマスに長男がいたのでそこで全部まとめた。
長男は今朝日本に帰り、大晦日は娘たちはバカンスでいないし、クリスマスのブランチには私たちは友人宅に招かれている。
昨夜はクスクスが食べたい(彼の仕事上、おいしいアラブ料理レストランに日本でいくような機会はない)という長男と、次女もいっしょに、近所のレストランに行った。そんなこんなで、なんだかとても安くつきそうな年末年始である。
年末年始のすべての食費を合わせても、ジョルジュ・サンクでおごってもらった分には届かないんじゃないかなあ。
どちらにしても、おいしいものを食べるというのは健康の証であるから、最終的には感謝の念だけが、残る。
私は一時、年末年始にフランス中が巨大な胃袋になるような喧騒を見ただけで嫌気がさしていたことがあった。けれども今は食欲のある人をすなおに祝福する心境だ。
少なくとも、おいしいものを食べている間は、人は争わないものだ。
おいしいものを食べる予定の人、食べる予定の人と時間を共有できる人、平和な新年をお祈りします。
喉の調子が悪いのでクリスマス・ソングを歌えない深夜ミサに行ってもつまらないなあと思っていたのだが、暖かかったこともあって、結局近所の教会の深夜ミサに行ったが、今の喉の調子でも「オー」という母音は比較的楽に出ることが分かった。
だから少なくとも、「グローリア」は十分歌えてすっきりした。二種類のグローリアを歌ったが、どちらもグローオオオオ、オーオオオオ、オーオオオオ、」と延々と続くので気分がいい。
うちの教区は深夜ミサと言っても夜の12時前に終わるので、家に帰って来ていつもの通りヴァティカンの深夜ミサを見ようとテレビをつけたら、今年はノートルダム大聖堂の850周年ということでパリのノートルダムの深夜ミサの中継だった。
見ていると、この大聖堂で参加したいろいろな行事の光景が浮かんでくる。
私たちが帰ってきたら、長男が食卓をきれいに片づけてくれていた。
数日後、イルミネーションも美しいジョルジュ・サンクのホテルのメイン・レストランの「ル・サンク」でシェフのお任せ料理を長男にごちそうしてもらった時に、いろいろ考えさせられてしまった。
普通の感覚でいえば、美しい場所で行きとどいたサービスで繊細で凝った料理を味わえて満足なのだが、一人数万円もするコースとしては、あまりにも中途半端だったからだ。
これなら、この三分の一の値段でもずっと満足できるレストランはたくさんある。
一番中途半端なのはその「懐石料理風」なところだ。
もともとヌーヴェル・キュイジーヌが懐石料理に影響を受けているのは知られているが、ここでは特に目立つ。
ウナギだとか銀杏だとか豆腐だとか柿などの食材も駆使されていて、少量ずつが美しい形と取り合わせで盛られて次々と運ばれてくるところがあまりにも日本的なのでそう口にしたら、シェフの奥さんは日本人ですと言われた。
しかし、そう言われるとなおさら、高級な懐石料理と比べてしまう。
数万円と言えば懐石でも高級料理だ。
まず、フランス料理だから仕方がないが、最初に「おしぼり」がついてこない。
私ははじめに手を洗いに立ったが、夫と長男は、ついさっき、メトロの中で手すりにつかまっていたのにそのまま席に着いた。
絶対にばい菌の巣窟だ。パンを手にとって食べるから、非衛生である。
もちろん、こんなホテルに来る人はメトロなんかに乗ってくるとは想定されていないのかもしれないけれど、こちらのタクシーは自動ドアではないから、ひょっとしてタクシーのドアに触れるかもしれないし、タクシーのチップを払うのに小銭に触れるかもしれない。
インフルエンザも流行っている季節だから、その「非衛生」の感覚が私にはずっとつきまとって気になった。
また、懐石では、熱いものは熱々に、冷たいものはしゃっきり冷たくとメリハリがきいているものだが、そのへんの境界があいまいだった。
それに、せっかく冬の特別メニューであるのだから、これが懐石料理の12月の食事なら、食器や皿の飾りにもっと季節感が演出されている、と思わずにはいられない。
驚きや遊び心も欲しい。
食事の後はシャンゼリゼに出たが、考えると、ジョルジュ・サンク街という最もパリらしい華やかな街路にイギリスの王(ジョージ五世)の名がついているのは不思議だ(パリのアメリカン・チャーチもこの通りにある)。
第一次大戦の勝利の記念だそうだが、考えてみると、フランス王にジョルジュというのはいない。
同じ聖人の名がヘンリーとアンリという風につづりや読み方が変わってイギリス王にもフランス王にも使われることはあるのだが。時には同じ王が、カルル、カレル、シャルル、チャールズなどと国によって呼び名が変わることもある。
言葉は文化だ。ジョルジュ・サンク街を歩いて華やかな店先を除いている人たちにとっては、ジョルジュ・サンクはジョルジュ・サンクであって、ジョージ五世では絶対あり得ない。
だから、日本料理とル・サンクの料理をつい比べてしまうのはやはりナンセンスなのだろう。
記念に長男を真ん中にして写真をとってもらったものを後から見てみると、両親が若い息子を上等な場所に連れて来てやったという感じではなくて、いかにも、都会の第一線で活躍する働き盛りの男が田舎から出てきた老親にサービスしているかのように写っていた。うーん。
今年のクリスマスの家庭料理そのものはいつもよりずっと安くついた。
ここ何年も夫の役所の元同僚が故郷(フランス南西部)で製造しているフォワグラを購入していて、クリスマスと新年にたっぷり食べた後でまだ子供たちにおすそ分けできるぐらいだったのに、その同僚が本格的にパリを離れたからだ。
私は途方に暮れた。
スーパーで売っているようなものは買いたくないし、値段が高いものが一番おいしいわけではないという有名シェフによるブラインドテストの結果は毎年紹介されている。
うちはおいしいものを食べ慣れているのでがっかりするのは嫌だ。
うちの近くの惣菜屋さんでやはり南西部出身でcanardアヒル(カモ)とoie(ガチョウ)のフォワグラを両方つくっている人がいるのでそこに頼むことにした。とりに行くと、美しく盛り付けた皿が用意されていた。
うちでは各自のお皿にオニオンジャムとキーウィとグーズベリーをあしらったものに小さな塊をとりわけておいて、ブリオッシュのスライスをトーストしたものを配って自分でのせて食べるという方式なので、なんだか二重の飾り付けだ。
いつもは何グラムずつ食べているか意識していなかったので量も惣菜屋のシェフに任せていたら、量的にも、いつもより少ない感じだ。
長男が尿酸値が高めだといっていたのでホタテやオマール海老も省略した。
デザートのビューシュ・ド・ノエルは次女がアパルトマンの近くにあるピエール・エルメのものを持ってきてくれる。
シャンパーニュは夫が引退した時のパーティにたくさん用意したものがまだ残っていた。ワインも、その時贈られた上等なものがまだ残っている。
去年まで長男は仕事の都合でクリスマスが終わってからフランスに帰っていたので、イヴのディナーやクリスマスのランチを娘たちとした後で、大晦日のディナー(フランスではこれが大事)と新年のランチ(日本人的にはこれも大事)には長男や他の親せきたちのためにまたいろいろ用意していた。
今年は久しぶりにクリスマスに長男がいたのでそこで全部まとめた。
長男は今朝日本に帰り、大晦日は娘たちはバカンスでいないし、クリスマスのブランチには私たちは友人宅に招かれている。
昨夜はクスクスが食べたい(彼の仕事上、おいしいアラブ料理レストランに日本でいくような機会はない)という長男と、次女もいっしょに、近所のレストランに行った。そんなこんなで、なんだかとても安くつきそうな年末年始である。
年末年始のすべての食費を合わせても、ジョルジュ・サンクでおごってもらった分には届かないんじゃないかなあ。
どちらにしても、おいしいものを食べるというのは健康の証であるから、最終的には感謝の念だけが、残る。
私は一時、年末年始にフランス中が巨大な胃袋になるような喧騒を見ただけで嫌気がさしていたことがあった。けれども今は食欲のある人をすなおに祝福する心境だ。
少なくとも、おいしいものを食べている間は、人は争わないものだ。
おいしいものを食べる予定の人、食べる予定の人と時間を共有できる人、平和な新年をお祈りします。