婿クンの実家のパーティに行った。97歳になるシスター・クレールが来ているからだ。久しぶりに会って「わーい」という感じでハグしあって、ところが、それからものの1分も経っていないのに、「あらー、まだ挨拶してなかったよねー」といって再びハグされた。
そう、2度目は「された」という言葉を使いたくなる。
短期記憶が飛ぶようになったという話は聞いていたのに、「えっ」というショックを受けて、つい「いや、さっきもう挨拶しましたよー」と言ってしまった。
私がそう言ってしまったことも忘れてくれればいいけれど、後から聞くと、シスター・クレールは、自分の短期記憶がなくなることに気づいてすごく悩んでいるそうだ。もう生きている意味がないということかもしれない、と。
そしてそれに「気づく」のは、私のように「いや、さっきそれはもう・・・」と言ってしまう人間がいるからだろう。
そう思うとますます後悔する。
つわり中の長女が日本から帰ってきたところで、2週間後にはアメリカに行くということで、話題は長女の進路に集まっていた。
長女は日本での学会の後、診察にも立ち合わせてもらったのだが、12年前のJ天堂医大での研修の時は「・・さん」と紹介されていたのに今回はどこでも「・・先生」として紹介されたのでそれが一番印象に残ったと言っていた。
後、妊娠していることを隠しているので、アルコールをどうやって断るかが話題になる。日本では昼間の食事はアルコールを飲まない人も多いので困らなかったが、フランスでは昼間から必ずワインなど出るからだ。来週レンヌに出張してそこでクレープ・パーティに招かれているのでシードルを飲むのをどうやって断るべきかという話になった。婿クンの兄さんは「昨日の夜飲みすぎちゃってと言えばいい」と言うのだが、それではいずれ妊娠が分かったときにへんなことになる。
研究所は今すごく忙しいので、今の仕事に遅れがでるとかうまくいかなかった場合に長女が妊娠しているので100%がんばれなかったと言われるのがいやで隠しているわけだ。
癌研のボスは3人の子持ちでレンヌのボスは5人の子持ち(さすがフランス)なので批判はされないと思うが、家族や友人でもない仕事関係の人に「自分の子宮の中で起こっていることの状態を知らせるなんて抵抗がある」とも長女は言う。
で、結局、もし無事に10月に子供が生まれたら、有給の産休をフルに活用して、その後は失業手当をもらって数ヶ月働かないまま赤ちゃんの世話をするという。
癌研に非正規雇用で4年勤めて更新されない形になるのでそれを補償するために給料の10%の特別手当も出るそうで、それと失業手当をもらえば、働く意味はないようだ。
で、2015年の9月に彼女のために創出されるポストに着任したら、4年後に正教授のタイトルをもらえる。フランスでは医学部は国立しかなく、すべてのポストは「全国区」なので、医学部正教授のタイトルは、フランスの医者の最高のポストと言うかゴールのようなものなのだ。長女は38歳になっている勘定で、例外的に若い。
と、こういう話になっている時に、シスター・クレールが私と夫に「こんな子供を持ってあなたたちはさぞや誇りに思うでしょう」(日本語の語感としたら「さぞや鼻が高いでしょう」に近い)と聞いたのだ。
私たちも「え、ええ、まあ」と答えるのだけれど、それが、短期記憶の欠落のせいか何か知らないけれど、パーティの間に何度も何度繰り返されるのだ。
一度くらいならいいけど、そう何度も言われると微妙で
「あの、うちにはほかにも子供がいるんですけど」
「別に教授にならなくたって子供たちのことはみな誇りに思ってます」
「子供の未来は子供の未来で私たちと直接関係がないから」
などという思いが私にも夫にも湧き上がってくる。
しかもシスター・クレールはその度に、
「それに比べて婿クンは子育てにぴったり、(長女は)最高の相手を見つけたね」
付け加えるのだ。
それも何度も繰り返されるので、へんな気分だ。
もちろんはじめは冗談めかして、正教授のポストについたら長女はかなりの高給を約束されるので婿クンも「いつになったら僕は働かなくてもよくなるのかなーって言ってるんですよ」などと答えているのだが、シスター・クレールの熱心さを見ていると、
「この人って、頭もいいし行動力もあるし、もし男だったら司教とか大司教とか枢機卿になるとか野心があったのに、女性であるがゆえに『一介のシスター』であったことにどこかフラストレーションがあったのかなあ」
などともちらりと思ってしまった。
確かにもし婿クンが自分のキャリア優先の男だったら、長女がキャリアを今のように築くのは難しかっただろう。長女もそれを分かっている。
婿クンが長女にめろめろで、長女のキャリアの方が世のため人のためになると思っているのは確かだ。子供のときから自分の兄さんの方に親の期待が一心にかかっていたのを見てきて自分はスルーしようとおっとり育ったのも事実だ。
それにもし万一この先何か不都合が起こって長女が働けない状況に陥ったとしても、婿クンはもともと資産家の息子だから、今もっているもので普通のレベルで妻子を養っていけるだけのキャパがある。その「余裕」をだれもが了解しているからこそ、みなが鷹揚に構えていられるのだけれど。
でも、シスター・クレールの「繰り返し」はなんだか小さな子供が「不都合なこと」を口にして大人が困ってしまうのに似た状況を作り出した。
婿クンの両親も、ああ何度も同じことを言われたら、「いったいうちの息子は何なんですか」と思ってしまうだろう。
実際、このブログで時々書くように、長女は周囲をなぎ倒しても自分は前進するというタイプで、「ああ、こういうタイプだから『出世』できるんですね、はいはい」と言いたくなる。親としたら「心優しい子」の方が誇らしいんだけど。
ある同年輩の女性が、息子が仕事のことでインタビューを受けたと言ってその記事をメールで送ってきた。まさに「誇らしい」という感じだった。
インタネットで何でも検索されるこの時代に、できるだけ子供の情報とかを知り合いに伝えたくないというスタンスの私とは逆の人もいるわけだ。
ともかく子育ては終わっているのだから、子供たちにできるだけ面倒をかけたくないしかけられたくもない。それでも何かあるときはあるのだから、危機管理はしておくべきだとは思う。でも、何しろこの一ヶ月のうちに三度も風邪をひいてしまって目先の健康管理もできていない私が何を言っても、「口先」だけだということになるのだろう。
そう、2度目は「された」という言葉を使いたくなる。
短期記憶が飛ぶようになったという話は聞いていたのに、「えっ」というショックを受けて、つい「いや、さっきもう挨拶しましたよー」と言ってしまった。
私がそう言ってしまったことも忘れてくれればいいけれど、後から聞くと、シスター・クレールは、自分の短期記憶がなくなることに気づいてすごく悩んでいるそうだ。もう生きている意味がないということかもしれない、と。
そしてそれに「気づく」のは、私のように「いや、さっきそれはもう・・・」と言ってしまう人間がいるからだろう。
そう思うとますます後悔する。
つわり中の長女が日本から帰ってきたところで、2週間後にはアメリカに行くということで、話題は長女の進路に集まっていた。
長女は日本での学会の後、診察にも立ち合わせてもらったのだが、12年前のJ天堂医大での研修の時は「・・さん」と紹介されていたのに今回はどこでも「・・先生」として紹介されたのでそれが一番印象に残ったと言っていた。
後、妊娠していることを隠しているので、アルコールをどうやって断るかが話題になる。日本では昼間の食事はアルコールを飲まない人も多いので困らなかったが、フランスでは昼間から必ずワインなど出るからだ。来週レンヌに出張してそこでクレープ・パーティに招かれているのでシードルを飲むのをどうやって断るべきかという話になった。婿クンの兄さんは「昨日の夜飲みすぎちゃってと言えばいい」と言うのだが、それではいずれ妊娠が分かったときにへんなことになる。
研究所は今すごく忙しいので、今の仕事に遅れがでるとかうまくいかなかった場合に長女が妊娠しているので100%がんばれなかったと言われるのがいやで隠しているわけだ。
癌研のボスは3人の子持ちでレンヌのボスは5人の子持ち(さすがフランス)なので批判はされないと思うが、家族や友人でもない仕事関係の人に「自分の子宮の中で起こっていることの状態を知らせるなんて抵抗がある」とも長女は言う。
で、結局、もし無事に10月に子供が生まれたら、有給の産休をフルに活用して、その後は失業手当をもらって数ヶ月働かないまま赤ちゃんの世話をするという。
癌研に非正規雇用で4年勤めて更新されない形になるのでそれを補償するために給料の10%の特別手当も出るそうで、それと失業手当をもらえば、働く意味はないようだ。
で、2015年の9月に彼女のために創出されるポストに着任したら、4年後に正教授のタイトルをもらえる。フランスでは医学部は国立しかなく、すべてのポストは「全国区」なので、医学部正教授のタイトルは、フランスの医者の最高のポストと言うかゴールのようなものなのだ。長女は38歳になっている勘定で、例外的に若い。
と、こういう話になっている時に、シスター・クレールが私と夫に「こんな子供を持ってあなたたちはさぞや誇りに思うでしょう」(日本語の語感としたら「さぞや鼻が高いでしょう」に近い)と聞いたのだ。
私たちも「え、ええ、まあ」と答えるのだけれど、それが、短期記憶の欠落のせいか何か知らないけれど、パーティの間に何度も何度繰り返されるのだ。
一度くらいならいいけど、そう何度も言われると微妙で
「あの、うちにはほかにも子供がいるんですけど」
「別に教授にならなくたって子供たちのことはみな誇りに思ってます」
「子供の未来は子供の未来で私たちと直接関係がないから」
などという思いが私にも夫にも湧き上がってくる。
しかもシスター・クレールはその度に、
「それに比べて婿クンは子育てにぴったり、(長女は)最高の相手を見つけたね」
付け加えるのだ。
それも何度も繰り返されるので、へんな気分だ。
もちろんはじめは冗談めかして、正教授のポストについたら長女はかなりの高給を約束されるので婿クンも「いつになったら僕は働かなくてもよくなるのかなーって言ってるんですよ」などと答えているのだが、シスター・クレールの熱心さを見ていると、
「この人って、頭もいいし行動力もあるし、もし男だったら司教とか大司教とか枢機卿になるとか野心があったのに、女性であるがゆえに『一介のシスター』であったことにどこかフラストレーションがあったのかなあ」
などともちらりと思ってしまった。
確かにもし婿クンが自分のキャリア優先の男だったら、長女がキャリアを今のように築くのは難しかっただろう。長女もそれを分かっている。
婿クンが長女にめろめろで、長女のキャリアの方が世のため人のためになると思っているのは確かだ。子供のときから自分の兄さんの方に親の期待が一心にかかっていたのを見てきて自分はスルーしようとおっとり育ったのも事実だ。
それにもし万一この先何か不都合が起こって長女が働けない状況に陥ったとしても、婿クンはもともと資産家の息子だから、今もっているもので普通のレベルで妻子を養っていけるだけのキャパがある。その「余裕」をだれもが了解しているからこそ、みなが鷹揚に構えていられるのだけれど。
でも、シスター・クレールの「繰り返し」はなんだか小さな子供が「不都合なこと」を口にして大人が困ってしまうのに似た状況を作り出した。
婿クンの両親も、ああ何度も同じことを言われたら、「いったいうちの息子は何なんですか」と思ってしまうだろう。
実際、このブログで時々書くように、長女は周囲をなぎ倒しても自分は前進するというタイプで、「ああ、こういうタイプだから『出世』できるんですね、はいはい」と言いたくなる。親としたら「心優しい子」の方が誇らしいんだけど。
ある同年輩の女性が、息子が仕事のことでインタビューを受けたと言ってその記事をメールで送ってきた。まさに「誇らしい」という感じだった。
インタネットで何でも検索されるこの時代に、できるだけ子供の情報とかを知り合いに伝えたくないというスタンスの私とは逆の人もいるわけだ。
ともかく子育ては終わっているのだから、子供たちにできるだけ面倒をかけたくないしかけられたくもない。それでも何かあるときはあるのだから、危機管理はしておくべきだとは思う。でも、何しろこの一ヶ月のうちに三度も風邪をひいてしまって目先の健康管理もできていない私が何を言っても、「口先」だけだということになるのだろう。