まやの午睡

日常の記録です。

誰が一番努力したか

2015-10-31 00:44:58 | 日記
まさかの連続投稿。

昨日から気をとりなおしてエアバイク漕ぎを始める。

運動で何とかなるか試してみる。

長女から夫にメールがあって、去年のパリ大学での科学最優秀博士論文賞をもらったので12/1の授与式(賞金が1万ユーロ: 135万円くらい)とパーティに6人招待できるので来れるかどうかという話だった。

婿クンの両親にも送っている。

夫はご機嫌で、私が無反応だったので、「君は誇らしくないのかい」と聞いてきた。
そんなこと全然思わなかった。

私が真っ先に思ったのは新しい勤め先のレンヌ大学と大学病院の手前、よかったなあ、ということだ。
何しろこの大学は長女を招くために国に申請して新しいポストを創設したからだ。国立大学だから普通は誰かが退官しないとポストが空かない。
私がそういうと夫はそれもそうだと言った。

それから長女に返事を書いて、それを送る前に私に読んでチェックを求めた。

そこには長女への「ブラボー」と、孫クンたち(学校のある平日だから婿クンとレンヌで留守番することになる)に祝賀パーティの様子の報告をどうするか11月にレンヌに行った時に孫クンたちと相談するからね、とあった。

私はそれにダメ出しをした。

「賞をとってめでたい」ということを子供たちの前で嬉しそうに話題にしないこと、子供たちにとってはそんなことどうでもいいことだし、「賞をとるのが偉い」というような価値観を与えるのは良くない、
そんなことをしたらいつか自分たちも賞を取らなくちゃとか、賞を取り逃がしたらがっかりするとか、賞を取っていない人を軽んじるとかにつながる、
賞を取らなくて子供たちと留守番する婿クンに対してもよくない。

子供にとっては「努力すること」が大切なのであって、しかも長女の努力は婿クンのサポートなしにあり得なかったのだから、これは二人の努力が認められたことだ、それに子供の行けないお祝いパーティのことをはしゃぐのもおかしい、家族のすべてのお祭りは子供たちあってのものだから、強いてお祝い気分を分け合いたいのなら、私たちがレンヌに行った時に子供たちといっしょに「お祝いしようね」という感じで言わなければダメ。

と延々と上から目線でダメ出ししたのだが、夫もなるほどと思ったらしく、すなおにリライトして、君を支えてくれた婿クンや婿クンのご両親にもブラボー、僕たちがレンヌに行った時に子供たちとお祝いしようね、という風に変えた。

婿クンのご両親はあんまり関係ないんじゃないの、と思ったけれど「いや彼らもすごくよくしてくれる」と言うので、そのままにした。

私は「うん、私って冷静で子供の反応もちゃんと考えて、なかなかだわ」と腹の中で自画自賛していたのだが…

ふと考えると、長女が博士論文を書いていた時、孫ズの面倒を連日みたりして一番支えてやっていたのは、ほかならぬ夫だったことを思い出した。

夫も自分の努力のことは意識していないので、それが向こうの「ご両親」への感謝の言葉になって出てきたのだろう。

夫にも「あんたがよく面倒を見てあげたおかげよ、おめでとう」と声をかけてやらなくちゃ。
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パッとしない近況です。

2015-10-29 23:35:37 | 日記
10月も末なのであわてて月イチの近況を書くことにしたが、実は今かなり落ち込んでいる。

それは今朝の血液検査の結果が思わしくなかったから。

血糖値の話。

思い当たるといえば、この2ヵ月近く、ほとんど引きこもっていたせいかもしれない。新陳代謝がいいわけがない。

11/9に白内障の手術をするので、なんだか、タイムリミットができたみたいな気になって、まじめに仕事したからだ。

12月に仕上げる予定のものを10月始めに仕上げてしまったし、雑誌の記事もふたつ仕上げた。どうせPCにはりついているのだからと、これとは別のブログを毎日更新してしまった。

一ヵ月毎日更新したら一体どんな気分になるのだろうかと好奇心もあったので。

というのは私の愛読するいくつかのブログは、本当に毎日更新されているので、毎日出会うのが楽しみで、お友達のような気がしているからだ。

もし自分が毎日ブログ記事をアップしたらどうなるのだろう、と考えた。

結果は… 

別にどうにもならなかった。

第一私のブログは基本的に「読者」を想定していないで勝手に書いているからだ。
分かりやすさの工夫も、写真や説明のサービスも何もなし。

「想定読者」や「長さ」の制限がないことの自由を満喫する場所である。

で、白内障の手術をする方の目が気のせいかますます視力が落ちてきたような気がするし、外に出るのは良い視力を獲得した「新生の私」になってから、という気持ちが半分と、その逆に、もし手術がうまくいかなくなってもっと不自由になったら仕事が滞るかもしれないから今のうちにできるものは仕上げておこうという気持ちが半分で、結果的に引きこもってしまったというわけだ。

その上クラシックバレーのクラスが閉鎖されたし、バロックバレーも、両眼の視力差が大きくなったので「踊る」ということ自体に腰が引けてしまって、これも手術がうまくいってから、とお休みしている。

結果、動かないことと各種検査のストレスもあって血糖値が上がったのかもしれない。

手術前の眼底や眼圧や網膜CT検査、心電図などすべて問題なしと言われたのだから、高血糖で網膜に障害が出ているということもないわけで、体調もよくて、予定していたスタジオ録音もクリアしたし、気分はよかった。

なのに検査の数値がよくなかったというだけでこんなに落ち込むなんて自分のメンタルの情けなさを再確認。

11月下旬には長女のうちに遊びに行く予定だ。

夫は10月の初めにベビーシッターで呼び出されて一泊してきた(ちょうどその時に次女の彼氏クンの両親と私一人で顔を合わすことになってしまった。そのことはまたいつか書こう)。夫が帰る時孫クンが盛大に泣いたそうで、夫は「でも僕が帰らないとミアと猫たちの面倒を見る人がいないから」と納得させたそうだ。

その後で次女と彼氏クンも長女のところに遊びに行った。次女が帰る時も孫クンは泣いたそうで、「あいつめ、この人たらし」と思ってしまった。

長女たちは7人乗りの2台目の車を買ったので、みんなで海辺に行ったそうだ。

子供たちがちょうど今の孫ズの歳の頃に、私の両親とやはり7人乗りの車でバカンスに出かけたの思い出す。もし今母がまだ生きていたらあの頃の孫たちと同じ構成のひ孫たちを見て喜ぶだろうなあと思った。

そうすると、なんだかすなおに、長女のうちにあそびに行って孫たちと過ごすことが大切なように思えてきた。

せっかくレンヌに行くのだから、ポンシャトーに寄ろうとか、マレストロワにも行こうとか、いろいろなプランを立てていたけれど、今回はおとなしく、孫たちと過ごし、夫が会いたがっている北ブルターニュのお姉さんのうちにも足を延ばすつもりだ。彼女はもうすぐ89歳、私の母が生きていたら今年の末に90歳だった。

夫の異母姉のこのお姉さんは夫を母代りに甘やかしてくれた人で、うちの長男が生まれた時に洗礼親となり、長男はよくこのブルターニュのうち(当時は彼らの別荘で、リタイアしてから居を移した)でバカンスを過ごしヨットスクールに通ったりした。

彼女には2男2女がいて、この5年でひ孫が11人生まれたそうだ。
うちの母は一人目のひ孫の誕生は知ったけれど会えなかった。

そんなことをあれこれ考えていると、みんな会える時に会っとかないとなあ、とつくづく思う。

長女はローマの学会に招かれて発表するために飛行機に乗る前日来週うちに泊まる予定だ。大学ではプロフェッサーと呼ばれるし、診察も研究も順調でいい気分のようだ。

夫は少し時間の余裕ができた分、うちの掃除をよくしてくれる。

「もう家政婦さんはいらないんじゃない ?」とも言われたけれど、今日、4ヵ月ぶりに、ようやく見つけた家政婦さんが来てくれた。

夫はなんだかライバル意識を刺激されて、うちをピカピカにしていたので、綺麗ですね、と言われてしまった。

友人のロシア人の奥さんのルートから正教つながりで紹介してもらったブルガリア人女性だ。2週間に1度になるけれど、考えてみたらうちも今は孫をあずかる頻度は少ないし、娘たちや息子の所も家政婦さんは2週間に1度だからこれでいいかもしれない。

と、いろいろ書いていたら気が紛れてきた。とにかく今は、どこも痛くないし苦しくもない。贅沢を言っていられない。

小さな危機を新しい生き方のきっかけに変えていかなくてはいけない。

「危機は、きっかけ」。

うん、これ、いいかもしれない。
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