まさかの連続投稿。
昨日から気をとりなおしてエアバイク漕ぎを始める。
運動で何とかなるか試してみる。
長女から夫にメールがあって、去年のパリ大学での科学最優秀博士論文賞をもらったので12/1の授与式(賞金が1万ユーロ: 135万円くらい)とパーティに6人招待できるので来れるかどうかという話だった。
婿クンの両親にも送っている。
夫はご機嫌で、私が無反応だったので、「君は誇らしくないのかい」と聞いてきた。
そんなこと全然思わなかった。
私が真っ先に思ったのは新しい勤め先のレンヌ大学と大学病院の手前、よかったなあ、ということだ。
何しろこの大学は長女を招くために国に申請して新しいポストを創設したからだ。国立大学だから普通は誰かが退官しないとポストが空かない。
私がそういうと夫はそれもそうだと言った。
それから長女に返事を書いて、それを送る前に私に読んでチェックを求めた。
そこには長女への「ブラボー」と、孫クンたち(学校のある平日だから婿クンとレンヌで留守番することになる)に祝賀パーティの様子の報告をどうするか11月にレンヌに行った時に孫クンたちと相談するからね、とあった。
私はそれにダメ出しをした。
「賞をとってめでたい」ということを子供たちの前で嬉しそうに話題にしないこと、子供たちにとってはそんなことどうでもいいことだし、「賞をとるのが偉い」というような価値観を与えるのは良くない、
そんなことをしたらいつか自分たちも賞を取らなくちゃとか、賞を取り逃がしたらがっかりするとか、賞を取っていない人を軽んじるとかにつながる、
賞を取らなくて子供たちと留守番する婿クンに対してもよくない。
子供にとっては「努力すること」が大切なのであって、しかも長女の努力は婿クンのサポートなしにあり得なかったのだから、これは二人の努力が認められたことだ、それに子供の行けないお祝いパーティのことをはしゃぐのもおかしい、家族のすべてのお祭りは子供たちあってのものだから、強いてお祝い気分を分け合いたいのなら、私たちがレンヌに行った時に子供たちといっしょに「お祝いしようね」という感じで言わなければダメ。
と延々と上から目線でダメ出ししたのだが、夫もなるほどと思ったらしく、すなおにリライトして、君を支えてくれた婿クンや婿クンのご両親にもブラボー、僕たちがレンヌに行った時に子供たちとお祝いしようね、という風に変えた。
婿クンのご両親はあんまり関係ないんじゃないの、と思ったけれど「いや彼らもすごくよくしてくれる」と言うので、そのままにした。
私は「うん、私って冷静で子供の反応もちゃんと考えて、なかなかだわ」と腹の中で自画自賛していたのだが…
ふと考えると、長女が博士論文を書いていた時、孫ズの面倒を連日みたりして一番支えてやっていたのは、ほかならぬ夫だったことを思い出した。
夫も自分の努力のことは意識していないので、それが向こうの「ご両親」への感謝の言葉になって出てきたのだろう。
夫にも「あんたがよく面倒を見てあげたおかげよ、おめでとう」と声をかけてやらなくちゃ。
昨日から気をとりなおしてエアバイク漕ぎを始める。
運動で何とかなるか試してみる。
長女から夫にメールがあって、去年のパリ大学での科学最優秀博士論文賞をもらったので12/1の授与式(賞金が1万ユーロ: 135万円くらい)とパーティに6人招待できるので来れるかどうかという話だった。
婿クンの両親にも送っている。
夫はご機嫌で、私が無反応だったので、「君は誇らしくないのかい」と聞いてきた。
そんなこと全然思わなかった。
私が真っ先に思ったのは新しい勤め先のレンヌ大学と大学病院の手前、よかったなあ、ということだ。
何しろこの大学は長女を招くために国に申請して新しいポストを創設したからだ。国立大学だから普通は誰かが退官しないとポストが空かない。
私がそういうと夫はそれもそうだと言った。
それから長女に返事を書いて、それを送る前に私に読んでチェックを求めた。
そこには長女への「ブラボー」と、孫クンたち(学校のある平日だから婿クンとレンヌで留守番することになる)に祝賀パーティの様子の報告をどうするか11月にレンヌに行った時に孫クンたちと相談するからね、とあった。
私はそれにダメ出しをした。
「賞をとってめでたい」ということを子供たちの前で嬉しそうに話題にしないこと、子供たちにとってはそんなことどうでもいいことだし、「賞をとるのが偉い」というような価値観を与えるのは良くない、
そんなことをしたらいつか自分たちも賞を取らなくちゃとか、賞を取り逃がしたらがっかりするとか、賞を取っていない人を軽んじるとかにつながる、
賞を取らなくて子供たちと留守番する婿クンに対してもよくない。
子供にとっては「努力すること」が大切なのであって、しかも長女の努力は婿クンのサポートなしにあり得なかったのだから、これは二人の努力が認められたことだ、それに子供の行けないお祝いパーティのことをはしゃぐのもおかしい、家族のすべてのお祭りは子供たちあってのものだから、強いてお祝い気分を分け合いたいのなら、私たちがレンヌに行った時に子供たちといっしょに「お祝いしようね」という感じで言わなければダメ。
と延々と上から目線でダメ出ししたのだが、夫もなるほどと思ったらしく、すなおにリライトして、君を支えてくれた婿クンや婿クンのご両親にもブラボー、僕たちがレンヌに行った時に子供たちとお祝いしようね、という風に変えた。
婿クンのご両親はあんまり関係ないんじゃないの、と思ったけれど「いや彼らもすごくよくしてくれる」と言うので、そのままにした。
私は「うん、私って冷静で子供の反応もちゃんと考えて、なかなかだわ」と腹の中で自画自賛していたのだが…
ふと考えると、長女が博士論文を書いていた時、孫ズの面倒を連日みたりして一番支えてやっていたのは、ほかならぬ夫だったことを思い出した。
夫も自分の努力のことは意識していないので、それが向こうの「ご両親」への感謝の言葉になって出てきたのだろう。
夫にも「あんたがよく面倒を見てあげたおかげよ、おめでとう」と声をかけてやらなくちゃ。