先月、孫クンと妹ちゃんと一緒に義弟のところに滞在したときの話。
2人がまたけんかしたのか妹ちゃんが泣き喚きはじめた。
孫クンに叩かれたらしい。孫クンを叱ると孫クンは、最初に理由なく妹ちゃんから叩かれたという。
けれども向こうの方が小さくて弱い、あんたは妹ちゃんより大きくて強いのだから絶対に手を出してはいけない、と私は言った。
「だって悪いのは妹ちゃんのほうだから」と孫クンは抗議。
そこでハンス・キュングの言葉を思い出した。
「強くて大きい方は弱くて小さいほうに仕えなければならない」
というキリスト教の原則の他に、
「強くて大きい方は、弱くて小さいほうに譲歩しなくてはならない」
というやつだ。
私はそれを孫クンに言った。
「たとえ妹ちゃんが全面的に悪いとしても、あんたは妹ちゃんよりも強くて大きいものとして、蒙った不正を受けとめなくてはいけない、あんたがその後で妹ちゃんを叩いたのは間違いであり、ごめんなさいを言うべきだ」
で、孫クンは「パルドン(ごめんなさい)」と妹ちゃんに言った。
すると、けんかを続ける気満々だった妹ちゃんが一瞬驚いて、何がなんだか分からない顔をした。
私は孫クンを「それでいいのよ、おりこうねー」みたいに褒め称えていた。孫クンも私にほめられて満足していた。
するとその時、
妹ちゃんが、
大真面目な顔で孫クンを見て、
「パルドン」
と言ったのだ。
WAOH!!
すごいぞ、「赦し」の力。
超かわいかった。
で、先週末長女が英国の学会に招かれていったとき、婿クンを解放してやろうと思って三人の子をあずかることを提案した。
婿クンは嬉しそうに、三人の子をうちに連れてきて、久しぶりにお兄さんとテニスをするために帰っていった。次の日の夕方三人を連れて帰り、長女は空港から自宅までのタクシー代も出ているから直接自宅に向かった。
三人の孫の世話をするのは初めてで私は自分から言い出したこととはいえふらふらだったが、上の2人が遊んでいるときに、また何やらけんかになりそうになった後で、
「パルドン」と妹ちゃんが言い、
「Je te pardonne(直訳すると「僕は君を赦す」となる)」と孫クンが返しているのが聞こえてきた。
そのやり取りが気に入ったらしく、なぜかそれから5分くらいふたりで
「Pardon!!」「Je te pardonne!!」と交代でわいわいと叫びあっていた。
「赦して」に対して「赦してやる」みたいな、ある意味、上から目線で「かっこいい」言葉だと認識したらしい。
これが日本語だと「ごめんなさい」に対して「いいよ」くらいで、子供同士が赦しあう時にうまく「対」になる言葉がない感じだ。
Pardonは神からの赦しの言葉でもあり、donとは「無償で与えるもの」である。pardonの語源は「完全に与える」からきていて、免償であり恩寵であり恵みなのだ。
おお、子供にでも何でも本気で言ってみるものだなあ
婿クンが来て子供たちを車に乗せたとき、いつもながら孫クンはうちに残るといってちょっとぐずついていた。
「さよなら」を言うために孫クンの横にいくと、孫クンが私に
「僕はミアを愛してるよ、いつまでも」と言い、その後で
「ミアが死んでも」
と続けたので、運転席にいた婿クンがちょっとあせったのが感じられた。
「いつまでも (pour toujours)」でやめとけばいいのに…
すると孫クンはその後すぐに
「僕が死んでも」
と続けたのだ。
私は「うん、それが永遠ってやつよ」と笑いながら答えた。
車が去ってから、なんだか楽しくなった。
「うん、これで死んでもOKね、死ぬのは愛の終わりじゃないもんね」
と素直に思ったのだ。
たかが言葉、
されど言葉。
2人がまたけんかしたのか妹ちゃんが泣き喚きはじめた。
孫クンに叩かれたらしい。孫クンを叱ると孫クンは、最初に理由なく妹ちゃんから叩かれたという。
けれども向こうの方が小さくて弱い、あんたは妹ちゃんより大きくて強いのだから絶対に手を出してはいけない、と私は言った。
「だって悪いのは妹ちゃんのほうだから」と孫クンは抗議。
そこでハンス・キュングの言葉を思い出した。
「強くて大きい方は弱くて小さいほうに仕えなければならない」
というキリスト教の原則の他に、
「強くて大きい方は、弱くて小さいほうに譲歩しなくてはならない」
というやつだ。
私はそれを孫クンに言った。
「たとえ妹ちゃんが全面的に悪いとしても、あんたは妹ちゃんよりも強くて大きいものとして、蒙った不正を受けとめなくてはいけない、あんたがその後で妹ちゃんを叩いたのは間違いであり、ごめんなさいを言うべきだ」
で、孫クンは「パルドン(ごめんなさい)」と妹ちゃんに言った。
すると、けんかを続ける気満々だった妹ちゃんが一瞬驚いて、何がなんだか分からない顔をした。
私は孫クンを「それでいいのよ、おりこうねー」みたいに褒め称えていた。孫クンも私にほめられて満足していた。
するとその時、
妹ちゃんが、
大真面目な顔で孫クンを見て、
「パルドン」
と言ったのだ。
WAOH!!
すごいぞ、「赦し」の力。
超かわいかった。
で、先週末長女が英国の学会に招かれていったとき、婿クンを解放してやろうと思って三人の子をあずかることを提案した。
婿クンは嬉しそうに、三人の子をうちに連れてきて、久しぶりにお兄さんとテニスをするために帰っていった。次の日の夕方三人を連れて帰り、長女は空港から自宅までのタクシー代も出ているから直接自宅に向かった。
三人の孫の世話をするのは初めてで私は自分から言い出したこととはいえふらふらだったが、上の2人が遊んでいるときに、また何やらけんかになりそうになった後で、
「パルドン」と妹ちゃんが言い、
「Je te pardonne(直訳すると「僕は君を赦す」となる)」と孫クンが返しているのが聞こえてきた。
そのやり取りが気に入ったらしく、なぜかそれから5分くらいふたりで
「Pardon!!」「Je te pardonne!!」と交代でわいわいと叫びあっていた。
「赦して」に対して「赦してやる」みたいな、ある意味、上から目線で「かっこいい」言葉だと認識したらしい。
これが日本語だと「ごめんなさい」に対して「いいよ」くらいで、子供同士が赦しあう時にうまく「対」になる言葉がない感じだ。
Pardonは神からの赦しの言葉でもあり、donとは「無償で与えるもの」である。pardonの語源は「完全に与える」からきていて、免償であり恩寵であり恵みなのだ。
おお、子供にでも何でも本気で言ってみるものだなあ
婿クンが来て子供たちを車に乗せたとき、いつもながら孫クンはうちに残るといってちょっとぐずついていた。
「さよなら」を言うために孫クンの横にいくと、孫クンが私に
「僕はミアを愛してるよ、いつまでも」と言い、その後で
「ミアが死んでも」
と続けたので、運転席にいた婿クンがちょっとあせったのが感じられた。
「いつまでも (pour toujours)」でやめとけばいいのに…
すると孫クンはその後すぐに
「僕が死んでも」
と続けたのだ。
私は「うん、それが永遠ってやつよ」と笑いながら答えた。
車が去ってから、なんだか楽しくなった。
「うん、これで死んでもOKね、死ぬのは愛の終わりじゃないもんね」
と素直に思ったのだ。
たかが言葉、
されど言葉。